ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

秩父宮妃のティアラが皇后陛下に?  1

2015-04-30 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 ゴールデンウイークまっただ中、嫁公務・妻公務・母公務お疲れ様でございます。

ブログを始めて11年目ですか。

最初は子育て中心に書いていたと思いますが、そこから宝塚やドラマの話になり

今や皇室中心になってしまい「ふぶきのブログってこんなんだっけ?」と

思われる方も多いかと思います

とはいえ、宝塚や舞台も見ますしドラマも同様。

講演会後の二次会でみなさまが、私の時間の使い方を質問されてて。

ドラマを1・3倍速で見てると言ったら驚かれていましたよねーー

本は職場の行きと帰りに読みます。

いつも1,2冊は鞄に入れているので重いです

ブログを書きながらテレビを見て・・・の日々。本当はよくないのはわかってますけどね。

さて。

皇族のティアラについては以前、書いた事があります

→ こちら

 

かなりだぶる部分もあるのですが・・・ご容赦を。

専門家ではないのでよくわからないのですが、日本は「髪飾り」に関しては

あまり発展しなかったような気がします。

簪 → 邪を払うもので神事に使われていた。花をそのまま髪に刺したり。 

髪を束ねているもの・・・+横に長い櫛が邪を払うんですよね。

奈良時代まで → 唐風

すみませんっ!資料がないので「天上の虹」を参考にさせて頂きました。

平安時代以降 → おすべらかし → 簪文化消滅

戦国時代以降 → 武家社会で簪が隆盛

一方。

中国や朝鮮では女性王族の髪型は巨大化する一方。

 満州族代表西太后。両把頭と呼ばれる髪型。鬘です。

 李氏朝鮮では「カチェ」と呼ばれる大きな鬘をつけています。

肩布が王妃の証。簪は王妃と側室では違っていたようですね。

何が言いたいかというと、あちらでは髪型・簪等は「女性の格付け」だったんでしょうね。

位が高ければ高い程、鬘も大きくなり簪の質もよくなるというか。

日本も大奥などでは、女中達の位によって使える簪の質が違ったようです。

 

しかし、宮中では・・・上も下も同じ髪型です。

じゃあ、どういう所で「格付け」があったのでしょうか。

多分、それは天皇が住む「清涼殿」からみて一番近い部屋に住んでいる人が

最も位が高いという事でしょうか。

それから衣の色。純白は皇后の色だそうですし。

しかしながら、近代になるまで日本では頭の上に何かを載せて歩くという

経験はあまりなかったものと思います。

 

ヨーロッパにおけるティアラの歴史は古く、ギリシャ・ローマ時代までさかのぼるそうです。

 これが原型。月桂樹の葉をかたどったアポロンの髪飾り。

生者から死者への敬意の印として捧げられました。

最高位の者に捧げられる、神性のあるものとして神様に捧げられる。

(簪の歴史と似てますよね)

それがやがて「富と権力の象徴」として女性の頭の上に輝く事になります。 

イギリス王室を例にとると、ティアラの歴史が古いイギリスでは

歴代のお妃や王女様のティアラが沢山残されて、きちんと保存されているようです。

それを多少は加工したりしつつも、おおむね、そのままの形で受け継ぐ。

・・・という事なんですよね。

例えばキャサリン妃のティアラ

大元はこっち エリザベス女王のお母様のティアラ

 マーガレット王女もつけてます。

 ダイアナ妃のティアラ

 大元はこっち。エリザベス女王のティアラ。

毎回、新調しない代わりに、大昔のティアラを借り放題(無論女王の了解は必要ですが)

日本のティアラの歴史はせいぜい130年かそこら。

でもヨーロッパのティアラの歴史は・・・・・

そう考えると、ティアラ後進国の日本、随分頑張ったと思うんですけどね。

 日本のティアラ第一号。外国製の「星のティアラ

星の部分が外れて、ネックレスにもなるという優れもの。

昭憲皇太后のこのティアラが皇太子妃に受け継がれ

 貞明皇后に・・・・そして香淳皇后に。

さらに 現皇后に・・・・(さっぱりみないけど)

後にミキトモトが国産のティアラの製造技術を会得。

以後、日本でもティアラは全部新調するというよりは、そのパーツを使って

リメイクする・・・・というのが主流に。

例えば上記の貞明皇后がつけているネックレス。

 これがティアラになって

 こうなった・・・・・

さらに 皇后に受け継がれ(さっぱりみないけど)

 

疑惑のティアラの大元は

 香淳皇后のご成婚記念で作られた1923年。

それが 美智子妃に受け継がれ

 今や行方不明。

ちょっとちょっとーーー

これってただのヤフオク売却事件じゃないですよ。

日本の歴史的遺物が売られたって話。本当にあるのかどうか調べないでどうするの。

文化遺産が消えたって話なんですよっ!!

ちなみに

 第二ティアラは1960年製

「質素で倹約家」といいつつも皇后陛下はしっかりご自分だけのティアラを作製。

が・・・ プラチナがブリキに変わった疑惑。

そりゃ、日本にはティアラ文化はないけどね。

こんな大事な事が見過ごされていいのか。

イギリスをはじめ、ヨーロッパの出来事だったら「犯罪」になるんですよ。

なのに日本は「皇室の事は見ない・聞かない・調べない」

「皇室に限ってそんな事ある筈がない」

「きっとどこかに保管されている・・・・でしょ?仮に売っぱらってもそれは皇室の自由」

てな話。宮内庁が「あります」といえば、なくてもある。

まるで今の皇室の姿そのものじゃありませんか。

いわゆる小菊のティアラや星のティアラが「皇后」にしかつけられないもの・・・という

格付けがあるなら真実は雅子皇后誕生以後にしかわからないし、

もしかしたら永遠にお目見えしないかも(私達が生きている間には)

悠仁親王のお妃の代になって初めて「それは・・・・紛失した」と真実が

語られる日が来る?っていうか、それまで皇室はあるのか?

日本はどうしてこうも文化財保存に意欲がないのかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


コメント (13)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 韓国史劇風小説「天皇の母」... | トップ | 安倍総理演説全文 »
最新の画像もっと見る

13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ティアラはステキ (しまき)
2015-04-30 08:28:39
去年は私の息子の結婚式。
今年は甥の結婚式。
両方ともお嫁さんは、ティアラをつけました。もちろん、ほほえましい程度のものですが。

日本のティアラの歴史とそのお写真、ありがとうございます!特に雅子さんの(というか、元々は皇后の)「第一ティアラ」のきらめきはすばらしい!近くで見たら、その輝きはまさに虹のオーラ、だったことでしょうね。なくなってしまったとしたら、国家的損失です。

そして、今、国民が見ることができるティアラはめっきり減ったように思います。

紀宮様のティアラは?
高松宮妃殿下のティアラは?
秩父宮妃殿下のティアラは?

みんな、どこへしまい込まれているのでしょうか。

※全くの余談ながら、今「天皇の料理番」という番組をやっていますね。
あそこで「華族会館」として出てくる建物、外観及び内部は「綱町三井倶楽部」です。甥は今月、あそこで結婚式を挙げたので、「そうそうこれこれ!」という感じでした。

番組では、明治天皇の馬車が通られるときの、国民の熱狂のフィルム(当時のホンモノ)があり、「これから先の天皇家」を考えると、寂しくなってきてしまいましたが。
返信する
歴代のティアラのお姿、 (うつくし)
2015-04-30 11:03:39
のアップをありがとうございます。
やはり、皇室顏と言うものはございます
のね。以前の皇室の方々のお顔は、面長で切れ長で、お品よくて、
ティアラにお負けになっていらっしゃい
ませんものね。
ちょっと話は飛びますが、イギリスの王室は、王冠を公開して、
皆んなが見ることが出来ますよね。
日本も、皇室代々の宝飾展をして、
第一、第二ティアラも展示してもらえば
疑惑も晴れ、国民も安堵しますよね。
その収益を被災者に寄付してもらえば、
皇室も国民も、一挙両得ですよね。
三越か高島屋でやってほしいです。
返信する
ブラジルに渡った明治天皇の従弟君 (名も無き一輪の百合)
2015-04-30 11:26:44
講演会の報告の記事やコメントを拝読し、とても盛況でいらしたようで会のご成功おめでとうございます。宝塚星組の観劇と日時が重なってしまい参加出来なかったのが残念ですが次回伺いたいと思っております。ところでけさのYahoo!ニュースで下記の雑誌記事がピックアップされておりました。:◆ブラジルでひっそりと逝った「明治天皇の孫」〈週刊新潮〉(BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり)-Yahoo!ニュース http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150429-00010001-shincho-int
◆久邇宮朝彦親王殿下がかなりの“性豪”(←Oops! 失礼!)で、御自分を冷遇した明治新政府へのまるで復讐のように子宝に恵まれた方で有ったのはネットで読んだ事が有ったのですが、縁(ゆかり)有る方がブラジルに移民として渡り、その地に帰化されたとか、驚かされる内容の記事でした。
返信する
Unknown (べに)
2015-04-30 15:29:25
そういえば私も結婚式でティアラをつけました(笑)
でも、ものすごい後悔しています。
すべてが日本式の伝統的な結婚式にすればよかったと...

ヤフオク問題以降、宮内庁に聞いてもあるはずというだけで確認はしてくれないのですよね?
だったらもう、保管されているすべてのティアラを拝ませていただきたいのでぜひ一般公開の機会を!と、お願いするしかないですね。


返信する
簪は男性のもの (カエル)
2015-04-30 15:31:06
こんにちは。
古来より、日本では簪は男性の物だったと聞き及びます。神事の際に頭を飾ったのです。
女性が差すように成ったのは江戸時代からでしょう。大奥(女の侍ですよね)では、髪型がおすべらかしから、髷になり。
男性に似せた髪型になり、簪を差す訳です。
工業、商業の発達もあり、 刀狩り等で職人が他のものを造るように成った。のも原因でしょう。
一方、御公家様ではその様な変化を為さらずにいらせられた。ですから、おすべらかしには簪は無いのです。

里中真知子氏の天皇像は、女性だからではなく天皇だから冠を被ったのではないでしょうか。

乱文ご容赦ください。
返信する
Unknown (みや)
2015-04-30 15:38:34
美智子皇后が秩父宮妃のティアラを付けて出られた
写真があります。私はこれで美智子様に不信感を
持ちました。昭和の筆頭宮妃である華子さまも二つの
ティアラをお持ちになっています。これは写真で確認済みです。

秩父宮妃のティアラは二つあるのですからそのうちの
お一つでも紀子さまに譲っていただきたかったと思い
ます。
返信する
Unknown (kiwa)
2015-04-30 19:16:45
久邇宮朝彦親王殿下は、孫の良子さまが先帝の皇后に、曾孫の明仁親王が天皇即位とご自身の冷遇を挽回出来ましたね。

だんだん皇族が減ってきているので、ティアラを着ける慣習を消滅させ、旧来の装束に回帰してもよいのではないかと思います。日本の伝統文化の大切さを担ってゆくのが皇族の役目のひとつでもあるのならば、たかだか百年余りの西洋慣習の亜流に拘泥する必要もなかろうというものです。

普段の公務は洋装の方が身軽でしょうが、宮中行事は明治期以前に戻した方が皇室らしいし、彼等が途絶える事無く継承してゆかなければいったい誰が・・・あの人を放逐するには得策ではないでしょうか?
返信する
Unknown (主婦)
2015-04-30 21:04:21
しまき様の ~紀宮様のティアラ~

何処にあるのかしら。

中央部が高くて、
左右に低くて、
綺麗な曲線。

真子様、佳子様より、優雅な感じが…

紀子様より、豪華な感じだったかな…??

紀宮様のティアラは、
東宮家の内親王、愛子様に受け継がれるのかしら。。。??

「棚卸し」
「在庫確認」
必要と思います。

国宝級で、この状態。

皇室での日用品とか、やばそう。。。
返信する
ティアラの物語 (うさこ)
2015-04-30 21:17:31
最近、更新されていないブログのようですが。
ティアラのお写真がいろいろ見られて眼服です。

http://moonnight467719.blog.fc2.com/category1-1.html

皇室のティアラ展、ぜひ、開催して欲しいですね!
返信する
Unknown (ひとみ)
2015-05-01 00:27:39
「風俗博物館」のHPに日本服飾史資料があります。
わかりやすいので、ご参照下さい。

http://www.iz2.or.jp/
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本人なら絶対に知っておきたい皇室」カテゴリの最新記事