コロナ禍で酒に弱くなったよっぱらい親父。古希を過ぎ、腰痛に悩みながら今は家庭菜園に精を出す。慰めは3匹の猫。
よっぱらい親父の独り言
今回の東京散歩は水天宮
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今回の東京散歩の目的地は水天宮。
地下鉄日比谷線の人形町で下車、まず水天宮に向かう。
途中で時計塔を発見。これは、人形町商店街のからくり櫓。
人形町通りの両側に落語と火消しをテーマにした2種類の時計塔がある。
水天宮前駅にあるはずの水天宮は工事中だ。耐震工事のため昭和25年に仮宮に移転していた。
人形町通りを渡ったところに、茶の木神社という変わった名前の神社があるという。
この土地は、江戸時代、下総佐倉の城主堀田家の中屋敷。その守護神として祀られた。
社の周囲に茶の木が植え込まれていたと伝えられている。
屋敷も周囲の町方にも火災が起こらなかったため、火伏せの神と崇められた。
以来、お茶ノ木様と町の人々に親しまれているという。
少し人形町駅方面に戻って甘酒横丁を明治座の方に曲がる。
この辺りは江戸初期には葭の茂る原。
明暦の大火で浅草北に移るまで吉原遊郭として栄えた。
人形町通りから水天宮仮宮までは、甘酒横丁という通りになっている。
250mほどなのだが、老舗の名店がたくさんあって、なかなか楽しい。
甘酒横丁の名は明治時代の始めに、尾張屋という甘酒を売る店があったのが由来だと聞く。
仮宮に近づく辺り、横丁は緑道になっていて、この下はかつて川が流れていたという。
傍らに弁慶像があり、ここが歌舞伎発祥の地であることを記念している。
甘酒横丁の終点、突き当たり左が明治座、正面が浜町公園だ。
そして右側が水天宮の仮宮、若い人達も少し古い人達も子どもの誕生を祈っている。
ここは、福岡県久留米市にある水天宮の総本社の分社になる。
この公園は関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環と計画された。
江戸時代は熊本藩主・細川氏の下屋敷があり、明治期以降も細川家の邸宅があった。
公園内には広場のほか、1861年に熊本藩主・細川斉護によった建てられた加藤清正を祀る清正公寺がある。
明治座近くに笠間神社があり、立ち寄る。
笠間藩第八代藩主牧野定直が笠間本社より分霊を受けた。
毎年初午の日には一般参拝者に門戸を開き、日本橋界隈の市民はお参りしたという。
人形町駅に戻り、帰途に着く。
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畑や庭に咲いている花
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b1/411184bd54548eb43c4ee812a0c319f5.jpg)
我が家の畑や庭に咲いている花。
自然の造形は見事なものだ。
じっと見てしまう。
困るのは、写真を撮るとき。
ぶれないように息をつめてシャッターを切る。
その時、必ず蚊に刺される。
今日は5か所。
耳、耳の下、ほっぺ、目の上。
一番痒いの所は唇なのだ。
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