「どうしてあれをしてはダメとかこれをしてはダメとかいわれるんでしょうか。私には何の権利もないの?」
真夜中、雅子様は受話器を握りしめています。
東宮家の電話は無料ですから、どこへなりともかけ放題。
とは言っても誰にでもかけているわけではなく、電話の先にいるのは大野先生でした。
「人権意識がないっていうか、宮内庁って古くて馬鹿なんじゃないかと思います。うちの夫も、陛下のいいなりで信じられない」
今日はまたも一段と声のトーンが上がっているように思います。
これは相当なストレスなんだなと先生は思いました。
でも、夏もずっと那須で遊んだし、秋にも御料牧場へ行ったし、これ以上何が不満なのか先生としてはよくわかりません。
「自分が悪いのではないか」と落ち込む患者に向き合う事はあっても「自分の意志が通らない」と怒る患者への接し方は今一つわからないのです。
「怒りを鎮め、お経でも唱えれば」と言いたいところですが、雅子様としては大真面目なのです。
「では、妃殿下は何をなさりたいので」
「そうね・・自由が欲しい」
「自由・・それは皇室にいては無理では」
「皇室にいながら自由でいたいのよ。他の事なんか考えたくないの。おいしいものを食べたり、好きな所に行ったり」
「労働は」
「それって・・公務はやってるじゃないの」
日帰りだろうと、地方へは行った。愛想がないとか、ドタキャンしたとか言われるけど、仕方なくやってやってるのだから、それくらい我慢しろと言いたい雅子様。
「一度、本当にお好きな事をされてみては」
医師としてはそういうしかありません。
「好きな事をなさるご自分を肯定するのです」
この「自己肯定」という言葉は雅子様にとってまさに渡りに船という言葉でした。
去年から、ほぼ一ヶ月に一度、高級フレンチで外食しているけど、その頻度をもっと上げようかな。今年のクリスマスはどうしよう。
そんな事を考えていると何やら楽しくなります。
大野先生はこれで電話を切る事が出来るかなと期待しています。
どうして雅子妃と言う人はこうも「長い」のか、時間を守る観念がないのは、雅子様特有の「癖」「障害」として見るしかないのだろうと医師は思います。
それを責めると、またも「なぜ時間を守らないといけないのか」という話になり、「周りに迷惑をかけない為です」などと言えば「自分が最上なのになぜ下の者に気を遣わないといけないのか」と悩み始める・・・とんでもない方なのです。
思えば、小和田の父君もご自分の「非」を認めた事はありません。
常に恫喝し、𠮟りつけ、あるいは物を投げてわからせる方針。
上にいる者の特権がそうなのです。
雅子様にはもう一つ、考えないといけない事がありました。
それは愛子様の事です。
大きくなるにつれて、無表情ぶりが目立つようになってきた娘に、とりあえず高い服を着せて、真っ当に見えるようにピッピとまりを横につけて写真を撮る。
そしてさらに「ご優秀に」見せる為に「愛子様は最近ではピアノの演奏にも興味を示し、皇太子様のヴィオラも弾いたりする」
つまり愛子様は音楽的才能がとてもあるのだ・・・という風に見せるわけです。
でも、それを続けるには味方が必要。
そこで、雅子様が目をつけたのは学習院幼稚園の園長である小山氏。
宮内庁の人間を差し向けて「愛子内親王が小学校に入ると同時に女官として東宮職に入って欲しい」と説得したのです。
「そんな、恐れ多い」と断る小山氏に対し、「妃殿下のお望みを叶えないつもりですか」と半ば脅しまでかけたのです。
そうして美味しいポストにつけて、実際の愛子内親王の秘密保持に務める。
これも重要な事でした。
2007年 12月1日 愛子内親王6歳
秋篠宮家に悠仁親王が生まれ、女性天皇の芽がダメになりそうな今、せめて「ご優秀な愛子様こそ天皇に」という流れを作らないといけません。
こんなに小さいのに音楽的才能にあふれ、作曲も出来るし詩も書く。漢字は読めるし計算も得意。
盛りに持った「ご優秀伝説」は嘘ではあるけど、そんな事をいう人は一人もいません。それこそが東宮の「力」なのでした。
2007年12月9日 雅子妃44歳
雅子様のお誕生日には恒例の「医師団見解」が出されました。
「妃殿下におかれましては、この一年も、依然としてご体調には波がございましたが、前向きに頑張られるお気持ちを強くお持ちになられて、真摯に努力を重ねてこられました。
そして、愛子内親王殿下の育児を中心に日常のご活動を続けられ、公私を問わず、ご活動にも広がりが出てこられております。
ご公務に関しましては、東宮御所や都内でのご活動に加えて、長野県と徳島県の地方行啓にもお出かけになりました。
このようなご活動の積み重ねは、ご快復のために必要な自信につながるものであり、治療的に大きな意味があったと考えております。こうしたご活動の後には依然としてお疲れが残られますが、以前にくらべるとご回復が早くなっていらっしゃいます。
適応障害は、世界的に広く受け入れられているアメリカ精神医学会の基準でも、長く持続することがあるとされているものであり、妃殿下におかれましても、なお治療が必要な状態が続いております。
しかし、ご自身のご努力はもちろんのこと、皇太子殿下のお力添えもあり、少しずつ着実に快方に向かっていらっしゃいます。」
毎年同じ文章しか思い浮かばず、しかしながらご自分の「肯定感」を強く打ち出す事は忘れませんでした。
いつもの年とは違うクリスマス。
それは「お買い物」でした。
雅子様は12月19日。南青山のお店を女官と一緒に訪れて、まるで子供のように商品を選んでばんばん買いあさったのです。
皇室では表だってクリスマスは祝わないものですが、そんな事、雅子様には関係ありません。小さい頃欲しかったもの、小さい頃から憧れていたツリーのオーナメントやらワインやら、それはもう楽しくて仕方なかったのです。
「去年より大きなツリーも買うわ。部屋一杯をクリスマス一色にする」
そして妹の礼子さん一家も招いて盛大なパーティをしたら楽しいだろう。
高級なプレゼントに妹も甥達も目を丸くすることだろう。
そう考えるだけで楽しくなるのです。
2007年12月19日 南青山でクリスマスのお買い物
そう言えば、冬休み前にママ友が言ってたっけ
「今年の恵比寿ガーデンプレイスはバカラのシャンデリアがすごいらしいわよ」と。
それなら絶対に見に行かなくちゃ。
そこで、突如東宮職に「恵比寿へ行く」と言い放った雅子様。
「恵比寿?何しにいくの?」と皇太子様はおっしゃいましたが、雅子様は
「クリスマスなんだからイルミネーションを見に行くに決まってるじゃない」とお答えになりました。
「でも、そんな所は沢山の人が集まるんだろう」
「だから何?関係ないわよ。皇宮警察がいるでしょ」と。
東宮職は仕方なく、マスコミを呼び、「一般客にわからないように取材を」と要請しました。
本来は、恵比寿ガーデンプレイスでイルミネーションを見たら、その足ですぐにウエスティンホテルのレストランで夕食をとるという日程だったのです。
しかし、マスコミが隠れて取材しているのを知ってか知らずか、東宮一家は堂々とバカラのシャンデリアの前で記念撮影を始めたのです。そして皇太子様や雅子様はそれぞれのカメラを出してパシパシ撮り始めました。
最初は全く一般客も気づかなかったのですが、さすがに一家が動き始めて気づき、ざわざし始めました。と、同時にSPが突如現れ、皇太子様達をぐるりと囲み、そのまま移動し始めたのです。
庶民は蹴散らされ、あるいは東宮家を追いかけるマスコミとぶつかり、せっかくの楽しい夜が一瞬でおじゃんになってしまう。
そんな国民からは別世界にいるような雅子様は、回りも見ずににこにこと移動し始めたのでした。
2007年12月21日 恵比寿ガーデンプレイスクリスマス・イルミネーション
2007年12月23日 天皇誕生日
そして、天皇誕生日。夜の「お祝い御膳」の後、またしても東宮家は外出し、今度は六本木のイルミネーション見物をしたのです。
さすがに、これにはマスコミも黙ってはいず、「東宮家はご自分達が動いたらどんな影響を与えるのかわかっているのか」と東宮大夫にくってかかりました。
しかし、大夫は涼しい顔で「両殿下はマスコミがどこにいるのかおわかりにならなかったようです」とにっこり笑いました。
12月24日のクリスマスイブには、池田礼子邸で、派手なクリスマスパーティが開かれました。勿論小和田家のご両親も一緒です。
東宮御所のクリスマスツリーは結局、東宮職員の目を楽しませただけで早々に片付けられてしまいました。
2007年12月27日 両陛下主催の昼食会
こういった行動は、普通は両陛下から「お叱り」を受ける筈ですが、雅子様は叱られるどころか、昼食会では「イルミネーションは楽しかったの?」と皇后陛下に聞かれ、「そりゃ、バカラですから」と得意そうに雅子様が答える始末。
普通なら、聞かれただけで「しまった」と思う所ですが、まるっきり天然の雅子様の得意気な雰囲気にはもう誰も逆らえないのです。
もし、ここで注意などしたら、今度は何ヶ月ひきこもるかわからない。
両陛下はそれを恐れていたのでした。
2007年12月28日 動物のお医者さんとフランス料理店「ロジェ」に
それをいいことに、皇太子夫妻は年末。
ピッピとまりの主治医を招いて、高級フランス料理店「ロジェ」で夜8時半から午前0時まで食事を楽しまれました。
三ツ星で有名なロジェ。
予約を取るのも一苦労なのに、東宮の威力はすごいもので、たまたま主治医が「ロジェの店長と顔見知り」だったのでいともたやすく店に入り、閉店が9時なのに、真夜中まで延々とワインを飲みほしたのです。
このような贅沢が東宮家に許される事自体、異例ですし、しかもマスコミに取材されていたとは。
さすがにこれは雅子様も予想外の事で、「マスコミってゴミだわ」とののしり、またも大野先生に長電話をして何とかおさまったのでした。
2008年1月1日 天皇一家
自由と皇室の立場を両方求める自体がそもそもおかしな事。
私達も同意しますが、アゲアゲの今はどう思われているのでしょう。
「ソーカとマスコミは使いよう」でしょうか。
ご自分も「高級なゴミ」ですけどね。
最後の積み木遊び、愛子さまは何をしているのでしょう?
悠仁さまの邪魔をしているようにしか見えませんね。
イ・ジ・ク・ソ・ワ・ル・イ
こんな人が親王殿下を育てる事が出来たのかと思うと甚だ疑問。
そういう意味でも内親王で本当に良かったと思います。
お喋りで纏まりのない話を聞くのは大変で面倒だから、ソコソコで「ハイハイ分かりました」となるんでしょうね。
この頃の映像は好き放題出来ていたせいなのか、とても傲慢な嫌な表情をしていますね…2人とも。
医師も皇太子も腫物に触るような扱いだったんですね。
それは雅子さんの言動を認めるって訳でなく、
キレられたら面倒、正直、何をしでかすか怖いという
周囲の思いがあったから、という事が良くわかりました。今までの皇族の中で、これ程、訳のわからないわがままな人物は初めてでしょう。
適応障害って便利な言葉です。だって全て周囲のせいにできますから。でも障害ですよね。 つまり 皇族の世界では、障碍者という事を医師が認めたってことになります。残念、雅子さん。
でも他の障碍者の方々と一緒、などと不遜な考えは持たないで頂きたいですね。
だって、自ら、皇族の世界での障碍者になりたがっているのだから。
写真左側,首もとを雅子さんが手で触れてる場面
犬の顎が怯えるように引けてますね。
その下の前足をおさえてるのも,まるで足を引っ張っているようだし犬も思いっきり顔を逸らしてますね。
きっとそちらの方向に普段世話をしてくれている人が居るのでしょう。
だって全然懐いてませんものw
そもそもリードが短すぎですけどね。
最大の災厄は小和田雅子。