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月下樹のおと

樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。

3/7 アートマネジメント公開講座 実践演習『リサーチ演習』 四国の伝統芸能のマネジメントを考える

2019-03-10 01:08:27 | 参加★舞台 映画 WS等


アートマネジメント公開講座2018
実践演習『リサーチ演習』

四国の伝統芸能のマネジメントを考える
~徳島県人形浄瑠璃、愛媛県内子座から~
2019/3/7(木) 20:00~21:30
四国学院大学内教室826

講師:
佐藤憲治
(徳島県立阿波十郎兵衛屋敷 館長。徳島県の主要な文化施設の整備・運営や阿波人形浄瑠璃、阿波藍、音楽の振興など、長年にわたり徳島の文化振興に従事。NPO法人阿波農村舞台の会の設立)

徳永高志( 茅野市民館コアアドバイザー、慶應義塾大学大学院アートマネジメントコース非常勤講師。内子座、町立久万美術館、淡路人形座のほか、伊予市、神戸市の文化施設計画や文化政策にもかかわる)

…………………………………

うまくまとめられませんでしたが
忘れないように(笑)
感想を交えつつメモしたものです。

■「伝統芸能」の現在と未来

・伝統芸能とは何か?
古いものだけでなくその様式や手法などを使い
新しいものも作られている。
自分達の生活から遠いものではない。

・四国の伝統芸能
人形浄瑠璃、神楽、歌舞伎
徳島から愛媛に伝播いていった歴史あり
昔は現代のように交通は発達していなかったが
交流があったようだ。
吉野川を利用した水運が発達していた。

・土佐藩の「芝居禁止」と絵金
四国でも藩によって違いあり。
政治的な背景などにより。

・個別の事例から
阿波人形座、内子座など芝居小屋、茂山狂言

・伝統芸能が直面する課題
継承、鑑賞、地域

……………………

藍や農作物などで潤った経済力で
人形の芸能が発展してきた歴史がある。

徳島には農村舞台が沢山残されている。
それを活かすために活動が行われている。

観客を呼ぶための工夫。
周遊の船などのミニツアーやグッズなど。

次の世代へ。
高校の民芸部→卒業生が人形座
学校での指導は、以前の経験者

継続して次の世代に伝える必要はある。
でも、やらされる感があっては
続かないのだろう。

楽しいということが大事。
年上の子が楽しそうにやっている、
その姿がかっこいい、など
身近なモデルも大切なのだろう。

自分の身近なところでは
獅子舞などがあるが
やはり氏子が減っていたり
夜の練習の負担などの問題はあるようだ。

関わりをもつのは
良いことだと思うのだけど
それぞれに合ったやり方など
もっとうまくいく方法はないかな…と思う。

やはり続けることや継いでいくことに
大変さは付き物なのだと思う。
ただ、そこに楽しさや
やりたくなる気持ちがあれば
心が動き、体も動く。
それを大切にしたい。

忠臣蔵を例に、
古いものが若い世代が知られていない現実。
昔なら誰もが知っていたものを通して
楽しさを共有できる機会があった。
世代など色々違う人同士でも
一緒に楽しめていたのだろうか。

最近では娯楽も多様化し
ジャンルが違うと全く話が通じないこともある。
みんな同じである必要はないが
これなら老若男女、多くの人が
親しんでいるものというのが
あってもいいと思う。

ことわざなど、短い言葉を聞いただけで
伝わるようなことがあれば。

人形浄瑠璃について。
神に奉納するという建前もあり
地域の信仰を支える役割を担っている。
地域の人も大事にしてくれて、
生活に密着している。

災害など大変なことがあっても
そんな伝統芸能によって
救われる部分もあるのではないかという話。

えびす舞の
「えびすさん ういた」という言葉の裏に
意味するものがあるのでは。
厳しい自然や現実を受け入れ
芸能によって明日を生きる力を得ている。
人々の生活に根付いて
生活の大切な要素になっている。

これこそ、
誰もが必要としているものではないか。
単に趣味嗜好というだけでなく、
生きるために必要な要素があるのでは。

普段はそんなに
必要性を感じることはないのだが
古いものにはそんな要素があるのかも。

岡本太郎の言葉に、
伝統芸能は
その時代の新しいものと格闘して
勝ち残ってきたもの、
というのがあるとか。

誰にでも必要だったから
残ってきたということなのか。
現代は昔と変わったところもある。
しかし、相変わらず色々な問題はあって
求められているものもある。

そういう視点で
伝統芸能を考えてみるのもいいかもしれない。
とはいえ、固く難しく考えるのではなく
あくまで 楽しいが 基本。

…………………

特にオススメされていた
10/30 津野山神楽 (高知県 梼原町)
気になった。
以前から好きだった絵金の
絵金祭りも、いつか行きたい。

まずは、こんな話を聴けて良かった。
次は機会を見つけて実際に見てみることだ!

その、絵金についても、
子どもの頃、高知の美術館で見た
あの時のゾクッとする感覚が
今でも忘れられない。
体験は大事だ。


2/20(水) 文化振興講演会 「超高齢社会の文化芸術活動を考える」

2019-02-21 11:39:54 | 参加★舞台 映画 WS等


2019/2/20(水)
丸亀市文化振興講演会
「超高齢社会の文化芸術活動を考える」

場所:丸亀市生涯学習センター
講師:
衛紀生さん
(可児市文化創造センター館長兼劇場総監督)
https://www.kpac.or.jp/
井上優さん
(NPO法人iさいと代表理事)
http://www.isaito.net/

今回は超高齢社会がテーマ。
けれどその年代への対策だけでなく
次の世代へ継承していく仕組み作りとして
文化芸術活動を考えていく内容だった。


データから読み取れる
日本の高齢化、その早さ。
丸亀市も全国の標準である。

孤独と孤立が寿命を縮めるらしい。
健康に害を及ぼすとなれば
それだけ経済的損失は大きい。

60歳以上の者の
社会的活動への参加は約3割。
社会との繋がりがこれから大きな意味を持つ。


《 超高齢社会×文化芸術 》

■ミッション1
文化芸術は多世代が交流し、
社会的孤立を解消する。
そして、私達はどうする?

★可児市の例(衛さん)
ワークショップ、
舞台公演を通して
小1から80歳まで多世代が一緒に作る。
繋がりが自然に生まれる。

★宮崎市の例(井上さん)
私達は何が出来るか?文化芸術活動なら
専門知識がなくても色々な間口がある。
ハードルを下げて簡単に
出来ることを考えてみては?
(博物館でのボランティアガイド等)


■ミッション2
後継者がいない。
文化芸術活動消滅の危機!?
私達はどうする?

“ 楽しい ”から始まり、“ 誰かのために ”

★宮崎市の例
・ふるさと先生
https://www.kodomo-bunka.org/furusatosyushi.php
学校での体験授業(指導者約80名登録)

・神楽の例 ※
元々は地域に住む氏子だけがやっていたが
二つのやり方に…
1、他地域へ転居した人が神楽の時だけ集まる
ゲネプロをホールで見せる。
ちょっとした同窓会に。
2、村外氏子
市民ホールでやりたい人に伝承。
参加できる人限定で。

地域の輪から、共感の輪に。
これまでは住んでいる地域だけでの繋がり。
けれどこれからは、興味関心を持つ人が
繋がるやり方もあっていいのだろう。


★ピアノの例
・みんなのピアノプロジェクト(可児市)
寄贈されたグランドピアノ
貧困等で習えないなどの問題から
地元ピアノ講師が立ち会い、無料開放
https://www.kpac.or.jp/column/kan78.html

・ストリートピアノ(宮崎)
みやざきアートセンター
▼http://miyazaki-ac.com/
1階のオープンスペースに設置されたピアノ
道行く人が誰でも弾ける
場を提供、そこで皆が楽しんでいる
http://visit.miyazaki.jp/?p=43097
(NHK「ドキュメント72時間」でも取り上げられた)

……………………………
《まとめより》

地域と繋がるために
公共文化施設は良いツールになる。
施設の運営などに関わることなど
対話をすることで自分たちの資源になる。

人のための行動で、
結果的に必要とされるなど
自分の承認欲求を得ることに繋がる。
そういう機会を自分から作ることができたら。


参加者の中には
そもそも市民会館が必要なのか?
というところから考えたかった、
というような意見も。

それこそ、この講演会の意義かもしれない。
今までと同じようなものなら
ただのお金のかかる箱モノになってしまう。
そうではなく本当に自分たちに必要なものを
考える時が来ているのだ。
建て替えという、チャンスを活かすために。
考えることは最終的なは自分たちのため。
…………………………

今回の話を聞いていて、
色々思い出すこともあった。
特に困難を抱える人にこそ
文化芸術は必要だという考え方から。

身近なところでも、
随分苦しんだ姿を見てきた。
皆と同じような生活ができなければ
同じ場所に居られない現実。
結果、自分にできることは何もないと
意欲や希望を失ってしまう。
多数派に属していれば
特に問題もなく過ごせることが、
ひとたびそこから外れた場合、
自力で越えられない壁になる。

社会的な場だけでなく、
家庭でも同じようなことは起こりうる。
一般的な成人の、親ともなれば
誰もが考える担うべき役割。
けれどそれが出来ず、長期に及ぶ時。
本人や周囲との関係はどうなるのか。
(果たして自分は必要とされているのか)
迷惑をかけ、自分は必要とされていない。
それでもその場その役割から逃れられない。
当事者がそう思い続ける毎日ならば
それこそ生きる希望を持てなくなる。

たとえ何一つ出来ないとしても
生きているだけで出来ることは
あるのではないだろうか。
実際に出来ることだけでなく、
文化芸術の視点から見ることで
思わぬ発見があるかもしれない。
見捨てられたものにも
価値を見いだせるかもかもしれない。

勿論それだけでは
社会は回っていかないけれど、
全く違った価値が生きる場所もあっていい。
そういう意味で、
これまでにない新しい視点で、
みんなの劇場が出来ればと切実に思った。

………………………

※【訂正】

神楽の例、
可児市と書いていましたが
宮崎市でした。訂正しました。




2/17(日) ロクディムりょーちん インプロワークショップ

2019-02-18 16:47:36 | 参加★舞台 映画 WS等


2/17(日)
ロクディムりょーちん
インプロワークショップ

インプロ、即興演劇のワークショップ。
すごく久し振りだった。
都合で、三女も連れての参加。
マイペースな感じでしたが(汗)
お世話になりました。

まずは二人一組、最初は
簡単なものからウォーミングアップ。
途中、
“指差された物とは全く違うものを言う”
選択肢は広いはずなのに難しい。

どうしても浮かばなかったら
“ 真っ白 ”もオーケー、ルール追加。
それでもいいんだと思ったら
逆に気持ちが楽になって意外と出来た。

他には、誕生日プレゼント。
あげる側、もらう側、
その反応を受けて、また反応。
そこから続いていくやり取り。

意外なものをもらったけれど、
自分は嬉しくて、それには
こんな理由があってと伝えるうちに
相手とのやり取りが盛り上がっていった。

その後、二人一組のパターンが
どんどん進み、最後の方。
「おはよう」「お疲れ様です」などの
声かけから始まって続くやり取り。
同じ声かけでも、声の調子や
二人の関係性や環境によっても変わる。
そんなふうにパターンを変えて。

ある程度、考えていても
最後まできっちり決めているわけじゃない。
そもそもお互い打ち合わせしていないから
予想外の反応や展開もあり得る。

だけど、投げかけられた言葉の中から
相手がどういうつもりなのか感じて
それに返していくことで、
(お互いの言葉のやり取りで)
最初はボンヤリとした輪郭がハッキリしたり
間口が広いところから
だんだんしぼられていった。
それがとても楽しかった。

………………

ただ、思うように進まないこともあった。
それは全然かまわないと言われていたので
必要以上に気に病むことは(笑)なかったが。

それでもやはり、
うまくいく方が心地よいもの。
どうしてだったのかなと
後からじわじわ考えてみた。

日常でいえば、
話が合う、盛り上がる場合と
そうでもない場合の差。
それは話が合うとか
性格が合うとか、
親しい人だからなのだろうか?

そうでもない気がする。

話し方や受け取り方の
クセみたいなのがあって、
それがうまくかみ合えばいいけど、
そうじゃないとサクサク進まないとか?

特に自分の場合、相手の言葉を
待ってしまうことが多いので
相手次第だったりするのかも(汗)。

他には、
二人の間柄の設定を考えようとすると
つじつまを合わせることに
意識が向きすぎてしまうのかもしれない。
目の前にポンと出てきた言葉に
もっと単純に反応してもいいのかな?
感じたことや、どうして?と思ったことを
相手にもっとスッと返してもいいはず。
細かい先々のことが頭にあると
すぐ前の感情や反応に鈍くなって
ぎこちなくなってしまうのだろうか。

普段の会話の方が、よほどスルスル
進んでいたかもしれない。
もっと気楽に、
というのはそういうことなのか。

そして、
こんなふうに後から色々考えるのは
ムダではないと思うけど、
せっかく目の前に相手がいるのなら
その瞬間に共有できたらもっといい。
そんな瞬発力みたいなものが
養われたらいいなと思った。

これは日常的に、自分に、切実なこと。
時に、人と話すことに苦手意識がある自分。

よく“察しろ”なんていうけど
勝手に察して深読みして、結局それが
本当かどうか分からないうちに
疑問や疑念を引っ込めてしまう。
言葉の裏を読めと言われて
育ったくちなので(笑)
自力で読まねばと焦ってしまう。

そもそも無理な話なのだ。
そんな勘繰りを積み重ねるより
それぞれ小出しにやり取りする方が
察するよりずっとうまくいきそう。

お互いにズレがあって当然で、
それがうまくいかない理由ではないはず。
自分と相手との感覚に
大きな違いがあるからだとか、
ましてや人間的に合わないから、
という理由ではないのかもしれない。

それよりも、
やり取りのやり方をもう少し練習すれば
よりよく楽しく出来るのかも。
そういうことなら、
まだ自分にも見込みがありそうだ(笑)。
個人的な日常やその先にまで考えが飛んでいく
インプロ、興味深い!

それともうひとつ。
最初頃、出きたワードが
若い世代には馴染みがないかなという話題。
これはひとつの例だけど、極端な話
相手が幼児で、大人との歳の開きがあると
どうしたって分からないことはある。
それは経験の差なのだろう。
ひとつひとつ体験して、感じたり考えたり
することの積み重ねの上にあるものの差。
そう思うと、
今この歳になってもまだまだ途中な訳で、
漫然とやり過ごすのはもったいない。
特別な知識や、ましてや博識もないけれど
目の前のちょっとしたことを
大切に味わうことは出来るはずだから。

最後に、子どもの発想の柔軟さ。
これは見習いたい。
ワークショップ時にも
ちょこちょこ聞かれた子どもの言葉。
大人の思いつかないこともあった。

いつも、突拍子もないことを言ってくる
うちの小学3年生(笑)。
きっと何かの思考回路を経ているのだろう。
何をバカなことを、と一蹴せずに
もうちょっと興味を持ってもよいのかな?(笑)
これもインプロのためになると思えば、
何だか得した気分にさえなるのだ。

そんなことを思ったワークショップだった。

…………………

三女は、ノトスのくるみ割りの舞台で一緒だったお友達と再会して大喜びでした。しかし二人揃うとかなり自由な感じになって(親はヒヤヒヤ)💦でしたが、りょーちんや皆さま方にあたたかく受け入れていただき、ありがたかったです………🙇💦
お世話になりました!

1/22(火) 丸亀市文化振興講演会 「市民を支える まちの劇場」

2019-01-23 23:33:03 | 参加★舞台 映画 WS等


1/22(火) 丸亀市文化振興講演会
「市民を支える まちの劇場」
講師 :
衛 紀生 氏
(可児市文化創造センター 館長兼劇場総監督)
篭橋 義朗 氏 (可児市教育長)

岐阜県の、
可児市文化創造センターala(アーラ)
https://www.kpac.or.jp/
立ち上げの経緯や
社会包摂型の劇場版運営などのお話。

可児市文化創造センターの写真より。
ガラス張り長い廊下の窓際には
テーブルや椅子。
弁当を食べたり、学生が宿題をしたり
おしゃべりする親子も。
ふらりと入れるような雰囲気がいい。

「アーラまち元気プロジェクト」
https://www.kpac.or.jp/project/machigenki.html
資料としてもらった↓
2016 レポート ( パンフレット PDF)
https://www.kpac.or.jp/data/report/machigenki2016.pdf
“届かないトコロに、コチラから”
色々な場所に出向いていく取り組み。
これは凄い。

しかし、立ち上げまでの道のりは
地道なことの積み重ねだったとか。
みんなの夢を語ってもらうが、
意見の違いもある。
それを丁寧に調整していく。
市民参画には手間がかかる。しかしその分
開館後の市民の参加にも繋がっていくのだと。

開館当初、東京の一流の作品なども。
しかし本当にそこに住む人たちが
楽しめるものなのか?

変えるためには摩擦も生まれる。
最初は、とても実現できないような
劇場の枠からはみ出すようなことに挑む。

文化的なものから遠くにいる
社会的弱者にこそ 必要。

例えば演劇を通しての変化。それは
演劇そのものというより 演劇を触媒として
誰かとの出会いであったり
自分が必要とされていると
感じることだったり。
信頼できる他者との出会いなど。
それが、生活に変化を起こすのではないか。

社会福祉施設へのアウトリーチの例より。
ワークショップによる体験型、だけでなく
もう一歩踏み込んだ包摂型に。
ワークショップ後の場をしばらく開放して
お弁当可など、仲間作り。

それらの判断が出来る職員の共通理解。

そこまでできるような担い手はいるのか?
という問題。

可児市は特別、ではない。
新しいことをやるか、やらないか。
例えば学校でのワークショップ。
最初は説得して1校から、
徐々に広がっていった。
それは子どものコミュニケーション能力、
だけでなく、他にも広く
経済的にも関わっていく問題。

可児市のいじめ問題より。
無気力など、課題の多い実態から
ワークショップを重ねてく中での変化。
必要とされている、
承認欲求が満たされることで、いじめも減る。

社会包摂とは………
困っている人、生き辛い人がいたら
声をかける、手を差しのべること。
それこそが大事なことで
人間としてまっとうかどうか。

金子みすゞの詩「星とたんぽぽ」の一節
見えないけれども あるんだよ
見えぬものでも あるんだよ
……という言葉に ハッとさせられた。

どこにでもある課題、
自己肯定感の貧困、孤独死、
若年層の自殺の多さ。

事例紹介。
県立東濃高校での演劇ワークショップ
文学座 演出家 西川信廣氏
ピンポンパン、目隠しチャンバラ…
ゲームを通して。

ワークショップ後、
生徒へのヒアリングに
変化を感じられる言葉や
退転学数の減少も。

長い目で見れば、経済にも関わること。
一部の子どもだけの問題ではなく
広く私たちにも関係すること。

…………………

どんな劇場が必要なのか、
そこにはどんな人が居ればいいのか、
何を大切にするのかなど考えさせられた。

それと共に、自分のやりたいことは?
夢とは何か改めて考えてみた。
また、今ある課題や生き辛さなど
自分だけでなく同じような人も
そして全く違う人も、違ったままでも
お互いに楽しく過ごせたらなと思った。

個人的には、
知覚過敏のハンデを持った子が
人と関わる場に踏み出すようになる話に
心動かされた。
これが特別な例じゃなく、
誰にでも機会があれば。
それぞれの、埋もれている可能性に
光を当てられるといいなと思った。

そんなふうに一人一人が
持っている力を発揮できれば
まわりまわって
良い連鎖を生むような気がする。

1/11「市民が支えるまちの文化」ワークショップ

2019-01-12 17:47:40 | 参加★舞台 映画 WS等


1/11(金) 生涯学習センターにて
「市民が支えるまちの文化」
ボランティア養成ワークショップ
参加しました❗(前日の講師の方々です)

あなたのワクワクを
まちのワクワクへ
公共文化施設でのボランティア活動の事例から
想いをかたちにする役割を考えてみる
……………………………

質問に受けるかたちで
具体的な話もあれこれ。
現場での苦労など、
良い面も難しい面の話も聞けた。

集まる場を作る大切さ。
ただ、場所を提供するということではなく
繋げる人の存在が必要なのだと。

何かひとつの主義主張にこだわりのない
立場の人が中心となることが望ましい
ということには納得できた。
プレイヤーではなく調整役に徹する。

それも なかなか難しそうだ。
ボランティアではなく仕事として携わる
ボランティア・コーディネーター、
その育成の必要も強く感じた。

ボランティアの受け入れ体勢が
きちんとできているかどうかが成功に繋がる。
ニーズとウォンツが違っていては失敗する。
整理、すり合わせが必要。

ボランティアというと、
無償で活動する人員が増えるという
良いことばかりなイメージを持っていた。
しかし、有償の仕事ではないだけに
常に質を維持する難しさがあることを知った。

ワークショップでは、
地域の文化の課題を、
それぞれ付箋に書き出した。
それを必要度の高低、時間の遅早のグラフに
それぞれの考えで貼ってみた。

書き出された内容は
14人だけでも多様性が見られた。
そして、同じような内容でも
貼る場所が違うなど
認識も違っていた。
そんな違いを認めた上で、
一緒にどうしていくか
共有することが大事なのだと。
実際に進める際には
優先順位をつけることも必要。
しかし、その他が必要ない訳ではない。

優先順位の高いものを進めながらも
低い中にある要素を絡めていくこともできる。

調整ということの難しさに
先行きが途方もなく感じたが、
それはそれとして、今の自分の足元から
見つめ直すことはできるかなと思った。

………………………

最後に。今回の話とは
関係ないかもしれないけど…

ボランティアをうまく進めていく上で
大切にすることは、家庭でのことにも
通じるような気がした。

支援力も大事だが、
受援力も大事というところ。

仕事として主でやっているところに
外部の人を入れて進めるのは難しい。

多くの家庭はどうか分からないが、
自分のところでは
妻であり母親が家事育児を一手に引き受け
子の学校関係や地域の役割も主になって参加していた。

しかし、長い人生、 体も心も
フル活動できる時ばかりではない。
家族の力が必要になることもある。
それは一時的なお手伝いではなく
長期的な戦力として。

それがなかなか難しい。
勝手を知っている人間が一人だと
一から説明しなければいけない。
職場なら話し合いの場を持てても
家庭ではなかなかだったりする。
その煩わしさから、一極集中、悪循環。
やる側は、それこそ無償だから
やらされ感いっぱいで嫌気がさす。

出来る人が出来ることをするためには、
問題を整理して共通理解、
何をどう分担するかなど、
それまでにないやり取りが必要になる。

疑いもなく進めてきたやり方が
唯一正しいものではない。
○○が~~すべきという、
今までの一般的な考え方を
見直す時期に来ているし、
そういう時代でもある。
それぞれの家庭に合ったやり方を。

大きなことは出来なくても
今回の内容を、自分たちの生活に
取り入れることはできそうだ。

そういう意味では、
ボランティアに関わる人だけでなく、
誰にでも必要な考え方だなと思った。
どんな役割、立場に立つかは別として
大事にしたいことを共有することは
その集団を円滑に進めるためには必要だから。

何より、出来ることに目を向ける
という発想の転換がいい。
なかなか前向きになれない時、
個人的にはこちらの方がすんなり入る。
無理して頑張るより
楽な気持ち、楽しい気持ちを
もっと大事にしていいかもと思えた。
長い目で見れば、それが
長続きのコツかもしれないから。

1/10(木) 市民が支えるまちの文化(講演会)

2019-01-11 15:03:25 | 参加★舞台 映画 WS等


1/9(木) 生涯学習センターにて
丸亀市文化振興講演会
「市民が支えるまちの文化」
行ってきました❗

講師
井上優(NPO法人 iさいと代表理事、NPO法人宮崎文化本舗 副代表理事)
古賀和子(NPO法人 iさいと 事務局長)
………………………

①市民のボランティア活動
なぜ文化活動なのか?

②(NPO)宮崎文化本舗の活動
宮崎県立西都原考古博物館の運営の仕組み

③何を繋ぐか?誰と繋ぐか?

④私たちが出来る事

………………………

これからの時代、
より必要になってくるボランティア。
文化活動について実際の例も併せて。

たくさんあったが、印象に残ったのは
ボランティア・マネジメントが
大事ということ。

いかにやりたい気持ちを引き出すか。
その人たちにとっての居場所作り。
自発性や満足度。

楽しさを引き出し付加価値をつける。
大変な活動でも、
楽しさがあれば続けたくなる。
そこにはウィンウィンの関係がある。

その為に必要なこともたくさんありそう。

運営の例として……
宮崎県立西都原考古博物館&
NPO法人&ボランティアの
三位一体運営のお話。
三つは対等な関係。
年に一度はコンセプトの共有、
意見交換会をして方向性を確認など。

…………

あるものの中から見つけることが大事。

知恵、歴史、文化、風景、食、人、
祭りや行事など

まちの再発見・誇りの表現として
グリーン・ツーリズム
フィルム・コミッション
スローフードなど

あるものを生かすことで
どんな暮らしを目指すのか。
課題の解決を図るのか。

一人一人のできることは少ない。
しかし、人が集まれば、
できることが増えていく。

地域のことを知っていて、
どう伝えるかは地域振興の基本。
そこに住んでいる人が
地域のことを語れることが大事。

他には
具体例のいくつかとして
マルシェやコンサート、
もの作り等の話があった。
他ジャンルとコラボすることで
普段なじみの少ない人たちが
足を運ぶ機会を作ることは必要だと思った。

まずはやってみること。
自分が出来ることや
今いる人が出来ることを大事に。
そして自分たちが楽しむこと。
続ける上では必要なことだろう。
そういう所に人も集まってくる。
自発的、共感を持ってくれるのではないか。

そんなことを考えさせられた。

2日目はワークショップ✨

12/14 『少子高齢化・人口減少とともに歩む』 ~社会課題と文化的側面から考える~ 講師 平田オリザ

2018-12-21 14:45:52 | 参加★舞台 映画 WS等


12/14
『少子高齢化・人口減少とともに歩む』
~社会課題と文化的側面から考える~
講師 平田オリザ
場所 MIMOCA ミュージアムホール

以前、何度か
オリザさんの講演に参加した中で聴いた内容も。
たぶん『新しい広場を作る』あたりかな。

(*以前書いた感想もシェア)

内容をざっくり言うと…………

社会における芸術の役割、
地方ほど文化的な格差が広がっている。
それは大学入試にまで及ぶ。

昔なら地域の固い共同体、だけど
今に合うのは緩やかなネットワーク。
それは、それぞれが
興味関心を持つことについての共同体。


芸術による社会包摂。
社会的弱者を孤立させない。

ある地域を例に
成功した町と 破綻した町。
その文化的な面の違いは何か。

地域の自立を阻むものは
文化の自己決定能力。
自分で判断できる力。

ソフトの地産地消。
付加価値を産み出せる力。

…やはり
そういう人間が集まる場所は面白い。
より人が集まり、人口も増える。

すべての問題に通じるものがある。

…………………

ということで、
従来の箱もの劇場ではいけないわけで。
せっかく新たに作るのなら
地域の住民にとって活きたものにしたい。

それぞれの問題から考えるのもありかな。

市の
「一万人の車座集会」参加者募集中

1月の講演会
1/10「市民が支える まちの文化」1/11ワークショップ
1/22「市民を支える まちの劇場」

気になります❗

12/6 人形劇団ひとみ座 『ズッコケ時間漂流記』三女クラス参加

2018-12-11 17:11:25 | 参加★舞台 映画 WS等


12/6 人形劇団ひとみ座
『ズッコケ時間漂流記』
体育館にて(保護者も観劇)

三女のクラス、一部出演。
事前に1回、劇団のワークショップあり。
ペープサート型の動く人形作りや、
歌に合わせて動かす練習があったとか。

本番では、中盤あたり
クラス全員で前に出て、数人のセリフや
歌に合わせて人形を動かしていた。

ズッコケ三人組でお馴染みの児童文学シリーズ。
平賀源内がいた時代にタイムスリップするお話。
舞台脇のドラムやギター、キーボード等で
生演奏、生歌あり。
笑いありスリルありの面白い舞台だった。

子どもたちは、短い場面だけど
本格的な人形劇に参加できて
良い経験になったと思う。
他の学年や保護者にも観てもらえる
ということで、励みになったのでは。
最後は劇団の皆さんと一緒に記念撮影。
それぞれの人形がユニークで良かった。

11/27(火) 『名前の森』公演

2018-12-05 18:08:54 | 参加★舞台 映画 WS等



11/27(火) 塩江小にて『名前の森』

昨年は『三つ目の学校』でこちらへ。
紅葉🍁がきれいな頃だった✨

今年は『名前の森』🎄🎄🎄

今回の公演の後にも
感想を言ってくれた子がたくさんいた。
名前には意味がある。
親の思いが込められている。
名前を大切にしたい。等々。

私も演じていて
そんなふうに感じていた。
そして名前と同じように
自分の性質も大切にしたいと思った。

自分の性格など、なかなか変えられない。
自分にない性質を持っている人を
うらやましく思ったり、
持っていない自分をつまらなく思ってしまう。
とかく自分の短所は気になるもの。

もちろん努力は必要。
けれど、頑張っても変えられないものもある。
無理しても続かないこともある。
それより、今持っているものを
活かす方がいいのかもしれない。
自分の性質にも、どんな意味があるのか
探したいと思った。

稽古を通してそんなことを考えつつ、
最後の「やっぱりこの名前がいいです!」
というセリフに、しみじみと共感した。

それがうまく表現できたか
どうかは分からないけれど…😅
演じた側の自分自身にも
感じるものがあったのは確か。

学校関係の方々、
スタッフや共演の皆さま
本当にお世話になりました✨



余談ですが……
公演の翌々日から高熱と頭痛でうなされて💦
そんな時、頭の中では劇の最後に歌った歌が
リピートしていました(笑)。
映画『グレイテスト・ショーマン』の
劇中歌でもある『This is Me』を
日本語で『名前の森』バージョンに
アレンジした『This is Name』♪
今回のストーリーと繋がる部分もあって
とても心に響きました。
声を合わせる楽しさや、心強さを
体感できたのかもしれません。
歌も含め、わずか4日の稽古でしたが
皆さんと一緒に頑張りました!

11/23 小学校でのワークショップ最終 人権集会での劇

2018-12-05 16:34:35 | 参加★舞台 映画 WS等


ワークショップ→舞台→発熱💥で遅くなり💦
参加していた活動2つ、感想など😅

11/23(金祝)
小学校でのワークショップ最終日
人権集会での劇、終わりました。

9月から全5回のワークショップ。
その中で、6年生の子どもたちと
グループごとに作った4つの劇。
それぞれ難しいところがあったけれど
少しずつ前進できたと思います。
自分自身の課題も山盛りですが
これも一歩ずつ進めたらと思っています。

…………………………

劇は、
参加している大人から子どもの頃の話を聞き、
そこから短い場面を作るというもの。

その中で考えていったのは…
見る人に分かる話の流れや人の動き、
それは実際どう見えているのか、
より伝わるためには
どこをどう直せばいいのか、等々。

集会には、他学年や保護者、地域の人など
初めて観る人がほとんど。
多くの人が集まる中で伝わるようにするのは
なかなか難しいこと。

演劇を通しての活動だけど
上手く演じる…だけでなく
作る過程を通して大切な体験ができると思った。
自分に関わることとして感じたり
考えたりすることができるのではないかと。

日常で、相手のどんな態度に
どんな気持ちを抱くのか。
逆に、自分のどんな態度が
相手にどんな気持ちを抱かせているのか。
また、思っていることがあっても
お互い、なかなか伝わらないもの。

そんなことに気付くこともある。
普段、何気なくやっていることを
改めて考えるきっかけになればと思う。


ある人の辛い出来事が、
その人の胸の中だけにとどまっていれば
それは辛い記憶のまま。
誰かが話を聞き、劇を作る中で
その気持ちを他の人に伝わるよう
試行錯誤していく作業は、それだけで
気持ちを共有できるような気がする。

人と全く同じ体験はできない。
100%分かり合うことも難しい。
けれど劇を通して、
似たような気持ちに気付くことはできる。
他人事ではなく、自分にも関わることだと
感じられれば 心も動く。
自分だったらどうするかと
考えられるかもしれない。

劇を見た観客の子どもたちから
色々な意見が挙がっていたことから
そう思えた。

これは大きなことだと思う。
関心をもつ人が増えれば増えるほど
いい考えが出てくるかもしれない。

一人だけの問題を一人きりで何とかするのは
とても重たく辛いもの。
それを誰かと共有できれば
解決以前に、その荷は少し軽くなる。

これからの学校生活だけでなく
家庭でも、もっと大人になり社会でも
ずっと必要になる力。

それはすぐに育つわけではない。
小さなところから。
そんなひとつの機会を共にさせてもらった。

そんな自分も
正直課題ばかりなのだけど、
小さなことから頑張っていきたい。

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