何か春の始まりのようである、 庭の木々も花を咲かせ、今日は春分の日です。
マクロレンズを購入したいと思いながら
違う物の購入となりレンズ購入も何か夢の世界になりそうです(笑)
庭には赤色のボケのも綺麗です。
椿のピンク色も美しい
匂いも素敵な沈丁花等咲いています。
先日義母を迎えに行き帰りに撮った菜の花がよく咲いています。
オーディオシステムの変化で聴く曲が変化するといいますが、今回は新しい試みです。
話題は前後しますが、オルトフォンも未だ健在で現在最新のアームも販売しているそうです。
フォルムも良くやはりGシェルには当にピッタリのアームですね。
やはりスタイルって満足させるデザインって実に大切な事なんですね。
寸評を見るとGシェルとの相性とは最高にいいらしいが価格は最低で16万ほどのようです。
元来筆者は余りチャイコフスキーは聴かないが、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、
ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスの3大ヴァイオリン協奏曲と並んで最も多く演奏され、
広く愛好されている協奏曲の一つです。
今まで余りチャイコフスキーは敬遠気味で聴く機会もくすなく、今回じっくり味わってみました。
チャイコフスキー独特の哀愁に満ちた旋律の美しさと、躍動感、演奏技法が十分に発揮されている作品です。
1877年、チャイコフスキーは裕福な未亡人のメック夫人から毎年年金を贈られることになり、
療養もかねてジュネーヴ湖畔のクラランに療養に出かけます。
イタリアへも旅行をしたりしています。
チャイコフスキーは完成した楽譜を早速メック夫人に送りましたが、夫人から賞賛の声を聞くことはできませんでした。
ついで彼は楽譜を、 当時ロシアで最も偉大なヴァイオリニストとされていたペテルブルク音楽院教授
レオポルド・アウアーに送りましたが、 アウアーは楽譜を読むと「演奏不可能だ」と言い放ちました。
結局、初演はライプツィヒ音楽学校の教授であったロシア人ヴァイオリニスト、アドルフ・ブロツキーの独奏、
ハンス・リヒターの指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、1881年12月4日に行われます。
しかし、リヒターも楽団員もこの曲に対して気乗りがせず、ひどい演奏をしたため、
聴衆はまったくそっぽを向き、 音楽批評家の大長老ハンスリックは「悪臭を放つ音楽」と酷評するほどでした。
しかし、ブロツキーは屈することなく、演奏旅行のたびごとにこの作品を採り上げ、
しだいにこの作品が理解されるようになります。
初演を拒絶したアウアーも後にはこの作品を演奏するようになり、 弟子のエフレム・ジンバリスト、
ヤッシャ・ハイフェッツ、ミッシャ・エルマンなどにこの作品を教え、 彼らが名演奏を繰り広げることで、
4大ヴァイオリン協奏曲と呼ばれるまでに評価が高まりました。
今回本日やっと休みを頂き、トッシー・スピヴァコフスキーTossy Spivakovskyでチャイコフスキーを聴いた。
Spivakovsky plays Tchaikovsky violin concerto part 1 of 4
此れが又すこぶる好演奏で実に良い。
音源はiTunesで聴いてみると35mmフイルムを24ビット、デジタル変換にし高音質化処理してあるそうです。
雄大で、透き通る音色、やはりロシア出身の血が騒ぐのかチャイコフスキーの演奏が良い。
音楽とはいかに名演名録音だろうと、ケースにほうりこんでおくだけではただの(凡庸な)一枚にかわらない。
くり返し聴きこんではじめて、光彩を放つそうです。
筆者は未だチャイコフスキーの多くは知らないが、
知ってるには死因はコレラによるとする説があり生水を飲んだためとされる、
最後の作品交響曲 第6番ロ短調作品74「悲愴(Pathétique)」、最後が意味ありげな・・・
少しチャイコフスキーを聴いて見よう。
チャイコフスキーを奏でるトッシー・スピヴァコフスキーTossy Spivakovskyがよいのか?
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