
大好きな一枚!蓮_いわさわさんの作品です。
ヨガの練習の後で
わきあがってくる想いについて今日は書いてみようと思います。
うまく伝えられるかな?
それは
言葉に置き換えることが不可能なような
そんな想いなのです。
感謝…という言葉が
一番しっくりくるかと思います。
たとえば私の場合、
練習のはじめと終わりにはかならずアンジャリムドラー(合掌)を組みます。
(過去記事「アンジャリムドラー」)
練習後のアンジャリムドラーの時に
自然と「ありがとう」という想い…?波動?…
そういうものが心のもっとも深い部分から湧き上がってくるような気がします。
特定の対象があるわけではないのです。
……あえて言うならば、
生命の存在自体に感謝する想いが
あふれ出てくる感じなのですね。
多分、水芸のように、朝の私の全身からはそういう想いがあふれ出ているのでは?と思います。
これは、私に限ったことではなく
おそらくヨガの練習者であれば
誰もが感じる心境だと思います。
そして、言葉にせずとも、誰もがそうした共通の想いを抱いているからこそ
ヨガを愛する人達とは魂の仲間とでもいうような意識が芽生えるのかなーとか思います。
10年も20年も会ってなくても、なんの連絡がなくても、男も女もなく、
つながっている…そんな感覚、ありますね。
このヨガと共にあるときにあふれ出る感謝の気持ちは
幸福感と言っても良いのではないかしら。
普段の日常生活においても
ちょっとしたことで、簡単にハッピーになれてしまう
お気楽な私ではありますが、
このヨガの練習後に感じる幸福感と
そうした生活上で感じる幸福感とは
少しだけその質が異なるように感じます。
何かを得て嬉しいとか。
側に好きな人がいる幸福感とか。
美味しいとか、
快適であるとか…
そういう感情とはちょっと違うのですね。
対象がない。
何にありがとうと言っているのかよく分からない。
ただ存在することに対してありがとうという気持ち。
すべてがここにある。
満たされている。
わたしはすべて。
すべてはわたし。
そういう心境です。
感情…とは異なる意識です。
もちろん毎回そんな気持ちになれるとは限りませんし
別にそれを求めているわけでもないのです。
いつも淡々と、
しかし気分に流されず
ひたすら毎日練習を積み重ねているだけなのです。
なんのために?
なんのためにヨガを練習するのか?
それは、明確な目的や利益のためでない事は確かです。
おそらく、実践する…という事それ自体のためにではないかと思います。
1%の理論、99%の実践…
シュリ・パタビジョイス先生のお言葉が沁みます。
この私なりのヨガ(アサナの練習に限らず)の実践の過程で見えてくるもの。
実感として感じたこと。
そういう事を私はこれからも、
みんなとシェアして行きたいな…と思っています^^
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