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群馬県立多々良沼公園を散歩した


早朝のみぞれで今日の東京散歩はあきらめ、地元散歩となった。
行き先は車で10分、群馬県立多々良沼公園だ。

とにかく広い。沼を周回するハイキングロードを1周するのに2時間かかる。
公園の南西、桜並木の駐車場から歩き始めた。県外ナンバーの車も多い。
太陽が出てきて春のような暖かさになってきた。
何組かの夫婦連れや小さな子どもを連れたカップルとすれ違う。

ここは白鳥飛来地としても有名なのだが、あいにく確認できない。
シベリアに渡ってしまったのだろうか。
邑楽町部分に入ると、見晴らしのあずまやや子ども公園があり、整備されている。

やがてこんもりした林に中に入る。ここは鶉古城跡だ。
多々良沼に突出した荒間崎と呼ばれた半島部に築かれた城。
14世紀、北条高時が鎌倉に滅ぼされたとき、逃げてきた城という。
後に多々良四郎忠致の居城となり、戦国時代は小曽根政義が守る館林城の支城となる。
しかし、16世紀、小田原北条氏の館林城陥落により廃城となった。
いまは、土塁にその面影をしのぶのみ。

藤棚の中を通り、半島の先端まで行くと浮島弁財天がまつられている。
お参りのご婦人(推定70歳)たちが、なにやら祈願していた。
子どもの頃は「弁天様まで泳いでいこうか」と対岸から挑戦した。
ここが親父の水泳歴のルーツなのだ。
ここは近年、地域猫がいることでも有名で、ベンチに簡便な自動給餌器が数個ある。
猫たちも、ひなたぼっこをしていた。

ここまで、歩くこと30分。
沼の1周はあきらめて、元来た道を引き返す。
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今回の東京散歩は、市川市の葛飾八幡宮


今回の東京散歩は、市川市の葛飾八幡宮だ。
東京散歩と謳いながら、千葉県市川市とは何事ぞと言うなかれ。
東京ディズニーランドも東京ドイツ村も、千葉県なのだ。
それに、八幡宮の字の前に「葛飾」とある。そはいかに?

ともあれ、今回は京成線で上野から30分。
京成八幡駅から徒歩10分の八幡様だ。
いろいろあって遅くなったが、今年最初のお宮参り、初詣となる。

京成八幡駅を下り、細道を線路伝いに東進する。
間もなく、左の線路越しに大木に挟まれた赤い門が見えてくる。
この門は「随神門」といい、寺だった江戸までは仁王門だったという。
今は左右に随神の右大臣と左大臣がいる。

掃除の行き届いた広い参道を進むと、端正な本堂が見えてくる。
葛飾八幡宮は創建されて千年以上。下総の国の総鎮守として信仰されてきた。
平の将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康も深く信仰したとか。
ご婦人(推定60歳)が、何事か長い願い事をしている。
親父も、霊験あらたかな神前にて頭を下げる。

右手前に鐘楼があり、かつては神仏混合であったことが知れる。
有形文化財「元亨の梵鐘」は、ここに下がっているものなのか。
18世紀、その梵鐘は境内のケヤキの大樹の株根から出土したというのだが。
受験生らしき女性(推定18歳)が絵馬を奉納していた。

振り返って見上げると、株立ちの大銀杏がある。これがご神木。
このご神木は、「千本公孫樹」(せんぼんいちょう)という天然記念物だ。
推定樹齢1200年という巨木。
多くの幹が寄り添い支え合っていることから、縁結びの御神徳があるらしい。
この古木に白蛇が棲むといわれ、姿を見ると幸福になるともいう。

境内には、厳島社、天満宮、稲荷社、八坂社、浅間様などある。
ここは、人の悩みを万事受け付ける聖地となっている。
天満宮では、やはり受験生らしい娘(推定18歳)が道真公に祈願中だった。

もと来た参道を戻り、京成線を越えて千葉街道まで来る。
横断歩道の先に住宅地の中に一画の竹藪がある。
ここが「八幡の藪知らず」。
古くは松、杉、栗などの樹が生い茂っていたという。
今は孟宗竹の林となっている。
この藪に立ち入ると二度と出られなくなるといい、厳重に囲われている。
小さな社殿を参拝し、早々に立ち去るしかない。
JR総武線「本八幡」より帰途に着く。

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最近のよっぱらい親父


「一月は正月で酒が飲めるぞ~」
という。
なんやかやと、新年会が7回あった。
極寒の中、二次会やら三次会やらで市内を歩き回り、風邪をひいた。

囲碁会では勝利したが、麻雀で負けた。

雪の日は、家のこたつで引きこもっていた。
庭のロウバイが咲く。

猫のクリとトラが、すきを見て脱走した。
クリはすぐに捕獲したが、トラはプチ家出。
外で2泊し、3日目、大雪の日に帰ってきた。

2月になって、皆既月食を見る。
医者に行かずに、風邪治る。

明日は、いつものスナックに行くつもり。
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