ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

佳子様 お誕生日おめでとうございます

2023-12-29 11:10:00 | 皇室報道

 佳子内親王殿下 29歳の誕生日

おめでとうございます! 

 

佳子様は12月29日に29歳の誕生日をお迎えになりました。

いつもの・・・振袖ですが、

宮内庁によると

「浅葱⾊(⻘系統の伝統⾊)とクリーム⾊のぼかし染めに、流⽔や松、菊などの⽂様が描かれています。帯は⾦地の七宝華紋柄(円が連なった⽂様と花の⽂様の組合せ)で、帯締めと帯揚げは茜⾊(⾚系統の伝統色)です」

立ち姿が美しい、横顔も真正面も美しい。

今年は大活躍の年でしたね。佳子様。

国民はみな、あなたの微笑みに癒され、励まされ、内親王だからこその柔らかさやおおらかさを感じ、安心し、皇室の未来を思いました。

あなたは手話に関してはもうプロ級の腕を身に着けられました。

ただ、母から受け継いだだけでなく、ご自分で発展させ、学びを怠らない姿勢に国民は、さすがと思い、私の努力しなくちゃと思いました。

あなたが悲しい目をする時、国民は心から共にいて下さるのだと、悲しみの中にも癒しを感じ、まだ歩いていかなくてはならないのだと、心を前向きにする事が出来ました。

天皇家の意地悪のせいで、様々な苦労をされ、尚且つ国内では華やかな場に立てない事もありました。

そんな理不尽に国民は心底怒っています。

もっと、佳子様を見たい、もっと佳子様を身近に感じたい。

皇族の代表としてのお姿を世界に知らしめたいと思っています。

あなやは今や皇室の希望の光です。

早く天の岩戸を開いて、天照大神を引っ張りだして欲しい。

そして、成長していく弟宮との2ショットももっと見たいです。

来年も変わらず、国民に癒しの手を差し伸べて下さい。

皇室に救う禍々しい空気を払って下さい。

清浄で美しい、心から息が吸える・・・そんな皇室を救うのはあなたです。

どうぞ、お元気で、身体に気をつけて、ご活動にまい進して下さいませ。

 

 

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2023年の皇室

2023-12-27 07:00:00 | 皇室報道

 すみません。グレでしたね。ゲランはミツコです。でも香水好きな人が一杯いて嬉しいです。

2023年の皇室を振り返ってみると、令和も5年目にして皇后が自分の立場に慣れ過ぎてついに馬脚を現した・・本性が見えた1年になったと思います。

皇后が自分が主役だという振舞で、それが定着するとやりたい放題。

国内では絶賛されても、海外において、皇室への信用は地に落ちたと思います。

そして今年も秋篠宮家には誹謗中傷の嵐が吹き荒れましたね。

2023年1月1日・・・新年祝賀の儀

4年ぶりだというのに、ティアラなし勲章なし。「国民の為に」節約したと自慢気な雅子さん。

2023年1月2日・・・一般参賀

上皇夫妻や他の宮妃がびっくりする場面。なんと愛子内親王が叔父である秋篠宮をどついてどかせた件。これは大事件になりました。

これでは雅子さんが天皇のように。

 

2月9日・・・フィリピン大統領夫妻との会見

丸テーブル。どうぞどうぞをやってしまい、嫌われる。

以後、会見は丸テーブルか、別々部屋に。あるいは雅子さんの出席なし。

 

2月14日・・・紀子様、熊本訪問でくまもんにおじぎされる。

佳子様、髪をばっさり。

4月8日・・・静養先で皇后に頭がぶつかり「ごめんなさい」を3回繰り返した天皇

なーにをやってんだかと言われた御料牧場での農業体験。

 

4月13日・・・愛子内親王、4年生になって登校開始

大学生とは思えない姿に国民は唖然。

 

5月・・秋篠宮両殿下が英国王戴冠式に出席

気が付けば・・・席次は葬儀に出席した両陛下より上に。

 

5月11日・・・春の園遊会。出席者を雨の中で立たせたまま1時間以上、遅刻した挙句の長話に批判殺到

宮内庁が謝る結果に。この皇后の遅刻癖は日を追うごとに増えている現状。

 

6月・・・両陛下インドネシア訪問。でも国賓扱いうけず皇后は半分の日数をホテルで過ごす

天皇が大統領と会見している間、雅子さんはろうけつ染め体験やら布地を着せられたりご機嫌。

 

7月・・・紀子様がコロナに。殿下と悠仁殿下が鹿児島の高校総文に

日本中の昆虫オタク(もとい昆虫研究高校生)を大喜びさせた日。

 

8月・・・天皇一家、那須で静養。半月お遊び三昧

雅子さんの手には貰ってはいけない庶民からの贈り物が。

プランターで庶民との間を仕切ったものの、けつまずいて醜態をさらず。

 

9月6日・・・悠仁殿下17歳に

その頃、愛子内親王はこんな格好で。

9月・・・悠仁殿下文化祭。そのあとコロナに罹患するもプライベートな写真にわくわく。特に佳子様の気さくなお姿に「可愛い」の大絶賛。

秋篠宮両殿下 ベトナム訪問

今でもわすれません。現地の日本人学校で「秋篠宮さま!また会えるといいね」殿下が振り返って「会えるといいね」

 

10月・・・天皇一家、突如赤十字本社を喪服で訪問

11月・・・佳子様、ペルー訪問「微笑みのプリンセス」として人気に。

 

ミヤネ屋で多賀幹子氏が散々ヘンリー王子とメーガンをこきおろしていましたが、サセックス公爵夫妻の生き方が全てが天皇皇后そっくりで。

当たり屋

・パクる

・妻の方が目立ちたがり屋

・キャサリン妃への嫉妬

正直なイギリス国民とアメリカ人はすっかりこの二人に飽きたよう。

多賀氏は嫌いではないが、日本の皇室報道には信じられない程おべっかを使うので信用出来ないなと思いました。

 

さて、11月、12月と、いわゆる「令和流」午餐会やら茶会やらで、みっともない事をどうどうとやって、それを美談にするマスコミの姿にへきえきしました。

こういう「私が法律」的な弱者利権を振り回す皇室ですので、それが国民の意識に影響し、何か間違った思想が蔓延しているのは事実ですね。

心のそこから令和が早く終わる事を祈っています。

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来年の新年祝賀の儀ではティアラ着用・・・予定

2023-12-23 07:00:00 | 皇室報道

別にこんな事を一々報道する必要はないのではないかと思うのですが。

宮内庁発表によると

 令和6年の1月1日の新年祝賀の儀ではティアラ着用で進めている

 愛子内親王が公の場でティアラを着用するのは二度目

 天皇皇后の「ご意思」がどうか

 出席皇族はまだ決まっていない

って話んですよ。

新型コロナが2類から5類に移行し、世の中が「通常」に戻っていく中で、皇居だけがそれを理由に様々な事を省略ばかりはしていられないと言う事なんでしょうね。

じゃあ、根本問題に戻って

「ティアラを着けることは贅沢か」

荒らしどもはそれを理由に秋篠宮家を叩くけれど、ティアラとは女性皇族にとって、正式の場で洋装の場合、欠かせないもの。

男性でいうとネクタイ、天皇でいうと勲章。

令和になって「庶民が苦しい思いをしているからティアラは着用しない」という皇后のありがたいお言葉は実は間違いです。

平成の美智子皇后も「首が痛い」からって、ティアラもネックレスも勲章すらつけずに晩さん会に出席していましたけど、それも間違いです。

頭が重かろうが、首がいたかろうが、省略できないもの、それがティアラと装飾品一式です。

さて、コロナ禍で成年を迎えた愛子内親王は「国民が苦しんでいるので」という理由でティアラや装飾品を作りませんでした。(だったらドレスも着なきゃよかったのに)

ティアラは皇室の予算内の範囲であり、それを作らなかったからといって、倹約にも節約にもならないし、国民の為にもならない。国民にとっては関係ないのです。

むしろ、そういうへんてこな「儀式」や「倹約」が世界に報道されることで、

「日本の皇室っておかしいんじゃないの?」という常識が欧米に行き渡ったわけです。

皇后の大好きなイギリスでは、クリスマスを前にキャサリン妃と子供達がボランティア活動にせいをだし、カミラ妃も自宅に人々を招くなど、様々な「福祉」に携わっています。

しかし、正式なクリスマス礼拝や、晩さん会などではきちんとしたドレスを着用し、ティアラも被っていますよね。

皇居に4年も引きこもっていた愛子内親王は何をしていたか?

何も・・・・です。

黒田清子さんから借りたティアラとアクセサリーは全く返していません。

元々このティアラは

 このように着用します。それを愛子内親王の頭の大きさに合わせて、変形してしまったので今更返されても・・という事です。

確かに黒田清子さんは今後、これらを着用する事はないでしょう。

しかし、天皇皇后がこの先も大事な一人娘の為にティアラを作らない、女帝にしろと息巻く割にはちゃんとしたものを揃えてやらない理由は何なんでしょうね。

しかも、1月1日、宮内庁はあくまで「ティアラ着用」で考えているけど、もし、皇后が「今も苦しんでいる国民がいるから」とか言い出したら計画はおじゃん。

またもみすぼらしい新年祝賀の儀になります。

先日のASEAN茶会にしても、あまりの貧乏ったらしい姿に唖然としたんですけど。

今、内廷費がない・・・・・?のか・・・・・?

一体、何にそんなに使ったんだよと思いたくなる程のしょぼさなんですよね。

考えたくないけど小和田家にお金、流れていませんか?

だって、小和田恒氏はもう90ですよね?

とりあえず、池田礼子が住むマンションに引っ越したという話で「皇后様が介護する」のなんのと週刊誌に書かせていますが。

小和田家は自分の親を施設に入れてなかったっけ?

そういう事、しようと思えば出来る筈。それこそ有名芸能人が入るような介護付きホームに入れる筈なのに、何てこちらもちまちましている。

内廷費がないとすると、その理由はマスコミ工作でしょうね。

父娘揃って、マスコミを操作するのがお好きなようで。

なんせ、今や宮内庁の人事も両陛下の心一つと言われているので、みなさん、イエスマンになるしかないんでしょうね。

なんてブラックな職場。いくら国家公務員でもパワハラに悩む日々では?

労働基準監督署が入る案件なんじゃないかなと。

もうパワハラされているという感情すら起きない、無気力・無表情な職員ばかりじゃないんでしょうかね・・・可哀想に。

20日、愛子内親王は無事に卒論を提出。ご両親揃って「頑張って書いていました」と大絶賛。これが22歳の娘を思う言葉とは。

一方、悠仁殿下の加冠の儀の予算が計上させると「国民によりそってない」とか言い出す輩。

39年ぶりの男系男子皇族。将来の天皇陛下の加冠の儀は、源氏物語もかくや・・という程華やかにして頂きたいものです。

国民だっていつも貧乏ったらしい、控えめに目を伏せている皇族ばかり見たくないのよ。

マスクなんかしてるとぞぞっとします。

広間はよくてベランダはダメとか意味わかんないし。

国民の為を思うなら、ぜひぜひ愛子内親王にはティアラをつけて堂々と祝賀をお受けにならればよろしいでしょう。

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明仁天皇・美智子皇后の中国訪問における外交文書

2023-12-22 07:00:00 | 皇室報道

 すみません。無知なんですけど。

1992年の両陛下訪中に関しては、正直、あまりよく覚えていないのです。

当時は秋篠宮両殿下の新婚時代で、そっちに芽を奪われていました。

それに、まさか両陛下が左翼思想の持ち主であったとは、夢にも思っていなかったんです。

当時の中国は、毛沢東が死んで、社会主義に行き詰まりがあり、民主化の動きが段々目立ってきた時代。鄧小平は「社会主義的資本主義」みたいなのを掲げていましたから、アメリカとかヨーロッパなどが「中国が民主化するのではないか」と思って、様々な支援をしていたのです。

しかし、1989年胡耀邦の死をきっかけに学生を中心とした民主化運動が始まり、あの有名な「天安門事件」が起こるわけです。

この事件に欧米は真っ青・・というか、中国が全然中身が民主化していない事をしって失望したのですね。

しかし、日本だけはそういう態度をせず、中国の要請に従って天皇皇后を訪中させてしまったんです。

国内では「訪中はダメ」という保守派が頑張っていたんですけど、なんせ天皇陛下自らが「私は行きたい」と言い出す始末。

じゃあ、中国へ行ったら謝罪するのか? 中国が求めていたのはそれです。

日本としては「不幸な歴史」程度でおさめておきたい。

でも、中国は謝れという・・・そして天皇は、「日中戦争で迷惑をかけたのは日本」と信じていたし、昭和天皇に戦争責任があると思っていたから大乗り気です。

結果的に両陛下は訪中。

晩さん会では

貴国とわが国の交流の歴史は古く、わが国民は、長年にわたり貴国の文化に深い敬意と親近感を抱いてきました。

今世紀に入ってからは、貴国の有為の青年が数多くわが国を訪れるようになり、相互の交流は一層活発になりました。私は、両国民間の交流の伝統をかけがえのない、貴いものと考えます。
しかし、両国の関係の永きにわたる歴史において、わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。

これは私の深く悲しみとするところであります。

戦争が終わった時、わが国民は、戦争を繰り返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました。

貴国との間においては、末長い平和友好を誓い合う関係が生まれ、広範な分野での交流が深まりつつあります。
私どもの訪問が、両国民にとり、お互いに良き隣人として将来に向かって歩む契機となれば誠に喜ばしく思います。」

というお言葉を述べられました。

 

ではこの中国訪問は成功だったのか。

いえ、成功ではありませんでした。

中国は天皇の訪中を実現させた事で、より軍事力を増し、経済力を身に着け今に至っているのです。

さらに尖閣諸島の領土問題も抱える事になりました。

当時、庶民の間で「天皇訪中」の良しあしを語る人はいなかったと思います。

「中国」=パンダのイメージ。

天安門事件もよその国の話。そして日本人の中には自虐史観がはびこっていましたから、謝罪してもしょうがないくらいに思っていたんじゃないでしょうか。

しかし、天皇の訪中はとても危険な事だったのですが、この度の外交文書の公開により、

訪中を押し進め、マスコミを操作したのが小和田恒(皇后の父)である事がはっきりしました。

当時の小和田恒事務次官は2月13日の幹部会議で「訪中前に国内プレスの報道が否定的な状況になれば、行けなくなることもあり得るので、報道対策を事前にしっかりと考えておくべき」と発言。

「天皇を政治に巻き込む」とか「保守の考えが」とか揺れていた宮沢首相の背中を押して中国へ行かせたのは小和田恒。

という事は、当時から彼はマスコミ操作に長けていたと言う事になり、特に左翼思想が強く、娘を皇室に入れる事で、「皇室を私物化し破壊する」という中韓の考え方とマッチしていた事になりますね。

その後、小和田雅子氏が皇太子妃に決定するのですが、ありとあらゆるつてを頼って、秋篠宮家を貶め、小和田雅子を「皇太子妃候補の筆頭」に持ち上げたのですから。

 

もし、あの時に訪中していなかったら。

中国を切り捨てていたら、今のようにはならなかったかもしれないと本当に思います。

 

 

 

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ASEAN首脳ら14人を招いて宮中茶会

2023-12-19 07:00:00 | 皇室報道

最初に言いたいです。

皇后陛下!あなたのその目つきが大嫌い。

国益を損なっております。わかる?国益を損なうって意味・・・・

つまりね。国家の為にも皇室の為にもならないって事です

両陛下に言いたい。

なぜ14人だけの茶会?なぜ午後4時?なぜ陪席は秋篠宮両殿下のみ。

 これ、この目つき。

この目が本当に心を表現しているんです。

つまり、「自分以外の女性が注目を集めるのは嫌なの」って気持ちがありありと。

雅子さんが皇室入ってから紀子様に対するライバル心が半端なくて、散々衣装被りはするわ。嫌がらせをするわ。

そういうのを、令和になっても行うって事が信じられません。

ASEANの首脳達は、迎賓館での豪華な晩さん会を経験し、さらに総理夫人主催の午餐会もご経験。

で、皇居に来てみたら、飲み物持って順番待ち。

だだっ広い広間で、皇族の話を待つ人達のどんよりした顔。

ここに佳子様がいたら全然ムードが違っていたのに。

はっきり言って、天皇皇后は「ご意思」が強すぎるのでは?

上皇夫妻がそうだったからいいって?じゃあ、退位した方がいいですよ。

上皇の名称がなくなる?いやいや、「平成院」「平成女院」でいいわ。

平成院明仁親王

平成女院美智子

上皇徳仁親王

上皇后雅子

天皇文仁親王

皇后紀子

東宮悠仁親王

〇〇宮佳子内親王

でいいですって。

これ以上は、皇室に傷をつけるだけです。

悠仁親王には一日も早くお妃を迎えられ、遠慮なく5人くらい親王・内親王をお持ち下さい。

確かブルネイ皇太子が来年来日するらしいですね。

「ぜひ天皇陛下をお招きしたい」というかどうか・・・・

 

前回、かなりネットで叩かれた影響か、雅子さんの帯揚げは上を向いているらしい。

 

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皇室ウイークリー

2023-12-17 07:00:00 | 皇室報道

ご日程

両陛下

12月8日・・・天皇陛下 → 通常業務

12月9日・・・一家 → 皇后誕生日につき祝賀行事

12月11日・・・天皇陛下 → 離任大使に会う

12月12日・・・天皇陛下 → 通常業務

12月13日・・・両陛下 → 皇宮警察本部武道大会を観覧

             陵墓監区事務所長と会う

             金杉憲治 前インドネシア駐箚特命全権大使夫妻と歓談

12月14日・・・天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈

              衆議院議長・参議院議長から挨拶を受ける

              賢所勤労奉仕団に会釈

              認証官任命式

12月15日・・・天皇陛下 → ブルネイ国王陛下及び同王子マティン殿下と会見

              通常業務

 

秋篠宮家

12月8日・・・佳子内親王 → 「情報から誰一人取り残されないために」について進講を受ける

12月9日・・・両殿下・佳子内親王 → 皇后陛下誕生日につき祝賀

12月11日・・・殿下 → 「第67回日本学生科学賞」について説明を受ける

       佳子内親王 → 「第6回みどりの『わ』交流のつどい-都市の緑三賞表彰式-」出席

12月13日・・・両殿下 → 赴任インドネシア大使に会う

12月14日・・・両殿下 → 「第39回国際生物学賞授賞式及び記念茶会」出席

              外務省から進講を受ける

              赴任中国大使夫妻に会う

 ブルネイ国王とマティン王子の来日は喜ばしい事で、来年のマティン王子の結婚式にも呼ばれる可能性があり。でも、こういう所になぜ皇后が姿を見せなかったのか。

  国王と王子だからですか?そんなおかしな伝統こそなくせばいいのに。

  天皇にはお誘いがあったようですが、もれなく皇后もついていくと言う事で、大好きなキンキラキンを見に行く姿が目に浮かびます。

 18日ASEAN首脳会議メンバーを招いての茶会が催されるようですが、陪席は秋篠宮両殿下だけ。こんなのひどいと思いますけど。若い女性皇族を片っ端から排除するって事。

(三笠宮家も高円宮家も決して若い女性ではないけど)

 愛子内親王が出席出来ない口実の為に、秋篠宮両殿下しか陪席させない。このままでは悠仁親王成年後、何の宮中行事にも呼ばれない事しかりですよね。

宮内庁は一体何をやっているんですか?

コミュニケーション障害で、ハイになると喋りまくる皇后を止められず、みんな唖然としたり、嫌だなと思ったりするのに任せている愚。お茶会で和菓子とお茶とか言わないよね。

またも「新しい提案」とかで、ショートケーキが出て来ても驚かないわ。

そしてまた、天皇より先に部屋に入るとかね。

 武道大会は皇后陛下ドタ出です。しかも付けているブローチですが。

同じ? 以前からネットでは話題になってました。雅子さんのものを母が借りたとか。

一般ならそれはありですが、皇室でこれはやってはいけないことです。

佳子様だって眞子さまの服着てるじゃないかというアンチもいると思うけど、眞子様と佳子様は皇族。だけど、小和田優美子さんは一般人です。

 佳子様、また眞子様の服で。ペルーで散々「眞子様の」って言われて、今回も同じように言われて、ちょっとしつこくないですか?

 常陸宮殿下 肢体不自由児・者の美術展/デジタル写真展に 

12月13日です。

 

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皇后陛下 60歳に  2

2023-12-09 09:39:00 | 皇室報道

日本国内にあっては、南海トラフ地震や首都直下地震などの発生が今後心配される中、関東大震災からちょうど100年に当たった今年、防災や減災についてのさまざまな啓発活動が行われていたことを心強く感じました。

他方で、今年も国内のさまざまな所で地震や大雨、台風などによる自然災害が起こり、残念なことでした。亡くなられた方々とそのご遺族に心から哀悼の意を表しますとともに、被害に遭われた方々にお見舞いをお伝えいたします。

 このように、心の痛むことも多い昨今ですが、同時に、若い人々を含め、社会のいろいろなところで、助けを必要としている人々やより良い世の中のためにさまざまな活動を地道に続けている方もたくさんおられ、頼もしく思うとともに、そのような方々の善意や創意工夫に感心し、励まされることが度々あります。

昨年から私たちの地方への訪問が再開されましたが、6月に全国植樹祭に出席するために訪れた岩手県の陸前高田市や大船渡市、釜石市では、被災地の皆さんが、幾多の困難を抱えながらもたゆみない努力を続けてこられた姿に心を打たれました。

被災地が今後、真の復興を遂げていくことを心から願うとともに、引き続き被災地に心を寄せていきたいという思いを新たにいたしました。

 皇后にとって「被災地」は東北以外にはないんだなと思いました。

 9月には、全国豊かな海づくり大会のために北海道を、そして10月には、特別国民体育大会のために鹿児島県、国民文化祭及び全国障害者芸術・文化祭のために石川県を訪れ、それぞれの地域の特色に触れ、この国の自然・風土や歴史・文化の豊かさを改めて感じることができました。

また、行く先々で、多くの方に温かく迎えていただいたこともうれしく、それぞれの場所でいろいろな方のお話を直接伺えたことも有り難いことでした。

6月には、天皇陛下とご一緒に、令和になって初めて国賓としてインドネシアを訪問いたしました。

久々の海外への親善訪問で、滞在期間も国内で地方を訪問する時よりも長かったこともあり、当初は不安もありましたが、多くの方に温かく迎えていただき、お陰様で、貴重な経験に満ちた思い出に残る初めてのインドネシア滞在となりました。

大統領ご夫妻には、ボゴール宮殿において歓迎行事や午さん会を催していただいたほか、大統領には、ご自身の運転されるカートで植物園をご案内いただき、また、ご夫人にはインドネシアの伝統文化をご紹介いただくなど、温かいおもてなしを頂き、楽しいひとときをご一緒させていただいたことが有り難く、とても良い思い出になりました。

また、若い人々を含め、インドネシアの人々との現地での交流を通じて、インドネシアの人々の心の温かさや優しさ、そして、日本の人々や文化に対して抱いてくれている敬いや親しみの気持ちを肌で感じ、日本とインドネシアの間で長年にわたって培われてきた友好の輪の広がりを実感することができました。

 いやいや、インドネシアでかなり大失敗をやらかしている事を忘れてはいけない。

国賓だったのに格下げされて、午餐会になり、陛下はへんな場所ばかり見学し、皇后は半分はホテルに籠ってましたよね。その事実は変わりませんから。

あなたにとっては「たのしいひととき」だったかもしれませんが、あちらからすれば「面倒な客」以外になかった。

会見だって天皇と大統領のみで皇后はろうけつ染め体験したり、あちら伝統の生地をまとったり、まるで子供のおもてなしのよう。

さらに大統領が飼っているアロワナに「あなたがエサを?」とため口で言い、結果的に「差し上げましょう」と言われる始末でした。

なんら国益のないインドネシア訪問でした。

また、国内においては遅刻は勿論(そう言えば、復活した園遊会には触れないのね)

ドタ出ばかり繰り返し、気が付けば鑑賞が公務になってました。

 

幸いにして、今年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大の落ち着きを受けて、4年ぶりに栃木県の御料牧場や那須御用邸で静養する機会にも恵まれました。

豊かな自然の中で、ゆっくりと心安らぐ日々を過ごすことができたことはうれしいことでした。

 国民との間をプランターで仕切るという暴挙。そしてそのプランターにけつまづいたこと。さらに貰ってはいけないプレゼントを気軽に受け取ってしまったこと。陛下が公務で帰京、その後、トンボ返りをさせるという無茶をやってのけたこと。

本当に好き勝手しているなという印象でした。

 

 今年は、私たちにとりまして、結婚30年の節目の年でもありました。

この30年の間のことを思い起こしますと、上皇上皇后両陛下の温かいお導きの下で、天皇陛下に常に優しくお支えいただき、また、ほかにも多くの方々に助けられ、見守っていただきながら、今日の日を迎えることができましたことに心から感謝しております。

今年は、記念の展覧会なども思いがけず開催していただき、多くの方にお祝いいただいたことはうれしく、有り難いことでした

 え?雅子さんは「人権侵害を受けていた」んじゃなかった?

この30年の月日の中で、2年前に愛子が無事に成年を迎えることができました時には安堵すると同時に、たくさんの方にお祝いいただいたことを心から有り難く思いました。

お陰様で、愛子はこの4月から大学4年生に進級し、対面での授業を受けるために大学に通い始めましたが、先生方やお友達とも一緒にとても楽しそうに学生生活を送っています。今は卒業論文の提出が間近に迫って忙しそうにしていますが、残りの大学生活を有意義に送ってもらえればと思っています。

まだあどけないところも残る愛子ではありますが、いろいろな時に私たちを助けてくれるようにもなってきたと感じます。

 「あどけない」という言葉を22歳の娘に使う事・・・カミングアウトですか?

20歳を迎えた娘にティアラ等一式をそろえる事もせず、国民に責任転嫁しました。

「あどけない」愛子さんは人前に出せない状態なのでは?

 今回、還暦という節目の誕生日を迎えることに信じられないような気持ちがいたしますが、この機会に、これまでの60年の人生を改めて振り返り、この世に生を受けてから私を慈しみ育ててくれた両親をはじめ、家族や友人、先生方、そして今までお世話になった全ての方に深く感謝いたします。

また、日ごろより国民の皆様から寄せていただいている温かいお気持ちに対し、改めまして心からの御礼をお伝えしたいと思います。

これからまた新たな気持ちで一歩を踏み出し、努力を重ねながら、この先の人生を歩んでいくことができればと思っております。

来る年が、我が国、そして世界の人々にとって、明るい希望を持って進んでいくことのできるより良い年となることを願いつつ、国民の皆様の幸せを祈りながら、できる限りの務めを果たすことができますよう努力してまいりたいと思います。

 60年の歩みを振り返ったら、何が出てくるんでしょうね。

正直、歳をとるに従って人相が悪くなっていく雅子さんは、上皇后とよく似ています。

柔和、優しさ、気品がなくて、上から目線、権力志向、自分が一番というのが顔に現れていますよね。

でも気の毒な女性でもあります。

普通なら、孫がいてもおかしくない年齢であるにも関わらず、まだ22歳の娘の付き添いをしなくてはならない身の上です。

実際問題「私達が死んだらこの娘はどうやっていきていくのか」と思っているでしょう。

天皇にまで祀り上げれば、回りが何とかしてくれるとても思っているのか、あるいは自分達より若い「介護者」探しで婿を探しているのかわかりませんけど。

娘というのは成長するに従って母の味方になっていくし、服とか化粧品などを母に教えてくれたり「こうした方がいいよ」なんて話で盛り上がったりする存在です。

紀子様の最近の服装は佳子様の影響を大きく受けている気がしますし、佳子様もまた母をリスペクトしています。

だけど雅子さんと愛子さんの間には、何のリスペクトもなく、両親が一方的に娘に与えるばかり。そして何とか娘が「普通」なんだと世間に主張して終わりたい。それだけなんですね。

「普通」ならまだしも「超優秀」とか言い出すから、ひっこみがつかなくなって、もはや公式の場には出せなくなった。

園遊会も午餐会も、伊勢神宮への参拝すら一人では出来ないお嬢様です。

かといって両親がのこのこついていくわけにもいかず、ジレンマに陥っているのでは。

 

どんなに権力を誇示して見せても、夫はもう心はここにあらずという感じですし、娘も少しも労わってくれないでしょう。

そういう風に育てた報いと言えば簡単ですけど、それでも体面を保ち続けようと一生懸命にマスコミに「ご優秀」伝説を書かせる。非常に悲しい母ですね。

雅子さんの人相がみるみる内に悪相になって行ってるのは、常に頭の片隅で「どうやったら誤魔化せるか」「どうやったら損をしないか」と考えているせいではないでしょうか。

今時還暦ごときでは老人とは呼べませんが、ハイヒールで歩く時のよたよた感に、「ああ、この人、ちっとも体を大事にしていないな」という事がわかります。

いずれ早晩、両陛下ともにボケちゃうかもしれませんね。

その時がある意味、一番幸せなのかもしれません。

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皇后陛下 60歳に  1

2023-12-09 09:10:26 | 皇室報道

 皇后陛下 誕生日おめでとうございます 

「お誕生日全文」

ちょうど10年前の今日、50歳の誕生日を迎えるに当たり、それまで半世紀を生きてきたことを思い、「不思議な感慨に包まれます」と感想をつづりましてから、いつの間にか10年の月日がたちました。

 光陰矢のごとしと申しますが、この10年はあっという間に過ぎたようでもありながら、以前には予期していなかったようなさまざまな出来事や社会の変化のあった10年でもあったように感じます。

 皇后陛下の数字感覚ってものすごく独特ですよね。なぜかいきなり10年前の感想が出てきたり。

その10年前の少し前には、未曽有の被害をもたらした東日本大震災により、大変に多くの方々が犠牲になられ、また、被災されました。

30年前に私が皇室に入りましてから時をあまり経ずして起きた阪神淡路大震災とともに、このことは大きな衝撃と深い悲しみを持って受け止めなくてはならない現実でした。

その後も、7年前の熊本地震のほか、台風や豪雨などの自然災害により、我が国は度々大きな災いに見舞われてきましたが、その度に、その時々の厳しい状況の中で人々が力を合わせ、手を取り合って、助け合いながら、悲しみを乗り越え、苦難に立ち向かおうとする姿にどれほどの感銘を受けたことでしょう。

そのようなときに、国内各地、そして海外のたくさんの方から届いた温かい支援や善意も心から有り難く感じるものでした。

 「受け止めなくてはならない現実」という言い方が他人事で、確かにあの時、震災があっても中東へ行った気持ちがわかるような気がします。

 熊本地震は記憶にあっても、新潟地震は記憶にないのかな、だからあの時、静養を強行したのかなと思ったり。結局熊本にも未だ行ってないわけですし。言葉と行動が真逆な気がします。

 

4年近く前には、にわかに新型コロナウイルス感染症の猛威にさらされることになりました。

我が国を含め、世界中で多くの人々が重い病に倒れ、亡くなっていくという、日々の報道を見るのがつらい毎日でした。

そのような中にあって、人々の命を救うために、医療や保健などの分野で日夜懸命に力を尽くされた方々の献身に改めて深く感謝いたします。

国民の皆さんの協力も相まって、その後さまざまな努力が実り、この感染症の問題が少しずつ落ち着きを見せるとともに、街にも活気が戻り、多くの人が徐々に日常の生活を取り戻してきていることに安堵(あんど)しています。

その一方で、今なおさまざまな困難を抱えている人も多く、身の上を案じています。

 とはいいつつ、自分達は皇居を出ず、娘も学校に行かせず、マスクをずっとしている当たり、「コロナ禍→平常」への気持ちの移行がきちんと出来ていないのではないかと思います。コロナ禍では公務なしで親子でずっと皇居に引きこもり、秋篠宮家のように医療機関に手作りの防護服をプレゼントするわけでもなく。

 自分達だけは絶対にコロナにかからないぞという強い意志は見えましたけど。

世界に目を向けますと、戦争や紛争により、各地で子どもを含む多くの人の命が失われていることに大変心が痛みます。

そして、現在、国際社会の中で、分断と対立が深まってきているのではないかということが気に掛かります。

平和な世界を築いていくために、人々が対話を通して相手の置かれている状況を理解しようと努め、互いを尊重し合いながら協力していくことがいかに大切かを改めて感じます。

 世界ではまた、今年も地震や水害などの大規模な災害が起きました。

トルコ、シリア、モロッコ、アフガニスタンでは、大きな地震が発生し、多くの人が亡くなったり、負傷したり、家を失い避難生活を余儀なくされたりしています。

大雨による被害や山火事、深刻な干ばつなど、地球温暖化に伴うと思われる自然災害も世界各地で多発しています。

気候変動など地球規模の環境問題は、私たちが協力し合いながら真剣に取り組まなければならない喫緊の課題の一つであると考えます。

 新潟地震を吹っ飛ばすわりにはよその国の地震の事はよく覚えていらして。

まるで政治家のようなおっしゃり方。

そして天皇陛下のお誕生日文書と文体がそっくり。

 

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愛子内親王殿下 22歳に

2023-12-01 10:40:00 | 皇室報道

 愛子内親王殿下 22歳の誕生日おめでとうございます 

今年は書陵部で撮影されたそうです。

学習院大学の切り札である愛子内親王は、書陵部で古文書を見るのがすき~~~な体

なぜジャケットを着ようと思ったのかな。ジャケットなしの方がいいんじゃない?

前ボタンが・・・私にはジャケットの丈が寸足らずに見えて。

明らかにこの白ジャケットはスーツの一部だよねって感じで。

お見合い写真のようですね。早くこれを各家に配って結婚を決めなくては。

 

愛子内親王殿下には、12月1日に満22歳のお誕生日をお迎えになります。

この一年のご活動を振り返りますと、今年4月に学習院大学文学部日本語日本文学科の4年生に進級され、新型コロナウイルス感染症の規制が徐々に緩和される中で、大学の多くの科目で対面授業が再開されたことを受け、今春から目白のキャンパスに足を運ばれて、対面で授業をお受けになるようになりました。

オンライン授業の間には味わうことのできなかった大学の活気を肌で感じられながら、日々の授業や課題に熱心に取り組んでいらっしゃいます。

授業では、平安、鎌倉、江戸、明治時代の物語や和歌を始めとする文学作品などを通して、それぞれの時代の思想や文学への学びを深めていらっしゃいます。

そのほか、福祉や体育の授業など、幅広い分野の授業を履修され、キャンパスでの学生生活を通して、様々な新しい経験を積んでいらっしゃいます。

ご友人との対面でのご交流も再び始まり、旧友との久しぶりの再会を心から喜ばれるとともに、新たな交友関係も広がり、ご友人とご一緒に学内の様々な場所を巡られるなど、残りわずかとなった大学生活を楽しんでいらっしゃるご様子です。

また、ご卒業に向けて卒業論文の執筆も始まり、時には放課後に、日本語日本文学科の閲覧室や書庫で資料を集められたり、図書館に立ち寄られたりされるなど、忙しい中にも充実した日々を送っていらっしゃいます。

日々の学業を優先されながらではありますが、両陛下とご一緒にお出ましになる機会が増えました。 昨年12月には、映画「Dr.コトー診療所」地域医療支援チャリティー上映会をご一家でご鑑賞になりました。

お三方で映画を鑑賞されるのは約3年ぶりとなりましたが、内親王殿下には映画を楽しまれると同時に、離島における地域医療の厳しい現状に理解を深められ、島の美しさや島民の結びつきの強さについても印象深くお感じになったご様子でした。

5月には、ウィーン少年合唱団の来日公演にご一家でお出ましになりました。新型コロナウイルス感染症の影響で4年ぶりの開催となったウィーン少年合唱団のコンサートで、満員の観客と共に、合唱団の少年たちの美しい歌声を堪能することがおできになったことを喜ばれ、コロナ禍を乗り越えて今回の公演を成し遂げた関係者の努力を労われました。

日本の伝統文化にも関心をお持ちになっており、5月と10月には、天皇陛下とご一緒に宮内庁楽部において雅楽演奏会をご鑑賞になりました。

大学で日本の伝統芸能の授業を履修されていた年もあり、その際に雅楽についても学ばれる機会があったことから、楽器や舞の所作などについての解説に時折質問を交えつつ耳を傾けられ、関心深くご鑑賞になりました。

9月には、第70回日本伝統工芸展にご一家でお出ましになりました。

お三方には、作品に用いられている素材や技法などについての説明をお聞きになりながら、受賞作品を中心に、美しい伝統工芸品をご覧になり、それぞれの作品の精巧な技術に感銘を受けられたご様子でした。

その際、日本工芸会の総裁でいらっしゃる佳子内親王殿下とも、作品についてのご感想などを楽しそうにお話しになっていらっしゃいました。

11月には、特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」(東京国立博物館)をご一家でご覧になりました。

作品についての解説を熱心にお聞きになり、一つ一つの展示について、構図や画法、また、描かれている内容などについてご質問になりながら、平安時代から室町時代にかけてのやまと絵作品をご鑑賞になりました。

大学の日本語日本文学科で学ばれている内親王殿下には、「源氏物語絵巻」夕霧や「紫式部日記絵巻」断簡といった、日本文学とも深い関わりのある貴重な国宝や重要文化財の数々を実際にご覧になり、絵の描かれた場面や構図、使われている絵具などについて、関心をお持ちになって尋ねていらっしゃいました。

日頃から福祉活動全般にご関心をお持ちの内親王殿下には、皇后陛下が名誉総裁をお務めになっている日本赤十字社が開催する全国赤十字大会や、フローレンス・ナイチンゲール記章授与式を前に行われたご進講に両陛下とご一緒にご出席になり、日本赤十字社の職員の方々の活動などについて、ご質問をなさりながら熱心にお聞きになりました。 10月には、ご一家で日本赤十字社本社をご訪問になり、企画展「関東大震災100年温故備震(おんこびしん)~故(ふる)きを温(たず)ね明日に備える~」をご覧になりました。

今年は関東大震災発生から100年の節目の年であり、お三方には、当時の日本赤十字社の救護活動を伝える今回の展示をご覧になって、理解を深めたいとのお気持ちからお出ましになりました。展示ご覧に先立ち、本社敷地内に建立されている殉職救護員慰霊碑にお三方でご供花をなさり、拝礼されました。

内親王殿下が公式の場でご供花をなさるのは初めてのことでしたが、ご所作などについて事前に天皇皇后両陛下にもお聞きになり、心を込めて臨まれました。

企画展では、関東大震災における日本赤十字社の救護活動の記録を展示する企画展の概要の説明をお受けになり、震災の被害の大きさに思いを巡らされているご様子でした。 その後、常設展に移動され、赤十字の誕生、日本赤十字社設立から関東大震災が起こるまでの活動をご覧になりました。

また、日本での赤十字社活動の初期に当時の皇后陛下(昭憲皇太后)が深く関わっておられたことを示す資料を説明者にご質問になりながら熱心にご覧になり、昭憲皇太后が果たされた役割の大きさを感慨深く思われているご様子でした。

次に、企画展「温故備震」において、関東大震災の救護活動の映像をご覧になるとともに、当時の医療器具・救護物資の展示を一つ一つ丁寧にご覧になりました。 企画展ご覧後には、現在の日本赤十字社で実際に使われている救護資機材の展示を、救護活動に従事した経験を持つ医師や看護師から説明をお受けになり、関心深くご覧になりました。東日本大震災や熊本地震の際に救護活動に使われたエアーテントや、その中に設置された診療ベッドや点滴台など、救護班が使用する医療資機材が機能的に収められている様子をご覧になりながら詳しく説明をお聞きになり、日本赤十字社の救護体制に感心されたご様子でした。

新年の諸行事として、3年ぶりに再開された一般参賀に初めてお出ましになりました

天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下お始め皇族殿下方とご一緒に、計6回お出ましになりました。

最初は緊張されたそうですが、徐々に場の雰囲気にも慣れてこられ、無事に終えられたことに安堵されていたご様子でした。

2月23日の天皇陛下のお誕生日の一般参賀も再開され、こちらにも3回お出ましになりました。参賀に見えられた方々に手を振られ、国民の皆さんとともにお祝いできたことをうれしく思っていらっしゃいます。

2023年は両陛下御即位5年・御成婚30年の年に当たり、5月には、御即位5年・御成婚30年記念特別展「新しい時代とともに-天皇皇后両陛下の歩み」を、ご一家でご覧になりました。

両陛下のご幼少期からご結婚、そして現在に至るまでの様々な場面をとらえたお写真や、お使いになったお品、お召物を、一つ一つじっくりとご覧になりました。

内親王殿下には、ご即位の際に各都道府県から献上された品々をご覧になった際、数々の伝統工芸品の美しさや技術の素晴らしさなどを楽しまれながら、各地の特徴ある伝統文化に思いを馳せておられるご様子でした。

ご自身が、今まで映像や写真などの資料でご覧になっていたものを実際に目の当たりにされて、興味深く思われたご様子でした。

また11月には、皇居三の丸尚蔵館において、「特別展示 御即位5年・御成婚30年記念 令和の御代を迎えて―天皇皇后両陛下が歩まれた30年」及び「皇居三の丸尚蔵館 開館記念展 皇室のみやび―受け継ぐ美―」を、ご一家でご覧になりました

特別展示では、新しくなった三の丸尚蔵館の建物や設備などについて担当者に質問をされながら、一つ一つのお品をゆっくりとご覧になり、思い出の品々がきれいに展示されているのをご覧になって、感慨深く思われたご様子でした。

次にご覧になった開館記念展では、「春日権現験記絵」をご覧になった際に、絵巻に描かれた牛車について天皇陛下から詳しく解説をお聞きになったり、表紙裂の修復の際に、上皇后陛下が紅葉山御養蚕所でお育てになった小石丸の糸が使われたことが話題になったりしました。

また、内親王殿下には、それぞれの絵や書が描かれた時代の文学を学ばれていたことなどからも、ご関心を持ってご鑑賞になりました。

9月には、皇族たる皇室会議の議員及びその予備議員の互選の立会人をお務めになりました。

投票も立会人のお務めも初めてのご経験でしたが、事前に次第やご所作などを両陛下にお聞きになりながら確認されて臨まれました。

お役目を無事に終えられ、安堵されると同時に、良いご経験になられたご様子でした。10月には、明年から伊勢神宮(皇大神宮)の神馬(しんめ)となる予定の「本勇号(もといさむごう)」を主馬班の厩舎にてご一家でご覧になり、お別れをなさいました。「本勇号」をやさしくお撫でになり、ニンジンをお与えになるなどして、慈しみの気持ちを持ってご一緒の時間を過ごされました。

そして、「本勇号」が、今後、神馬としての務めを元気に果たしていくことを願っておられます。

内親王殿下ご自身にとりまして、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下のこれまでのお歩みに触れられることや、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下、皇族殿下方とご一緒に様々な行事に出席されることは、皇室の歴史や伝統に触れられる良い機会となり、皇族としてのお務めについて、改めて思いを深くしていらっしゃるご様子です。

そして、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下に、常に温かくお見守りいただいていることに、深く感謝のお気持ちをお持ちになっていらっしゃいます。

この1年も、学業の状況を勘案しながら、宮中祭祀にお出ましになりました。昨年12月の大正天皇例祭から、今年に入り、元始祭、昭和天皇祭、春季皇霊祭・神殿祭、神武天皇祭、秋季皇霊祭・神殿祭、神嘗祭にご参列になり、心を込めてご拝礼になりました。

先の大戦や自然災害で亡くなられた多くの方々への追悼のお気持ちから、1月17日の阪神淡路大震災、3月11日の東日本大震災、6月23日の沖縄慰霊の日、8月の広島・長崎原爆の日、終戦記念日には、今年も黙祷をなさいました。

また、昨今毎年のように発生する豪雨等の自然災害の被害に遭われた方々にも、お心を寄せていらっしゃいます。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受け、令和元年以来ご静養はお控えになっていらっしゃいましたが、

今年は4月に栃木県の御料牧場へ、8月から9月にかけては那須御用邸附属邸にご一家でお出ましになり、ご滞在になりました

久しぶりに御所を離れてのご静養でゆっくりされ、懐かしい施設なども訪れられて地元の方々に温かくお迎えいただいたことを嬉しく思われるとともに、気持ちも新たにリフレッシュされたご様子でした。

御所におけるお過ごしでは、犬の「由莉」や猫の「みー」と「セブン」を始め、大切に飼われている動物たちのお世話を引き続きなさりながら、動物たちとの触れ合いを楽しんでいらっしゃいます。

また、今年も5月から6月頃にかけて、大学の授業の合間に、蚕の飼育をなさいました。卵からふ化して幼虫になり、繭を作って成虫になる過程を観察され、大事に飼育されていました。

皇后陛下のご養蚕の間には、天皇陛下とご一緒に紅葉山御養蚕所にお出ましになり、お三方でご一緒にご給桑や上蔟などの作業をなさる機会もありました。

また、お庭の畑で野菜の栽培を今年もなさいました。白菜、キュウリ、ナス、ピーマン、オクラ、獅子唐、落花生、バジルなどを楽しみながらお育てになり、収穫なさいました。

収穫された野菜は、ご家族でおいしく召し上がられたと伺っています。

お時間があるときには、両陛下とご一緒に皇居内を散策されたり、職員と一緒に屋外でテニス、バレーボールやバドミントンをされるなど、体を動かすことを楽しみにしていらっしゃいます。

この1年間、徐々に元どおりの生活が取り戻されつつある中で、愛子内親王殿下には、いろいろな方々に支えていただきながら、実り多い大学生活を送られるとともに、成年皇族としてのご経験を少しずつお積みになっていらっしゃいます。そのような中で、国民の皆さまから温かく見守っていただいていることに感謝をされながら、お健やかに22歳のお誕生日をお迎えになろうとしています

 

愛子内親王が成年皇族として今年も出来なかったこと

 伊勢神宮参拝

 武蔵野陵・武蔵野東陵参拝

 明治神宮参拝

 講書始の儀

 歌会始の儀

 午餐会、茶会出席

 単独公務

あげたらきりがない。書かれているように宮中祭祀に一生懸命に取り組むなら、まず自分がやるべきことを先になさいという感じ。

また、供花が初めて・・・というのもびっくり。広島へ行った時は修学旅行だったから見ただけか。いやいや、とにかく公務しないからこういう結果になるのであって、今まで供花した事がないというのは、結構恥ずかしい事ですよ。

1年間、両親、または陛下と一緒に鑑賞ばかりしてきた内親王。

4月からは大学院ですか?留学ですか?

学習院大に言っておきますが、コネで大学院に入れるのは間違いです。

そもそもが不登校で、多分卒論も書いてないんだし。陛下に代筆させるんじゃないの?

私としては、新年一般参賀で、また秋篠宮殿下を扇子でどかすような事はしないでねという事です。

 

考えてみれば本当に「お可哀想」あんなお母さまに育てられ、盛るだけ盛られて中身は空洞状態。

所作事の一つも出来ないお母さまより「ご優秀」になるのはきっと無理でしょうね。

 

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秋篠宮殿下の記者会見で見えて来たもの

2023-12-01 07:00:00 | 皇室報道

 

今回の殿下の記者会見は、あまりにもぐずぐずと続く「佳子様別居による税金無駄遣い」バッシングに対する相対的な答えであると思います。

これ以上でもなくこれ以下でもない。

(それでもまだぐずぐず言うんだろうとは思うけど)

いわばこれで終わり、これ以上の難癖はつけるな・・・という話なのです。

今後、雑誌が騒いでも誰も何も発表しないと思いますのでマスコミは無駄な事はおやめなさい。

さて、この記者会見において、色々見えて来たもの、宮内庁がいかに口下手だった事がわかる部分があります。

 今回の改修というのは、その住まいの部分と、それから来客の応対をしたり、それから私たちが様々な打合せをしたりする場所、これを公室部分と呼んでいます。

そして、広義ではその二つを秋篠宮邸と言えると思います。

それにプラスして、役所の一組織である皇嗣職、それが加わった工事、改修でありました。それの新築部分若しくは増築部分というのは、最も大きかったのがお役所の部分、皇嗣職の部分で、これが66%でした。

そして、それから今度は公室部分、これはもう50年間、元の秩父宮邸ですけれども、50年間にわたって行われてこなくて、かなり老朽化した部分がありました。

それで、かなり引き延ばしていたんですけれども、それも、どうしてもせざるを得ないということで行ったものと、そこに、こちらが主として公的なものに関わる仕事をする場所というもの、それが大体30%弱ですね。

29%になるかな。そして住まいについて、5%ほどの増築をしたわけでございます。

 住まい部分改修 → 5%

  公室部分 → 30%

  皇嗣職などがいる役所部分 → 66%

です。先に西村長官が言ったのは「役所部分の改修がほとんどでした」という事で、具体的な%はなかったですね。

今回ははっきりと「プライベートな生活部分は5%」とおっしゃっています。

秋篠宮殿下は皇嗣・・つまり皇太子と同等の身分となられ、公務が増え使用人も増えた。彼らが活動する部分がない。想定していなかった。どうしよう。

 赤坂東邸を秋篠宮邸の一部にする、一体化させるという話などもありましたけれども、そういうのは、結局は今の共用殿邸としての形を残すべきだろうということから、そういう話がなくなったことなどを合わせて、やはり当初からの大きな変更というふうに考えたことから、6月の公表ということになったわけです。

 赤坂東邸を秋篠宮家の一部にする → 一度はそう考えた

 けれど、東邸は他の皇族も使えるようにしなければいけなくなって、だから当初の考え方とは計算が大きく変わって来たのだとおっしゃっています。

遅くなった理由はわかります。

 日々お忙しい秋篠宮殿下が、公務に加えて建設費用の事まで逐一目を配らなくてはいけないというのはワーキングオーバーであったこと。

 皇嗣職に主となってその問題への発表タイミングを計る人物がいなかったこと

皇嗣大夫は、バッシングに顔が青くなり、慌てて発表したのだと思います。いわば殿下の顔に泥を塗ってしまった事に罪悪感があったものと思います。

しかし、当初の西村長官はそんな皇嗣大夫に苦言を呈した。

だけど、誕生日の記者会見でいよいよ殿下がご自分の言葉で語る事を知って、慌てて長官が「公の部分の改修がほとんどでした」とは言わざるを得なくなったのです。

官僚が物事をはっきり言わず、出来ればスルーしようと思っていたけど、逆にバッシングがひどくなる一方で、殿下自ら乗り出された。

いわば総理大臣に言い訳させたようなものと思います。

それでも殿下が「自分がぐずぐずしていた」という絶妙な言葉で非を認めた事により、これ以上の追及は表向き出来なくなりました。

皇族が自ら泥をかぶることなどあってはいけないのです。

そうさせない為に宮内庁がいるのに、却って庇って貰う結果になった。

しかし、この問題の根本原因は何かといえば

 赤坂の東宮御所を上皇夫妻が占拠する。その事を回りが認めてしまったこと

この一言に尽きます。

「ぶっちゃけおたあさんとおもうさんが隠居所に籠ってくれたら、うちらも東宮御所に移って、水回りの改修だけで済んだのや。

けど、おたあさんは過去の栄光がわすれられへんのや。だからようわかんようになってしもうたおもうさんまで巻き込んで東宮御所に住むいわはった。子としてはもう何も言へへんのや」

って事です。

世が世ならば東宮さんと呼ばれ、かしずかれる身なのに狭い邸に押し込められた。内廷皇族から外された。そういう「不遇」が生みだしたもの。それが改修費用です。

 いずれはこの家から出ていくであろう、実際に一人はもうその前に結婚しているわけですけれども、娘たちの部屋をそこに用意すること自体がある意味無駄になるという考えからです

 一見、めちゃくちゃ冷たい言葉に思えてしまうのですが。眞子様はともかく、佳子様についても「いずれはこの家から出ていくであろう」と考えていると言う事は、つまりここに「女性宮家や女系はない」と明言なさっているのです。

 そうは言っても実際、佳子様はまだ結婚していないし、あと何年宮家にいるかわかりません。だから職員が済む場所に間借りさせる。これは親としては非常に心が痛む筈です。

当の佳子様は、すぐそばとはいえ独立した気分になれるし一人になれる時間もとれるので何とも思ってはいないでしょう。それに確かに「降嫁すれば一般人」になるんですから。

 22歳になる内親王といつまでも親子3人で行動している天皇家とは真逆の生き方ですが、男系を守る皇族として、また成人した子を持つ親としてそれは当然の事なのだろうと思います。

 バッシングと取れる報道とかSNSでの声についての感想、これはまず、なかなか感想を言うのは難しいなと思います。非常に極端なことを言っている人の割合というのは相当低いというのは私も知っていますけれども。

 マスコミがおかしいと思いました。

というか、意味不明な理不尽なむちゃくちゃなバッシング記事を垂れ流しているマスコミが殿下に「バッシングについてどう思いますか」と聞く事がおかしいのではないか。

「嫌に決まっているじゃないですか」と殿下が過去30年に渡る雑誌の内容を全てコピーして記者達に配り、「これを読んでどう思いますか」と逆に聞いてきたらどうします?

そういう事だってしようと思えば出来るんですよ。

でも、なさらないのが秋篠宮さまの優しい所なんだと思います。

その優しさが長女であり、もっともしっかりとされていた真面目な眞子様の心を砕いてしまった・・・というのもまた事実で。

宮家は眞子様を人身御供に出されてしまったのだと私は思います。

 似たような子を持つ親として申し上げますが、この「親の思い」と「子の思い」のすれ違いは永遠に埋まる事はないのかもと、時々絶望的になります。

特に紀子様にとっては、可愛い眞子様、小さい頃はあんなに明るく無邪気でよく笑っていた眞子様が心を閉ざしてしまうという状態は想像がつかなかったと思うのです。

日々、祈り「わが手に返して欲しい」と思うだけです。

眞子様の世代になると、あまり親の気持ちは考えず自分にばかり責任を押し付けてと思ったりするものです。

そうじゃないのに。

 悠仁殿下はお姉さま方を見ていますので、スルーする事が上手です。末っ子はいつもそうだなと。だけど早く眞子様との距離を縮めていかないと悠仁殿下が姉君を誤解するような事になるかもしれない。

そうあってはいけないと思っています。

 

この記者会見は、全て「殿下お願いします」と宮内庁が丸投げした問題を一人で収拾した優秀な皇族のお披露目と受け取っています。

 

 

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