ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇室ウイークリー

2015-01-17 18:45:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

1月9日・・・・両陛下 → 講書始めの儀

                講書始めの儀関係者に会う

      天皇陛下 → 通常業務

1月13日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

               「2015年ハンセン病の患者,回復者,その家族に対する差別の撤廃のための

               グローバル・アピール」について説明を受ける

      天皇陛下 → 通常業務

1月14日・・・両陛下 → 歌会始めの儀

                歌会始めの儀の関係者に会う

                兵庫県行啓について説明を受ける

1月15日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

        皇后陛下 → 樫本大進&エリック・ル・サージュ鑑賞

 

皇太子同妃両殿下

1月9日・・・皇太子殿下 → 講書始めの儀

1月14日・・・皇太子殿下 → 歌会始めの儀

                   (「防災・減災に関する国際研究のための東京会議」開会式パネル会議

1月15日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

                   第3回コチア青年三世研修訪日団に会う

 

秋篠宮家

1月9日・・・両殿下・佳子内親王 → 講書始めの儀

       紀子妃殿下 → 結核予防会に会う

1月13日・・・紀子妃殿下 → (「新愛育病院開院記念式典」について説明を受ける

1月14日・・・両殿下・佳子内親王 → 歌会始め

        紀子妃殿下・佳子内親王 → 第14回東京国際キルトフェスティバル~布と針と糸の祭典~」

                           について説明を受ける

1月15日・・・佳子内親王 → 多摩・武蔵野・武蔵野東陵参拝

 両陛下は阪神・淡路大震災から20年目の1月17日、式典に参加する為

  16日に神戸入りされました。

確か、週刊誌などではこの「20年」の節目には皇太子夫妻が式典に出席する

だろうと言われていました。

それがあっさりと両陛下に決まってしまったわけです。

15年目の時は皇太子夫妻が出席しています。

当時、雅子妃は式典で涙を流していたのに、それが終わると笑っていた・・・・とか

それが不評だったのか、それとも「ドタキャン」の可能性が嫌われたか、

はたまた、震災の翌日に中東に行って紅白ドレスを着、ラクダレースに興じていた

事が嫌悪されたか。

そういう事、皇太子夫妻は微塵も考えないんだなあ・・・と思うと、情けなくて。

だけど、もっと腹が立つのは堂々と尻拭いしてしまう陛下で。

いっそ、秋篠宮にふればよいものを。

天皇の仕事を宮家が代行できない・・・・とするなら、いちいち、東宮家の仕事を

陛下に格上げもしなくていいはずなのに。

 

 再掲載 韓国史劇風小説「天皇の母」震災編 (フィクションだけど)

 

1月17日。早朝に神戸を中心とした大地震発生。

情報の遮断で首都圏には

正確な情報がなかなか伝わらず。

1月18日。東宮夫妻が出発の為に参内。

マサコは出発前の記者会見において

国内でこういう事が起きている直後に国を離れるという事は大変・・

しのびないという言葉がよろしいんでしょうか・・・

そういう気持ちでございますが

あちらにおりましても国内で苦しんでおられる方々の事を忘れず、

一刻も早く立ち直られる事日々、祈っております」

多くの国民もマスコミも、その言葉に偽りがあるなどとは思っていなかった。

誰もが「以前から決まっていたのだから仕方ない」と理解したし、むしろ日本の為に

頑張って欲しいとすら思った。

一部の識者達が「訪問を中止すべきだった」と雑誌に書いても誰も耳を貸さなかった。

 

1月21日。夫妻はクウェートに到着した。

皇太子もマサコも日本国内での暗い雰囲気から抜け出した喜びで顔が輝いている。

特にマサコは中東の豪華できらびやかな装飾に心を奪われた。

やっぱり石油の国はお金持ちね。ここに比べたら東宮御所なんて紙で出来たボロ家だわ」

早速クウェートのジャビル首長を表敬訪問。

この時、マスコミはマサコが着ていた衣装に一瞬、目を疑った。

それは鮮やかな真っ赤なドレス。

そして大きな真っ白のショールをはおっていたのである。

胸元のネックレスも白で、誰が見てもそれは「紅白」だった。

マサコは豪華な衣装を身につけた事で気分が高揚しており、いつになく喜色満面。

金に糸目をつけないゴージャスなもてなしにうっとりしている。

紅白・・・って。そりゃあないんじゃないか?」

同行取材の記者達はかたまってしまった。

「だって日本では・・・」

衣装は最初から決まっていたんだから仕方ないだろう」

でも何となく能天気っていうか、震災が起きてからまだ4日だぜ。なのに皇太子も妃殿下も

あんなに嬉しそうな顔をしてさ」

陰気な顔をしたら失礼じゃないか」

でも・・・と思う。一切の陰りがない、まさに水を得た魚のように生き生きと首長と会話し

明日の観光について様々な質問をする妃の姿は、日本では見る事の出来ない姿だった。

マサコは去年から「風邪」と称して公務を休みがちだった筈。

外国に来ただけでこんなに元気になるとは

マスコミにとってそれは「最初に感じた違和感」だったのかもしれない。

1月22日、クウェート内の博物館を訪問。見事なピンク色のスーツで置いてある沢山の

お菓子に手を伸ばすマサコの姿をマスコミはとらえた。

マサコにとっては全てが夢のようだった。

金銀にルビーにサファイア。世界中の宝石をあしらった様な豪華な建物の数々。

高い天井、きらきらした衣装。日本では見た事もないような、華やかで重厚な部屋。

水さしですら金で出来ている。シャンデリアの輝きはヨーロッパの宮殿を思わせるし

エキゾチックな砂漠の景色、最高権力者達から最高のもてなしを受ける喜び。

まるで・・・おとぎ話のお姫様になったようだ。

ここでは「ダメ」という事がない。

博物館にお菓子がたくさん並べられている事でもわかるように、全て「お好みのままに」

という雰囲気である。

夕食に何かお望みのものは?」と聞かれたので冗談半分で

リードヴォー」と答えた。

皇太子は「リードヴォーって?」と尋ねる。

仔牛がミルクを飲む時に使う内臓の一部よ。大きくなると消えちゃうの。

ちょっと珍しいけど西洋料理にはよくつかわれるわ」

へえ、マサコはそういう事もよく知っているね」

皇太子は感心して頷いた。彼もまた国内を飛び出した解放感にいささか酔っている。

なにせ、ここに来る直前の日本と来たら、一日中関西の地震の話ばかり。

笑ってはいけないような雰囲気が漂い、れっきとした公務での外国旅行なのに

犯罪者が逃げるような思いで飛行機に乗らなければならなかった。

クウェートに到着したら乾いた風とサンドベージュの景色が心底心を癒してくれる。

結婚して以来、マサコと東宮職の間で気持ちが休まる暇がなかった。

何がどうしてこんなにもめるのか?というくらい。

でも、ここではマサコはいつも上機嫌だし、同行している侍従も女官も何も言わない。

それが嬉しかった。

その夜のサアド王太子主催の晩さん会では、見事にリードヴォーが出てきて

マサコはびっくりしてしまった。

こちらにはないものなのでフランスから空輸させたんですよ」

さすがにお金持ちは言う事が違う。マサコは目を輝かせた。

私達のような階級の人間は、民の幸せを守る事も仕事ですが一方でアラーの

神の恩恵を受ける事も出来る。こんな風にね」

ええ。素晴らしいわ」

皇太子の物言いはマサコの理想そのもの。ハイソな人間というのはこんな風に

贅沢を楽しむもの。贅沢を楽しむ事に躊躇しなものなのだ。

 

名残惜しいクウェートを出て23日にはアラブ首長国連邦へ移動。

痛い程照りつける砂漠の太陽の光も今のマサコには少しもつらくなかった。

大胆な色使いの服を着ても変に目立つ事もないし、むしろ賞賛される。

早速、遺跡見学では夫婦でカメラを抱え「どこの景色を撮ったらいいか」と

相談し合った。

結婚してこんなに話をするのは初めてかもしれなかった。

ここでのもてなしもクウェートに負けないくらい素晴らしかった。

ラクダレースは予想以上に興奮するもので、それを特等席でワインを片手に見る贅沢さ。

25日にはハリファ王太子と一緒にサッカーを見る。硬い椅子の席なんかじゃなくて

びっくりする程ふかふかの椅子で、テーブルにはごちそうが並んでいる。

さらにドバイ・クリークを見学し、夜に会食。

そこで出た料理も食べ切れるものではなく、とにかく「これでもか」という程

ごちそうが並べられる。それがこちらの風習なら、何と羨ましい事か。

もはや日本での震災の事など彼女の頭の中からはすっぽりと抜け落ちていた。

 

そんな日本の皇太子夫妻のくったくのない喜びように、次第にアラブ側が焦り始めていた。

自分達の提供する「石油産国ならではの豪華なもてなし」をこのうえなく喜んでくれるのは

いいのだが、その間、全く憂いを見せない事にむしろ「違和感」を感じたのだ。

もしかしてあの皇太子夫妻は我々の為に、無理して笑顔を作っているのではないか」と。

自国での震災を心配する様子すら見せない完璧な笑顔は日本人特有の気遣いではないか」と。

それなら、アラブ側としても誠意に答えなくてはなからなかった。

日本はこれから先も重要な取引相手なのだし、これ以上引き留めてあれこれ連れまわす

事はむしろ拷問に近い筈だ・・・そう考えたのだ。

26日のヨルダンでの晩餐会の席。

きらびやかな照明と大勢着飾った人達、豪華な料理を目の前にして、

ひたすら雰囲気に浸っているマサコの耳に突如、フセイン国王からとんでもない言葉が

聞こえてきた。

お国の事がご心配でしょうから、どうぞお帰り下さい」

その言葉に皇太子は、ちょっとほっとした様子で「ありがとう」と答えた。

こちらに来て、毎日サッカーだラクダレースだ、見学だ・・・と現実を忘れる出来事に

皇太子は少しずつ罪悪感を覚えていたのだ。

まだそのくらいの分別が残っていた事に、随行員はほっとした。

しかし、マサコはそうではなかった。

何でもう帰るの?あと2日残っているじゃなの。死海だってまだ見てない。

ここまで来て死海を見ずに帰るなんてありえないでしょう」

あちらの気遣いなんだよ

とうとうこの日がやって来たか・・・・またも皇太子はげそっとしてうなだれた。

たった数分前までの上機嫌な顔が一気に怒りに変っている。

神戸の震災の被害は日々広がっているんだって。その数が戦後最大になるとかいう

話なんだよ。日本は今、真冬だし、住む家を亡くした被災者が救助を待ってたりしているとか。

だから我々も早く帰って・・・」

そんなの私達には関係ないじゃない!」

マサコは叫んだ。御付の女官がぎょっとする。

私たちは仕事で来たのよ。皇室外交っていう仕事。地震の被災者がどうのっていうのは

その当事者が考えるべきで、私たちは私達の仕事をすべきでしょう。

あと2日残っているのに、こんな事で帰る事自体、相手国に失礼だし不本意です」

その相手国から帰った方がいいと水を向けられたのだから、それに従うべきで」

何よ。みんなして地震地震って・・・・何で私の仕事を邪魔するのよ」

マサコはちくちくと爪を噛み始めた。

マサコ、爪を噛むのは・・・」

だったらあと2日、何とかしてよ」

それでもどうにもならなかった。

 

27日。遺跡見学を終えて飛行場に向かうのに見送ってくれたのは

サルワット妃だった。

日本の大きな地震災害には私達のとても心を痛めておりますわ。

私達の友好関係でお互いに助け合ってまいりましょう。何でもおっしゃってね」

優しいサルワット妃の言葉に皇太子はにっこりほほ笑む。

ありがとうございます」

お国はきっと復興しますわ。信じています」

ええ。そうですね

力強い妃の言葉に対して皇太子の返事はどことなく気持ちが入っていない。

それもその筈、皇太子は横で不機嫌に黙り込んでいるマサコが気になって仕方なかったのだ。

朝から一度も会話をしてくれない妻。

皇太子はそんな妻の態度がひたすらサルワット妃に伝わらないように冷や汗をかきつつ

笑っていた。

1月28日に日本に到着した。飛行機の中から見えた日本の景色をマサコは懐かしいとも

思わなかったし、関西方面へ目を向けようともしなかった。

 

 

 


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10 コメント

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暗澹たる思いですね (しまき)
2015-01-17 19:57:56
再掲、ありがとうございます。私、このころ読んでいないので、新鮮な気持ちで読ませていただきました。本当によく捉えておられる!いつもながら感心してしまいます。

しかし、暗澹たる思いになってしまいます。
どこかで読んだ話ですが、両陛下は、このまま、静かに、皇室を閉じる方向に持っていきたいのでは、と。
思いもしなかったけど、そう言われてみると、そんなふうにも最近感じてしまいます。私が一番危惧している方向です。

公務しない東宮。
その分、頑張らせられる秋篠宮家
頑張るために、努力すればするほど、どうしたって、職員は働かせられます。
そうすると、週刊誌で秋篠宮家をバッシングする。全く、情けない世の中です。
これで、秋篠宮家が「やーめた」となったら、皇室、おしまいですね(泣)
てか、お倒れになられてもおしまいです。
天皇皇后の頑張りにも、「なぜそんなに……」と思ってしまいますよ。皇太子に振らないで、自分たちで抱え込んでしまうって一体……

こんな話もあります(実話です)
ガールスカウト
雅子さんが名誉総裁(この辺ウロ。名誉的トップの立場)でした。でも出たのは初めの数年だけ。あと出ません。
そして、数年前から、紀子妃が、ガールスカウトのお仕事を引き受け始めました。

こうやって、本来東宮のお仕事であるべきものを、やらないから、秋篠宮家でまかなう。
そうすると、「過剰適応」とか叩かれる。

情けないです。本当に本当に本当に!
Unknown (春篠)
2015-01-17 20:50:26
昨年の11月に皇居の勤労奉仕団に参加した友人が
帰ってきて言っておりましたが、
皇太子の厳しい顔が今でも浮かんでくるそうです。
天皇、皇后はあのままの優しいお方だったそうですが、
皇太子が挨拶の時は、ハッとする程の厳しい顔して
こられたそうです。
殿下の自覚はないのでしょうが、いつも家で雅子さんに
責められて、皇居に居る時は、心やすまらないのでは
ないでしょうか?
そういう境遇を打破出来ないでいるのではないでしょうか?
それほど雅子さんは強い気質の方なのでしょうね・・。
マサコサイテー。 (ちゃちゃみ)
2015-01-17 21:09:08
あの大震災の時、オウム事件もかすむほどショックを
受けました。、国民全員が喪に服し、心を痛めていると
ばかり思い込んでいました。

マサコ・ヒがラクダレースで大笑いし、楽しんでいる写真はあの頃はつゆ知らず、知った今は怒り心頭です。

お付きの人たちも不適合のヒに意見できないのなら、
国民に実態を隠さず、ありのままにさらけてほしかったです。もう、サイテーサイテーサイテー!!!と叫びたいです。
Unknown (kiwa)
2015-01-17 21:31:02
ふぶきさま、まるで秘蔵の同行ルポルタ-ジュを再掲して下さったのかと思いました。某画像掲示板の映像と照らすと写真は嘘をつけません。まったく小説の通リですね。あのサルワット妃のお見送りであからさまにぶんむくれたあの方の写真の下品さを見て愕然としました。真っ赤なドレスに白いスト-ルをはおりこれでもかというくらいの得意満面のドヤ顔、恥かしいやら情けないやら。当時はよく知らなかった事柄がネットを通してどんどん炙り出され皇室の歪みを国民個々人の意思で検証出来るようになった事も何かの巡り合わせなのではないかと思っています。

美智子皇后は20年という節目の阪神淡路大震災追悼慰霊式を目前に控え、おひとりでヴァイオリンとピアノコンサ-ト、お慎みのお心映えとはとても思えません。

しまきさまの一番危惧していらっしゃる方向性の内容、何処でだったか私も目にしたことがあります。筆頭宮家の姫宮さまお二人がICUを選択なさったのもその準備の伏線ではないかというような恐ろしいシナリオでした。でも皇室を閉じるというのは日本の歴史を断絶するということに等しい訳ですから、いくらなんでもそのような横暴が一時代を担っているだけの今上にあってはならない事だと思います。私は、先の歌会始めの秋篠宮さまのお歌に込められた皇統を継承することの責任感、また日本の歴史を背負っていることの使命感に半端ではない意思の強さを感じ胸が熱くなりました。まともな日本人なら皇室の存続を願っている人々ばかりだと信じたいです。

天皇とは何か?というお話がありましたが、天皇は日本の歴史の縦糸、そして時代時代に生きている民は横糸そのように歴史が流れ天皇、皇室を礎に伝統文化が培われて日本という形になってきたのではないかと思います。たとえば外国人に日本の歴史について簡単に説明して欲しいと言われた場合、天皇を抜きに日本の歴史は語れません。天皇とは日本そのものなのです。
秋篠宮様の後押しを致したい。 (重陽)
2015-01-17 23:24:12
最近、貞観の詔(貞観大地震の時の詔)を読むと言うか、眺める機会がありまして、もう、涙ボロボロでした。
漢文ですので、字面で判断しました。同時代の何処の皇帝や国王が、こんな有難い言葉を発し、実行してくれたか!
皆様、一度御覧になってみてください。
是こそが本来の皇室であり、天皇です。
今、天皇と皇室は消滅寸前です。それは本来の日本が消えてしまう事になります。
それだけは防ぎたい。其の為にも現東宮の蟄居。其の後、秋篠宮殿下の立太子、或いは摂政への道は必須です。
そして、本当の日本人による日本の為の憲法改正!
フィクションでしょうが…(笑) (almondeye)
2015-01-18 03:18:53
ふぶきさん、国民は何故こんなとんでもない女を“次期皇后”に認めてしまったのでしょうか…?
マスコミに操作されたといえ、昭和天皇の反対の声よりも“ポンコツ東宮”の一途さ(しつこさ?)ばかり美談めいて報道され信じてしまいました。
婚約が決まった頃…実はよく私魔左子さんと似ていると言われ“吉兆東京店”で従業員の方に“先月から二度も続いていらしていただき…”と言われました。
昔からの習慣は東宮妃になっても変わらないんですね~。
私が子供の頃は、美智子様がお可哀想な報道が多かったと思いますが…梨本宮伊都子妃のおっしゃられた事は正解だったのかもしれませんね…。
お子様の中で、紀宮様が一番優秀であったと聞いた事があります。
そして、個性的な秋篠宮殿下が天皇家のDNAを受け継ぎ、出目は平民でも妃殿下に相応しい方を選んだのかもしれません。
セルフプロデュース出来る程の“眉目秀麗・頭脳明晰”なお妃様の日嗣の皇子が凡庸だったとは…(-_-;)
香淳皇后や妃殿下方はさぞやガッカリされているのでは?!それとも…“だから、反対したのに-_-#”とおっしゃっているでしょうか?(●>皿
Unknown (ふぶき)
2015-01-18 12:01:31
皆さま、コメントをありがとうございます。
春篠様のお言葉はなるほどーーと。
勤労奉仕団に会釈する皇太子は
怖い顔なんですね。
Unknown (Take)
2015-01-18 17:40:59
新年一般参賀は午後からの一回のみ。
歌会始中止。
小難しい祭祀も中止、やりたければ秋篠宮家が。
大膳には和洋中フレンチのシェフ。
買い物やら遊びの時は当然貸し切り。
誕生日だの成年だのは文章のみ。
災害がおきても秋篠宮家よろしく、私達はぬくぬくの部屋で肉食べながら黙祷するから。
出掛ける時はソーカのみなさまお出迎えと「お綺麗~。」の声よろしくね。
あまりわがままも悪いから海外は一年に4回ぐらいでいいわ。


こんな時代が迫ってきてます。
Unknown (主婦)
2015-01-19 21:24:00
アラブでの事、

食事のリクエスト、
馬も、貰って帰ってきたのですよね?!

アラブ種の貴重な馬、
その後、
日本での交配も、きちんとできず、
一頭だけが、生まれたのかな。

産まれた馬を去勢して、
アラブの王を落胆させた。

慰霊もできない。
マナーも知らない。
恥知らず物知らず=ば・か (重陽)
2015-01-19 23:44:01
英国とアラブにしか、アハージージュに相応しい種牡馬はいなかったと言う事ですよね。
そして交配する為の費用は小さな国の国家予算並と聞いた事があります。(って幾ら位だ?億?)
ああ、そういう知識は無いよね。もしかして、おとーさまに「馬を見せて貰ったら、褒めろ。」と指示されたとか?
おかーさまに「貰える物はなんでも貰ってくるのよ。貰ってしまえばなんとでもなるわ。」って言われたとか?
おっと、一部わたしの妄想なり。
なんにしても、箸にも棒にも掛らない超弩級のば・か

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