時期不明 赤いブーツ
1979年1月1日 天皇一家
女性自身1979年1月16・25合併号
「ちいちゃなドレスとファッショングラス」
1979年3月 古式馬術鑑賞
1979年3月28日 沖縄豆記者と皇太子夫妻、礼宮
1979年4月10日 結婚20周年
1979年4月 紀宮の誕生日
1979年5月6日 国際児童年フィスティバルにて
1979年5月18日 春の園遊会
1979年8月 軽井沢の石尊岳に上る
1979年 秋の園遊会
1979年10月5日 オランダのベアトリクス王女からハグされる
ユリアナ女王。ベアトリクス王女、クラウス殿下と
1979年10月 ブルガリア・ルーマニア訪問の途中、オランダに立ち寄りアベルドールンの離宮ヘッド・アウデ・ロー城の森でベアトリクス王女と次男ヨハン・フリーゾ殿下と馬車に乗る
1979年10月7日 ルーマニア ブカレストの無名戦士の墓を訪問
1979年10月8日 チャウシェスク大統領夫妻と
ブカレスト北部の農村博物館にて
1979年10月9日 陶器工場見学を前に大きな陶器で出来た入れ物からワインを試飲
1979年10月10日 ブルガリア民族舞踊を楽しむ
1979年10月 ブルガリアのソフィアで無名戦士の墓に供花
ジシコフ国家評議会議長主催の晩さん会
1979年11月8日 明治村で列車に乗る美智子妃と紀宮
1979年11月16日 黒柳徹子さん主催の耳の不自由な人達の劇を見る
1979年12月 大相撲を見る
何かが滅びる時ってこんな感じなのかって思います。美しいものに目眩ましされて、幸せな気分にさせられて。
この方とオーストリアハプスブルク家のエリザベート皇妃とは割とかぶりますね。
家柄と矜持は天地の差があるけど、金遣いの荒さや己の美に固執するところは似てるかな。
でも美しいから良いのです。ダイアナ妃も美しいから欠点が目立たないし、今でも崇拝されてます。
この方も美人薄命よろしくあれば、伝説の后になれたのに、残念でしたね。
秋篠宮さまによると、王室外交では、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、ブータン、タイが、皇室と本当に親しい王室だそうです。
イギリス王室は、お互いに表敬的で、ダイアナ妃が訪日した時も、秋篠宮さまはダイアナ妃と話した記憶がなく、イギリス王室は、皇室にとって特別な存在ではないとの事。
イギリス王室は、ちょっと偉そうで、そんな感じですよね。
ベルギーの王妃が亡くなった時は、現在の上皇・上皇后が席次がトップだったので、エリザベス女王は、ヘソを曲げ、葬儀を欠席したのではなかったかしら?勘違いかも知れませんが…
皇室と親しいので、オランダ女王は、上記の写真で見ても歓迎してくれてたんですね。
でも、オランダ王室の母子は、訪日の晩餐会では、いつもインドネシアの捕虜の事を持ち出すから、失礼な部分がありますね。
いつもありがとうございます。
昭和天皇の時代の写真は良く礼宮様(現秋篠宮殿下)
と紀宮様(現黒田清子様)がご一緒してますね。
仲が良かったんですね。
因みに礼宮文仁親王がお生まれになり名前が
付けられたとき北海道の礼文島の方々は大変
喜ばれたそうです。
本当にこの頃からマント風やケープスタイルが始まったんですね。
小さいお帽子も登場していますね。
ふぶきさまが時系列できちんと記事をまとめて下さるので、様々な事がよく分かります。時代背景も雑誌の見出しで懐かしみながら、我が身も振り返ったりで、いつも楽しく拝読しています。
兄弟よりも次男妹の仲良しショットの方が自然で多いような気がしますね。
平成の御夫妻がやりたいようにやりきって、秋篠宮家の『我慢』とは何だったのか。コロナで大きく変わり、日本の未来の姿に皇室はあるのか。平成に裁可を下した眞子様の結婚が与えるダメージ~考えただけで言葉にしたくないですね。
なるほど、皇妃エリザベートですか。
双頭の鷲のヒロインでしたっけ。シシィと呼ばれた美しき皇妃は、自身をティタニア(妖精の女王)と称したのですよね。
他国の王妃や王女たちと比べて、自分とどちらが美しいかを気にしていたそうですね。そして共和制を進める人々を庇護したり、こういうところも美智子さまに似ていますね。
しかしなぜ皇后ではなく皇妃?
最近、手を前で組むお辞儀やバッグを両手で持つ(肘を曲げる)所作が気になっていたのですが、美智子さまが始めたエア檜扇からかもしれないというのが、画像でもわかりました。
天皇陵の参拝でも、紀宮さまは、幼少期でも、きちんと作法通り行えていました。内親王らしい内親王でした。
コロナ禍だとはいえ、愛子さまの実態の無さは異例です。
大学の授業はどうなっているのか、20歳になられるのに、実質的な公務は、なぜ皆無なのか?
成人になった時の記者会見が、楽しみです。