人間の究極の幸せは何だろう。金は、幸せを実現させるために重宝なものであり、それは「エネルギー」の変形したものである。大金を占有するためには、それなりに知恵が必要である。皆が欲しがるであろう金ともなれば、「盗まれないように」気をつけないといけない。軍隊の半分の役目は、権力者の財産、金を民衆から守るためであろう。敵国から国を守るためと云うのは詭弁である。国を守るのは武力より「食糧自給」である。集団的武力は、庶民を守ってくれないのが歴史的事実と思うが、当の庶民はそのことに気づかない愚かな生物のようだ。
汗水流して得るお金の額は知れている。そんな額では、物欲的豊かな幸せは得られない。物欲より精神的幸せのほうが高尚とうそぶくのも空しい。どう考えても、物欲を否定するような精神論は、人間の本質から逃げているようで、聞き苦しい。
物欲精神欲すべてを欲し、実現させるところに、無限の宇宙の無限たる意味を感じる俗人としては、現在の、権力欲、金欲に汲々としている者たちの改心を期待したい。
善悪の判断
人種、宗教、イデオロギー、資産多い少ないの違いで判断するのではなく、現実にどう生きているか、善悪の判断は、まず自分の都合によいものは善、さらに社会にとっても都合のよいものは、より深く善ということで判断する。
このシステムを継続可能にさせるためには、
「エネルギー」の個人自由化である。ただし、安全性の保証が条件である。
そのエネルギーとは、宇宙空間から、小型の器具レベルで「直接電気を取り出し、蓄電して小出しに使う方式」のエネルギーである。このエネルギーの実現によって、今までの、権力者、一部の金持ちだけが豊かな幸せを享受独占する、「ゆがんだ幸せ構造」が崩壊し、公平な幸せ感じ世界が実現する。ただし、安全性の維持に対する注意は原発よりさらに慎重にする必要がある。それは、電気エネルギーを宇宙空間から直接取り出すと、宇宙の構造維持に致命的な影響が出ることが予想されるからである。
炭や石油、石炭のエネルギーレベルでは、宇宙構造の変化に即座に影響は出ないが、「電気」は、宇宙構造そのものであると考えると、うかつに大量の電気を消費することは、宇宙空間の急激な構造変化を起こさせる可能性があり、「電気の自由化による消費の拡大」は原爆どころの騒ぎですまないという、なんとも皮肉なことになりかねない。
いずれにしても、人類全体の意識の、貧乏性からの、脱皮大進化が必要なのである。
汗水流して得るお金の額は知れている。そんな額では、物欲的豊かな幸せは得られない。物欲より精神的幸せのほうが高尚とうそぶくのも空しい。どう考えても、物欲を否定するような精神論は、人間の本質から逃げているようで、聞き苦しい。
物欲精神欲すべてを欲し、実現させるところに、無限の宇宙の無限たる意味を感じる俗人としては、現在の、権力欲、金欲に汲々としている者たちの改心を期待したい。
善悪の判断
人種、宗教、イデオロギー、資産多い少ないの違いで判断するのではなく、現実にどう生きているか、善悪の判断は、まず自分の都合によいものは善、さらに社会にとっても都合のよいものは、より深く善ということで判断する。
このシステムを継続可能にさせるためには、
「エネルギー」の個人自由化である。ただし、安全性の保証が条件である。
そのエネルギーとは、宇宙空間から、小型の器具レベルで「直接電気を取り出し、蓄電して小出しに使う方式」のエネルギーである。このエネルギーの実現によって、今までの、権力者、一部の金持ちだけが豊かな幸せを享受独占する、「ゆがんだ幸せ構造」が崩壊し、公平な幸せ感じ世界が実現する。ただし、安全性の維持に対する注意は原発よりさらに慎重にする必要がある。それは、電気エネルギーを宇宙空間から直接取り出すと、宇宙の構造維持に致命的な影響が出ることが予想されるからである。
炭や石油、石炭のエネルギーレベルでは、宇宙構造の変化に即座に影響は出ないが、「電気」は、宇宙構造そのものであると考えると、うかつに大量の電気を消費することは、宇宙空間の急激な構造変化を起こさせる可能性があり、「電気の自由化による消費の拡大」は原爆どころの騒ぎですまないという、なんとも皮肉なことになりかねない。
いずれにしても、人類全体の意識の、貧乏性からの、脱皮大進化が必要なのである。