茉莉花さんからの質問「元号は必要なんですか」
うーん。難しい問題ですよね。個人的には必要だと思っていますが。
講演会に来てくださった方にはもうお話し済ですけど、
日本で初めて使われた元号は「大化」ですね。
皇極天皇の時代。
それまではなかったので、どうやって年月を記していたのか・・・・
「王の御代」だったんでしょうかね。
それはいいとして、元号はその時々によって結構変わっています。
江戸末期なんて
「文久」が4年、「元治」が2年、「慶応」が4年ですよ。どうやって覚えていたんだか。
短い方がおぼえやすかったのかな。
なんでころころ変わったかといえば、天皇も変わるし、政権も変わる、縁起がどうのとか
そのときの気分で変わっていたような。
明治になって「一天皇一元制」になり、今に至っているのです。
明治維新の時に西暦だけにならなかったのは奇跡的ですね。
お役所ではほとんどの書類が元号で記されています。
元号を使わないのは障害者のETC割引くらいなもの。
それが便利だからっていうより「それが決まりだから」ではないでしょうか。
外国人の在留カードは西暦ですよね。
でもまあ、住民票などの取得時に頑張って元号で書いてくれる人もいます。
元号は日本オリジナルなものになりましたが、もともとは中国のもの。
真似たというか、同じようなものをうちもあるよ・・・って始めたんじゃないでしょうか。
日本、朝鮮半島、ベトナムなどで使用されてきたそうです。
でも、現在は日本だけ?
お役所では若い人が元号を使えなくなっている現実があります。
外国人が頑張って元号を使うのに、日本人の10代や20代が使えないのは
何とも皮肉なことで。
元号って不思議です。「明治」「大正」「昭和」「平成」というだけで、その時代の
空気を感じるというか、「総じてこの時代はこうだった」という事がわかる
魔法の言葉ですよね。日本人にしかわからないと思いますけど。
これを「退位すれども元号変わらず」とか「ころころ退位して元号変わり」だと
どっちも不都合を感じるのです。
天皇は、回りが摂政でいいというのを「摂政ではだめなんだ」と言い放ったとか。
何でよ・・・・どうしてよ。
かりに「(徳仁親王が)摂政ではだめなんだ」って事なら「文仁親王を摂政にして
自然な形で徳仁親王を廃せばいいと思うんですけど、天皇の思惑はそうでは
ないという事ですね。
あくまでも「徳仁親王」→「愛子内親王」へ繋げたい。
それが21世紀の皇室の在り方であると思っているんでしょう。
皇后はカトリック信者で左翼思想の持主。
皇太子妃は外務省創価学会で左翼思想の持主
皇太子は習近平夫妻と、藩基文が大好きで売国思想を持つ左翼
天皇は言いなりで左翼思想の持主。
共産党、公明党、民進党の支持を集めるとんでもない4人組なのでした。
「元号が必要か」というお尋ねに関しては、「元号で統一しているものを、西暦に直すには、システム的にかなりの経費がかかる」ということも大きいと思います。
どこの公的機関にも「予算」があり、それを大きく上回ってしまいことには、難色を示すのではないかと。システムの改変というのは、我々が思っているよりも、かなり高いものなのです。
わたくしごとですが、このたび運転免許更新してまいりました。でっかく帯に「平成33年○月○日まで有効」と書いてあるのですが、それを見て、「果たして『平成33年』はあるのだろうか?」と、素朴に疑問に思ってしまったのでした。
天皇家というものも政治に利用されてしまうものでもありますが・・
安倍政権では全く憲法や皇室典範を変える気がありませんので・・このまま粛々と時間稼ぎすると思います
いつもブログの更新ありがとうございます。
元号は必要かと私も考えてみた時に、青山繁晴氏(現在自民党参議院議員)の話を思い出しました。
青山さんが中東に行った時に、現地のアラブ人に
「お前たちにはオリジナルのカレンダーはあるのか」
と聞いて来て、青山さんは
「私たちには皇紀というものがある!」
と答えたそうで、するとアラブ人は
「さすが日本人だ!誇り高い!西洋の文化に支配されていないんだ。」
と尊敬の気持ちを持ってくれたそうです。
何回かお話しになっているのを聞いて覚えていた話なので、細かいところは正確ではないかもしれませんが大筋は合っていると思います。
元号についてもこの話に出ていたような気もするのですが、忘れてしまいました。
でも元号も同じことが言えるのではないかと思います。発祥は中国でも、元号自体は天皇ごと、日本人が考えますよね。
これも立派なオリジナルカレンダーなのではないかと思います。
それと青山さんが海外で天皇というご存在を説明する時に、「京都御所にはお堀がない。これは民を信用されているから、常に民と共にいらっしゃるから、ヨーロッパの王室のように民を支配して君臨するわけではないのでお堀も城壁も必要がない。日本の天皇はかつて、民の家のかまどから煙が上がらないのを心配して、ご自分はボロボロの物を着て質素にお過ごしになりながらもまたかまどから煙が上がるまで数年税金を取ることを止めた」という風に話をするそうです。感動して涙を流す人もいるそうです。
だから今、天皇皇后両陛下が元武家の城にお住まいになっていらっしゃるのは間違いで京都御所にお戻りいただくべきだ、と青山さんは主張しています。そして、天皇というご存在は私たちが作ってきた大切な文化なのだと。
日本人は昔から天皇と共に生きて、また天皇も民の為に、民と共に生きるご存在ということを考えると、私たちが大切に守り続けてきた天皇と共に元号は必要なのかなと思います。
でも、今の内廷はどうでしょうね。
国民と共に、なんてご自分で仰っているけれど、とてもそんな風には感じられないし、多くの国民の心は遠く離れてしまいました。
平成という元号も何だか形ばかりで虚しく感じる。
それでも、私はなるべく仕事でも元号を使い、ずっと日本人が守り続けて来たものだから、大切にしていこうと今回の記事を読ませて頂き決意しました。
また、皇室の伝統を破壊するということは、私たちが守り続けてきた文化を破壊するということ、これは許されていいことではないと改めて感じました。
明治
大正
昭和
この元号で確かにあの頃は、あの時代はこうだったよね
という総括的なことに思いを馳せることができますね。
もちろん
平成も。
天災が多かったなって!
私も元号が必要ではないとはおもいませんが、コロコロ変わるのは嫌だなあと思います。
一天皇一元号。
こうやって考えていくと
本当にどうして摂政ではいけないのでしょう?
平成だけれど皇太子が摂政。
でも不幸に逆縁で皇太子が天皇になれなかったら
だから生前退位したいのかな?
なるちゃん元号欲しいのかな?
摂政は天皇ではないので、天皇の祭祀を正しく行うことができません。今上が百歳まで生きたとすると、徳仁は七十過ぎ、やっと天皇になったと思ったらもう高齢のため祭祀は困難、なんてことになりかねません。だから摂政じゃだめなんです。徳仁が五十代のうちに譲位して、天皇の祭祀をちゃんと継がせたい、これが今上のお気持ちだと私は信じています。
昭和天皇の場合、欧州七か国歴訪の計画と並行して、ご高齢の陛下のご負担軽減と称して祭祀の簡略化が始まりました。昭和五十年には、祭祀の最中にお倒れになる事件がありました。アメリカに行けるくらいお元気だったにもかかわらずです。
宮中祭祀は海外ご訪問よりも負担が大きい、これは天皇のあり方について考える上での大前提だと思います。
古来、元号以外に年を表すのに使っていたのは、十干十二支という方法です。
甲乙丙丁…の十干と、子丑寅…の十二支を組み合わせて60種類の名をつくり、用いていました。
60年後には同じ名前になってしまうのですが、間が60年も空いていれば間違えることはなかったそうです。
○○の変、など事件の名称にも使われています。
また、過去の出来事を表すのに天智○○年、桓武○○年、など天皇の名称を冠した表記方法もあったと思います。
今では一天皇一元号で天皇の死後、元号をそのまま贈っているので、形としては後者と同じですね。
西暦が国外から入ってきて、国際化が進み、さらにコンピュータやネットのの普及で元号は使いにくいかも知れません。
しかし慣れれば元号と西暦は共存できると思います。併記することを続けていけば良いのではないでしょうか。
確かに合理的ではありませんが、元号使用の文化や伝統を維持するには合理性を多少は無視する必要があります。
元号を廃止せずとも、併用嫌がる外国の方に強制さえしなければ併用でよいと思います。
昭和の時代は良かった、明治時代はこうだったと区切るを付けることができますし、その都度大行天皇の諡号を考えなければなりません。
又、未だに公式文書や〇〇状などは、縦書きですから、これを筆を使って西暦で書くとなると、バランスが悪いと思いませんか。(二千十六年、二千五十八年など)
日本風の元号の前は、五年、八年といった、それぞれの天皇の御代での年号と同時に中国より導入された干支でそれぞれの年を表していました。(丙午や庚申など)
尚、何とか(漢字2文字や3文字)天皇という御名は、後に付けられたもので、その当時は、天皇を指す場合は、単に「スメラミコト」や「ミコト」という呼ばれていて、ワカタケルやオオハツセなどの諱(皇子時代からの)を持っていました。
明治製菓、大正製薬、昭和てんぷら粉の昭和産業など、元号も企業の名前付けに一役買っています。
元号を持ってる国ってなんか独自な歴史があるぞって感じられますよね。台湾に行った時「民国○年」って其処此処で目にして『おお、辛亥革命!』(←なんちゅう感想)って思いましたし。教科書の中ではなく、歴史が身近にあるんだなって感じられました。
とはいえ実生活では元号はほぼ使いません。面倒ですもの。
宝塚歌劇団ができたのは1914年だよ〜と人に説明すれど、大正三年にできたんだよ〜と言ったことはおろか、考えたこともありませんでした(笑)
あと、確かに明治、大正、昭和、平成というとその時代の空気感は感じますけど、断絶感もありませんか?
大正末期と昭和初期なんてなにも違いそうに無い気がしますけどね、世の中の動き的には。
別記事ですが、歴代エリザベートの考察シリーズ、楽しく読ませて頂いております。
由緒もあるし、西洋化されきっていない所も誇らしいのですが、実際問題としては混乱したり煩雑な面もあることは確かなので実用面での整理をしてほしいなとは思います。
外資系の企業では使えないような気するけどどうなんでしょう・・・・・?
それにしても・・。
「平成」はたいへんだったなぁ・・・。
患者さんの中には、西暦と平成が、ごったになってます。
たとえば、患者さん自身、手術や病歴とかだと、はっきり記憶してなくて、、、
そして、最近、受診の外国人も多いんですよね。