結婚3年目を迎えた雅子様を襲っていたのは強烈な虚無感です。
皇室外交とかいいながら中東に2度行ったきりであとは国内をあちこち歩くだけ。
しかも、いつも人に見つめられ、苦手な事をあれこれさせられる。
雅子様の不得意なこと
・人前で話す みられる
・興味のない話をしなければならない
・礼儀作法
・歌を詠む
・場の空気を読む
・場にふさわしい言葉を発する
苦痛が顔に出ているよ・・・とどこかで誰かに言われているような気がする。
1996年1月12日 歌会始めの儀
雅子様が詠んだのは「もろ手もちひたすら花の苗植うる知恵遅き子らまなこ輝く」
で、これは発表する事を止めた方がいいと言われました。
「どうして」
「知恵おそき子」という言葉が少し差別的に思えるからです。以前はそんなに問題にはならなかったこの言葉も現代では少々問題があるのでこの歌ではないものを」
「これ以外の歌なんて詠めないから」
雅子様は紋切り型にそういうと、ぷいっと横を向いてしまわれた。
障害者施設での子供達が一生懸命に花の苗を植える姿がよかったと素直に詠んだのに、ケチを付けられて雅子様はかんかんになってしまいました。
結局そのまま発表されたのですが、わざわざ障害者を「知恵遅き子」と呼ぶのは、どこか上から目線で侮辱的に聞こえたのではないかと。宮内庁ははらはらしながら聞いていました。
もし、お子様がいたらもう少し「知恵遅き」と呼ばれる子の身になって考えるのではないかと。
1996年1月17日 阪神大震災1周年の追悼式典
早いもので、あの震災から1年。
という事は中東訪問から1年経過したと言う事になります。
1年も外国に行ってない・・・雅子様にとってはありえない出来事でした。
嫌々ながら被災地に行った事が思い出され、それを懐かしい中東へ思いを寄せることで乗り切ろうとした雅子様はうっすらと微笑んで式典に臨んだのですが、その「笑み」がこれまた「辛い思いをしている人達を見て笑った」と言われ、雅子様は本当に嫌になってしまいました。
1996年2月23日 皇太子36歳の誕生日
誕生日の記者会見でも「ご懐妊」については触れられず、雅子様はただ「子供の事もかんがえなくちゃいけないのはわかってるけど、それ以上に私に課せられた皇室外交の仕事をしなくてはと思うのです」と答えました。
「雅子妃のこと」は実は宮内庁でも千代田でも大きな問題になっているのです。
それは、一向に「懐妊」の兆しが見えないこと。
早くおめでたで紙面を埋めたい週刊誌などは、理由もなく雅子様が懐妊しない事をどう+思考で受け止めたらいいのかわかりませんでした。
「不妊」と言ってもいい頃です。
だけど、それを記事にするわけにはいかない。
だから「雅子様はひどいアトピーがあり、その治療の為に強い薬を使っていたのでご懐妊なさいませんでした。でも、治療も終了したので今年こそは」という憶測記事を載せる始末。
そして何とか「女帝」を容認させ、皇室を根本から変えたいと思っている連中は「女帝の事はどうなのか」と宮内庁長官に詰め寄ります。
今なら眞子様が女帝候補。
皇太子に子がなくても「眞子がいるではないか」と天皇がおっしゃったというのです。
「女帝はありません」と長官は何度も記者達に語りました。
本当に何度も・・・・でもそれもいつまで。
今、秋篠宮両殿下には「お子を持たないように」と皇后陛下からきつく言われている中、早く皇太子夫妻に親王を持って頂かないと皇室が滅んでしまう。
宮内庁の危機感は増すばかりです。
「この結婚は失敗だった」
思えば1年前から宮内庁ではそう言われていました。
親密になるどころか、雅子様が皇太子様を振り回しているような夫婦関係。
どんなに教えても礼儀作法やしきたりを覚えない事や祭祀を軽く見て「やる意味がない」とおっしゃり拒否されている事など。
「ちょっと・・・」と女官が詰め所に来て、女官長に「大変な事になってます」と伝えました。
「どうしたの」女官長は、また何か?と思います。でも今日は皇居でお食事会だから何も起こらない筈。
「もうすぐ東宮様達はお帰りになるのですが、何でも雅子様が泣いているとか」
「泣いてる?」
「そうなんです」
「原因は何?」
「さあ・・・」
雅子様が気が利かないというのは有名な話です。
お客が来てもお茶も出さない。茶たくに乗せないとかへんてこなしきたりを作ったり、天皇陛下とのお食事会でも、お茶を継ぎ足したり、取り皿に乗せたりとかいがいしく働く紀子様は紀宮様に比べて雅子様はただ黙々と食べているだけです。
陛下が「東宮妃はどうなの?」とご質問されても返事をしない事もあり、紀宮様は「陛下がお呼びですよ」と声をかけ「え?私?」と答えた事もあります。
そんな雅子様にはもう慣れっこになっている筈の皇族方なのに、雅子様が泣くような事態になるとは?
「あの・・・陛下がやんわりと雅子様が懐妊しない事に触れて、出来れば診断と治療をうけるようにとおっしゃり、「みんな待っているからね」と。そしたらいきなり雅子様は立ち上がり「私の回りにそんな事をいう人は一人もいません!」とお答えになったそうです。
「私に原因があるって思ってるんですか?それって男女差別ですよね。もしかしたらそちらかもしれないじゃないですか」って。
皇后様は「陛下に向かって失礼ですよ。そちらとはなんですか」と厳しくおっしゃると、雅子様はより激して「不妊の原因が女性にだけあるというのは偏見です。今は男性に問題があるという事も多いです。特に天皇家って近親婚を繰り返していたそうじゃないですか」と言ってはならない事をおっしゃったのです。
その場にいた女官も侍従も固まったそうですよ。
陛下は気分を害し「私達はちゃんと3人いる」とおっしゃいました。
陛下がそこまでおっしゃるのは稀な事でみな恐縮し、黙ってしまいました。
「秋篠宮も・・」
「だから私に責任があるっていんですか!信じられない」そして雅子様は泣き出したそうです。東宮様もちょっと怒って「雅子は悪くありません」とおっしゃって。女官長、どうしましょう」
「ああ・・・・」女官長は座り込みたい気分になりました。
「とりあえず、お部屋ですぐに眠れるようにして。侍医を呼びましょう」
宮内庁ではこの問題を大きく捕らえました。
夫婦に何も問題がないのに3年不妊が続けば「不妊症」を疑い、検査を受けるというのはよくある話。
まして東宮妃であれば積極的に検査を受けるなり治療を受けるなりすべきなのに、「自分は悪くない」の一点張りで先に進みません。
事が事で微妙ですし、すぐに小和田家に伝わって優美子さんから叱責の電話が鳴ったりと面倒な事が多いのです。
そこで宮内庁は、いつもより東宮夫妻の静養を多くする事で、機嫌を直してもらおうと思いました。
1996年4月6日 葉山静養
1996年4月9日 歌舞伎鑑賞
1996年4月26日 会津若松静養
1996年6月29日 葉山静養
7月後半には山梨インターハイへお出ましになりましたが、退屈な行進なんかほっといて、雅子様はひたすら皇太子様に語りかけて時間を潰しました。
1996年8月1日 山梨県坊ケ峰ふれあいセンターにて
その後、ワイン蔵にも行くことが出来てその時だけは雅子様も上機嫌でした。
1996年8月 北海道訪問
1996年9月15日 大相撲秋場所観戦
1996年9月20日 オペラ鑑賞
1996年10月22日 ベルギー国王夫妻を迎える
ベルギー国王夫妻と王太子の訪問は雅子様にとって特別に素晴らしい出来事に思えました。
王太子は背が高くて恐ろしくハンサムだったからです。
わくわくしてお出迎えを待つ間も黙っていられません。ついつい「どんな人かしら」などと話してる間に国王夫妻が登場。
(またやっちまった・・・)宮内庁職員は思いました。
雅子様は王妃様とすっかり同じ格好だったからです。
1996年10月27日 広島訪問
広島の原爆については雅子様だって知っています。しかし、それが皇室にとってどんな関係があるかはわかりません。
供花したからって誰が喜ぶのかなと思いつつ、つい微笑んでしまう。
雅子様は外では笑っていれば大丈夫と思い込んでいたのです。
原爆ドームを視察しても「へえーー気持ち悪い」くらいにしか何も思いませんでした。
1996年11月7日 御料牧場静養
週刊女性 1996年11月19日号
「雅子さまに身内いじめ 雅子様は宮内庁長官に何度も叱られた」とのイタリア報道を徹底検証」
この頃には、イタリアだけでなくアメリカやイギリスやドイツなどでも「雅子様はうつ状態」「雅子様の姿が消えた」などの報道が相次ぎました。
鳴り物入りで入内したキャリアウーマンが3年も経つと存在感をなくし、数々の失敗に皇室の中で孤立していると言ったような内容です。
国内でも静養ばかりする皇太子夫妻に疑問を感じるような報道が目立ち始めました。
1996年12月9日 雅子さま33歳
単独記者会見が苦手な雅子さま、今年は逃げられませんでした。
「伝統的な・・皇太子妃のあり方・。・・と自分らしさの調和、なり、バランスのよい接点を見出していくには、苦心も致します」
「国民と共に歩んでいく皇室というものが大切でございます・・ので、その為には、国民のみなさんがその時々でどのようなことを皇室に期待し、また、どのようなことを望んでいるのかということを常に念頭に置いていかなければと思います」
最後はもう何を言ってるのか自分でもわからなかったし・・・「期待」「望む」もおおむね同じ言葉という事も気づきませんでした。
記者達が質問しつつもわけがわからない顔をするのが嫌で、心の中では「馬鹿」と呟いていたのですが、顔は歪んで映像を見るととんでもない姿に見えました。
今の所、海外のマスコミも日本のマスコミも「皇室の旧弊なしきたりがキャリアウーマンで優秀な雅子様の個性を殺している」という報道ですから、雅子様にとっては痛くもかゆくもない、むしろ歓迎すべき報道でした。
そう、私は元キャリアウーマンで外交官で英語が話せる優秀な人間なのだ。
なのに子供を産めと強制する皇室が悪い。完全に悪い。
雅子様の心の中ではそれが信念のようになっていました。
長男のワガママを聞き、雅子さんの盛りに盛られた(嘘含む)を経歴で入内させてしまったことを悔やんだでしょうね。時すでに遅しという言葉がピッタリの状況。
母方の実家の事だけでも十分断れる縁談でしたのに…
皇室や日本がとんでもない女の人を妃に迎えてしまった事を認めたくなくて、ご静養三昧、ご遊興三昧を許してしまい、何とか世継ぎをとの願いも虚しく、医学の粋を尽くして生まれたのが内親王でした。
最後の最後まで、使えない女の人でしたね。
今はもう惰性で令和の終わりを待つしかありません。
他の女性皇族と似たような服装は、その女性皇族による不敬な行いだそうですが、他国の妃とソックリな格好は、相手への親愛の証で、相手も喜んでいたとはファンによる弁。
ダイアナさんは「生理的にイヤ」と言っていたはずでは?
それにしても、「入内してやった」「全力で一生私を守れ」とは、まるで女893ですね。
いつから手ぶらで献花台まで進む方式になったのでしょうね?
歌舞伎座鑑賞の時のお着物、雅子さま推しの理論に従うと、安物なんですね。雨で湿った訳でも無いのに、シワが寄ってますが。
いや、大股歩き皺ですけどね(苦笑
そんなに小和田雅子さんと結婚したければ、「皇位を捨てた恋」でも良かったと思います。
しかし、美智子さまが許すはずは無かっただろうし、「一般人の成人さん」を小和田家が婿として受け入れても、それこそお荷物扱いだったでしょう。さすがの小和田家も、「一般人だから結婚はお断り」などと言ったら世間が許さないでしょう。
ご優秀って何なのでしょうか?
もうわからないです。
写真を見れば見るほどう~ん…となりますね。
山芙蓉さまのコメントにありましたが、私も前はちゃんと御自分達で供花を持っていたじゃないか!と思いました。
陛下はお声もなんとなくお疲れのように感じます。30年の澱のようなものがジワジワ来ているのかしらと思いました。
耳を疑いましたね、いやはや。
GOサイン、よく出たなと。
やらかしや悪い意味での異端が過ぎて、もう知らんと匙を投げられたとしか思えませんでした。
この人はしゃなりしゃなり訪問しといて内心はこーいう人ですよって言う知らしめかなと。
美智子さんの心に暴風雨が吹き荒れそうだなとも思いました。男子誕生を信じて疑わず、ナチュラルに人を見下すお父さんの気質にそっくりです。