ふぶきの部屋

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皇太子夫妻結婚15周年

2008-06-09 08:18:51 | 皇室報道

 昨日、皇太子一家はメキシコ大使館へ行ったそうですね。

何をしに?愛子内親王は大使館の子供達と一緒に遊んだとか・・・・

さっさと娘と一緒に車から降りて大使館に入っていく皇太子妃に

「相変わらずだなあ」と思ってしまいました。

 

 皇太子夫妻結婚15周年 

 

 日は皇太子夫妻の結婚記念日。結婚して15年になりました。

  記憶だけですが、ちょっと15年を振り返ってみましょうか。

 

 難航していた皇太子妃選び

浩宮の結婚話は宮が20歳になった頃から盛んに話題に取り上げられる

ようになったと思います。

沢山の女性達の名前が浮かんでは消えて行きました。

やっぱり「美智子様が苦労したから」という印象が強くて、中々お妃に

なってもいいという人がいなかったのでは・・・と思います。

平成になって突如、礼宮川嶋紀子さんの婚約が整い、世の中は

紀子さんブーム」になりました

民間から初の皇太子妃で聖心女子大卒」の美智子様に比べて

紀子妃は学習院の教授の娘で自らも学習院の大学に在学中。

これは聖心に東宮妃を取られた常磐会の方々は大喜びした事と

思います。

初々しい記者会見も話題になりましたよね

一方で、「弟の方が兄より先に結婚するいきさつ」について、女性週刊誌

があまり好意的でない書き方をしたのも事実です

昭和天皇の喪中に」

「長幼の序を覆した」

「学生結婚」

「妃殿下になる人の実家が社宅とは・・」

と色々書かれました。実はこの頃から外務省・小和田家の

「東宮妃入内」画策は行われていたのかもしれません。

わがままを通して結婚した礼宮」とそれにまつわる都市伝説が生まれた

のはこの頃

水面下では小和田雅子さん入内で話は進んでいたと思われますが

何分にも彼女はチッソの孫娘。しかも官僚の娘という事で、宮内庁を

始め、両陛下からも反対されていたと思われます。

秋篠宮バッシングはそのような流れの中で意図的に流されたのかも

しれませんね。

 

 「ティファニーであれやこれや買う人は困る」

浩宮の独身時代の言葉で有名なのはこれ。

価値観が同じ人でないと。ティファニーであれやこれや買う人は困る

と言っていた同じ人が15年の後、妻と一緒になって贅沢するように

なるとは・・・・・人ってわからないものですよね

私の印象では、天皇家、東宮家、どちらもかなり質素で、バブルの頃

ですら地味だった印象があり それが当たり前と思っていたんですが。

 

 「私は関係ありませんので」

皇太子のお妃候補として名前があがった人はどれくらいいるんでしょうか?

最終まで残ったのが久邇晃子さんという香淳皇后のご実家筋の方。

小和田雅子さんは家柄がよろしくないというので落ちた筈・・・でも

マスコミは随分追いかけていたようですね

「私は関係ありませんので」と厳しい口調で言い放ち、

どこの社の人?名刺出しなさい」とマスコミに詰め寄った雅子さんを

見た時、「こりゃあ絶対に皇太子妃にはならないだろうなあ」と思いました

天皇家に嫁いで清貧と福祉の精神で生きるより、バリバリ仕事を

した方が楽しいだろうな・・・と思っていましたし

 

 皇太子妃に小和田雅子さん決定

それが一転して「皇太子妃に小和田雅子さん決定」のニュースが

駆け巡った時、正直驚いてしまって・・・

「何で?あの人、関係ないって言ってたじゃないの」と・・・・

 

 家柄と学歴

公式には小和田家は新潟の村上藩の藩士の家柄?

母の優美子さんの父はチッソの元社長。

父の恒氏は外務省勤務。彼の兄弟はみんな東大卒でしたっけ?

そして雅子さんは「ハーバード大卒、東大卒の外交官」という

キラ星のようなキャリアを背中にしょってました。

双子の妹達の学歴もそりゃあすさまじいものがあり・・・

当時29歳という少々とうが立った女性であったとしても、私達は

「さすがに皇太子妃になる人は学歴もキャリアも違う」と思いました。

 でも考えてみれば皇室に学歴は関係なかったんですよね。

美智子妃がたまたま聖心女子大をトップの成績で卒業した実績が

あったから「妃は高学歴じゃないと」という価値観が生まれたのかも。

思えばそれが失敗の元。

 

 記者会見での黄色のスーツと帽子

 あの真黄色のスーツと帽子を見た時は正直言ってびっくり仰天。

色もだけど、帽子っ 妃殿下になる前からああいう帽子を被るのか

と・・・ まあ、雅子さんは色が黒いのでああいうショッキング系の色が

似合っていたのは事実ですが、それにしても大した自信だなあ・・・と。

 

 記者会見語録

私としては、「関係ない」と言っていた人が何で突如結婚を承諾

したのか・・・それが知りたくて記者会見を見ていたんですね。

 チッソの孫という家柄については皇太子が「水俣問題の時、

  彼女のおじいさんは社長じゃなかった」と発言して「問題なし」と

  したのでした。

 第一回目のプロポーズでは「お断りしてもよろしいでしょうか?」

  と聞いた雅子さん。

  でも次には「皇室外交するのも外務省で外交官するのも同じ」と

  説得されてその気になったと

  そんな事言っちゃっていいのーー?殿下ーーと思いました。

 「オーケストラが出来る程には」・・・これは「お子様は何人?」と

  聞かれて雅子さんが答えた言葉。

  紀子さんの「よく殿下と相談して」と比べるとかなり違います。

  要するにこの時は「子供くらいすぐ産める」と思っていたんでしょうね。

  「かなりの自信家」という印象を受けました。

 「一言付け加えさせていただくと

  雅子さんはこの言葉を記者会見で連発。

  これは多分官僚言葉なんでしょう。雅子さんの言葉はとにかく

  回りくどくて分かりにくかったです。

  そしてこの「一言・・・」がかなり生意気に聞こえたのも事実で。

  でも当時はやっぱり「ハーバード大卒は言うことが違う」と思っていた

  んですけどね。

 「雅子さんの事は僕が全力でお守りしますから

  いわば今に至る「雅子妃問題」は全てこの言葉から始まっているのです。

  これは皇太子の発言ではなく、雅子さんの発言です

  本当にそんな事を皇太子が言ったかどうか・・それはわかりませんが

  記者会見「言質を」取った事で

  「あの時、全力で守ると言った筈」という切り返しは今に至るまで有効

  なんですね。

  当時は沢山の女性がこの「全力でお守りします」という言葉に憧れた

  ものでした。

 

 「皇室で外交をしますので」が最後の挨拶

婚約内定後、盛んに流された映像は雅子さんが外務省の通訳と

して活躍する姿でした。でもそれがまさか「最初で最後の花道」で

あったとは・・・・ 要するに実際には通訳を務められる程の能力は

なく、親のコネクション利用しまくりの外務省生活だったようですね。

(事実の一つとしては新人は車通勤は駄目なのにお父さんの駐車場を

使って車通勤していたとか)

外務省への最後の挨拶は「これからは皇室で外交をしてまいります

だったと思いますが、この台詞にはかなり違和感を覚えました。

結婚=仕事に結びつけるおかしな考え方をこの時点で正さなかった

皇太子にはかなり責任があるでしょう。

普通、結婚したら子供を産んで暖かい家庭を築いて・・・となる筈が

「子供よりも外交」を優先しようとした萌芽がすでにこの時から

あったのです。

 

 どしゃぶりの結婚式

15年前の今日はどしゃぶりの雨でした。皇室の慶事にどしゃぶりの

雨とは縁起が悪いと思いました。

でもテレビ等では「結婚の儀」は賢所で行われるから雨が降っても

大丈夫と言ってました。

パレードの時には夕焼けが出ましたしね。

この時、紀子妃が背筋をまっすぐに伸ばして口を真一文字に

結んで前を見据えていたのが印象的でした

結婚からたった2年くらいで「この夫婦、大丈夫か?」と思ったんですが

今考えると、当時、秋篠宮には「タイに愛人がいる」という報道がなされて

いたんですよね

確か公務を休んでタイに行った事もバッシングされていました

皇太子の結婚直後に起きる「皇后バッシング」も含めて、当時から

雅子様は優秀で素晴らしいけど、ほかの方々は・・・」という意図的な

報道がなされていたんですね

少しも知らなかった国民はすっかり騙されて踊らされたわけです。

 

雅子妃のドレスは森英恵さんの作ったもの。アトピーを隠す為に

首周りを隠すようなデザインのものでした

祝宴の時のローブ・モンタントも金色だったかしら?とにかく派手な色

が好きなんだな・・・と思ったものです。

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5 コメント

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ティファニーであれやこれや (どくしゃ)
2008-06-13 06:05:13
「皇太子夫妻結婚15周年」の歴史をコンパクトにまとめてくださり、ありがとうございました。Willのブログにトラックバックがあり、読ませていただきました。
とりわけ懐かしく思い出せたのは、皇太子様の「価値観が同じ人でないと。ティファニーであれやこれや買う人は困る」です。ご発言当時私は、あれっと思いました。これはひじょうにオックスフォード流シニカルな発言でもあったのです。私も皇太子様よりだいぶ前に当地にいたことがありますが、必ずしも「秀才」とはいえない皇太子様は、学習院とは比べようもないオックスフォードの知的社会にめろめろになっていたのでしょうね。オックスフォードへのあこがれが、そこで学んだ雅子様を執拗に求めたという背景もあると思います。今となってみれば、皇太子様の英国留学が東宮家を誤らせるもとになったような気もいたします。
Unknown (ふぶき)
2008-06-13 10:32:35
どくしゃさま、初めまして。今後ともよろしくお願いします。
そうかーーオックスフォードの留学経験がかえってマイナスになってしまったと。知的なものにひかれるなら久邇さんの方が賢かったかもしれませんのに。
同じ留学を経験している秋篠宮はああはなってないですよね。
皇太子の考え方は偏執っぽいような気がします。皇族の留学も考え物かもしれませんね。
うーん。やばい。 (たかゆき)
2010-02-14 05:25:58
あの「全力でお守りしますから」って発言。

私もマズイと思いました。

二人で皇室と日本国を守るために私が貴女を守るではなくて、皇室から貴女を守ると話しているみたいで、守る順序が逆転していますよね。

だからオランダでの小和田家と合流しての静養もオーケーになる訳ですね。「守ります。誰にも邪魔はさせない。」と。。。

しかし婚約会見の衣装はまるで皇族そのもので、外務省に未練タラタラの割には、こんな服も誂えていたんだと違和感を覚えました。キャリアウーマンって、普段から、あんな服を着るのですかね?あのまるで訪問着みたいな衣装。
Unknown (職務経歴書の書き方の見本)
2010-08-01 01:08:51
いつも楽しく観ております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。
Unknown (ふぶき)
2010-08-01 16:56:16
>履歴書の書き方と見本さま
いえいえどういたしまして。

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