昭和を代表する脚本家の一人でした。
橋田壽賀子氏 死去
4月3日、橋田壽賀子氏死去。
享年95歳
彼女の功績を色々検索してみましたが、結構驚きが。
「愛と死をみつめて」って・・・ドラマでやってたの?(映画版だけかと思ってました)1964年のテレビ版の脚本を担当したのが橋田さんなんですね。
渥美清の「泣いてたまるか」の担当にあったんですね。
個人的には「となりの芝生」が最初です。
母と二人、NHK銀河テレビ小説「となりの芝生」を見ながら、嫁と姑の問題を笑いながら話し合っていました。
沢村貞子の姑が最高で、セルロイドを「セドドイド」というのが面白くて仕方ありませんでした。
朝ドラ「おしん」は子役の部分だけ見てましたが、やっぱりすごいなあと思います。
大河ドラマ「おんな太閤記」は歴史に残る名作だと思っています。
「渡る世間は鬼ばかり」は今時ないようなセリフ回しを子役がやっており、今じゃ笑ってばかりですが、始まった当時はリアルな嫁姑関係に色々考えさせられたものでした。
橋田さんの持論として「家族ほどもろいものはない。死ぬときは一人」というのがあったと思います。後年の「渡る世間・・・」は岡倉家の姉妹がその事ばかり口にして、子供も頼らず自分で自分達のことだけ考えて暮らす・・といったような思想が覆っていました。
結局、親には親の、子供には子供の人生があり、相いれないという結論に至ったのだと思います。
どこかでいつもお嬢様気質というか、お金の心配をしたことがないんだろうなと思わせる部分が脚本の随所に出てきたり。
くせが強いというか、それでいて若手より確かに視聴者の心を引っ張る本を書く人。
宝塚でいえば植田紳爾みたいな人でした。(わかるかな。普段は「あーまた植じいの作品だよ」ってがっかりしながら見つつ、「私の〇〇さんの見せ場が素晴らしかった」と感想を持つような)
心からご冥福をお祈りします。
約80歳以上の有名人が死ぬと祖母がウジウジするので慰める。
おんな太閤記大好きです。佐久間良子さん圧倒的に見えました。渡る世間はほんの一部だけ観ました。印象に残る場面はエリート4女と条件の悪い男性との交際を暴れるほど反対して寝込むほど、でも最後に心配した親族が勢揃いすると起き上がって4女に「何してるの、○○さん呼んできなさい、(彼の娘)○○ちゃんも一緒に。ご馳走作るわよ」とエプロンして、皆にはその男性を急に褒める母。山岡久乃さんがいつも娘達の代わりに婚家の人達と喧嘩する場面が好きでした。
坂上さんも「隣の芝生」に出演されていたんですね。
橋田さんのご主人様も素敵な方で、石井さんのエピソードも素敵でした。
「春よ来い」というドラマがありましたが、橋田さんの生涯?のドラマ、TBSの制作で見てみたいなと思いました。
二人そろって90歳半ば。お元気だなぁ~といつも感心しておりました。
逝かれてしまわれて本当に残念ですが、2月に発症してあっという間にという亡くなり方は、お幸せだったかもしれません。ご主人は50歳代で肺腺癌で亡くなられて、お若いから闘病も大変だったかと思います。
そのご主人を見送られて、ごきょうだいなく、お子さんもおられず、30数年間「血縁者無し」の境遇って、どんな感じなのかな。お仕事があったからお寂しくはなかったのかな。
ちなみに私が一番好きだったのは「時間ですよ」
「おかみさ~ん 時間ですよ~♪♪」
の声とともに、音楽が流れる。ドラマ内で必ず女風呂がちらっと映されるのがお約束でした。浅田美代子さんのデビュー作でもあり、かわいらしかったな。(お歌は下手だったけど・笑)
下世話な話、多分何億ともなる遺産はどうなさるんだろう?財団でしょうかね。しっかり終活はされていたというお話でした。
人間であれば、いつかこの時を迎える。
幸せな一生だったと、私は思いたい。
ご冥福をお祈り申し上げます。