伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

モダンチュエンバロ演奏でワンダ・ランドフスカのバッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988改めてを聴く

2022年06月20日 | J.S.バッハ関係


モダンチェンバロの始まりはワンダ・ランドフスカが提案した現代的なコンサート向きのチェンバロの構想に基づいて、フランスのピアノメーカーのプレイエル社が1912年に製作したものです。プレイエルのモダンチェンバロは5オクターヴの2段鍵盤仕様で、鍵盤の作りやストロークは現代のピアノとほぼ同じ。鉄製のフレームを用いて太い弦が高い張力で張られており、グランドピアノ同様に底板が無く、響板の裏側が開放されています。
弦を弾くプレクトラムは鳥の羽軸ではなく、硬い革で作られていました。ディスポジションは下鍵盤が 16', 8', 4'、上鍵盤は 8' という割り振り(つまり下鍵盤には通常のピッチの8'弦に加え、1オクターヴ低い16'弦と、1オクターヴ高い4'弦が備わっています)、これらの弦や、バフストップ、上下鍵盤を連動させるカプラーなどは、ペダルによって随時切替可能です。

プレイエルのモダンチェンバロは他のピアノメーカーにも大きな影響を及ぼし、モダンチェンバロの開発が盛んになります。



上の写真が、その後最も普及したのはノイペルトやアンマーなどドイツ系のメーカーのモダンチェンバロです。
ドイツ系のモダンチェンバロは通称「バッハチェンバロ」と呼ばれる、J.S.バッハの長男W.F.バッハが所有していたチェンバロを参考にしていました。
ドイツ系のモダンチェンバロは日本にも大量に輸入されていて、昭和の時代にチェンバロといえばこういった楽器のことでした。チェンバロの鍵盤は白黒逆転しているという通念はこの手の楽器に負うところが大きいでしょう。

こうしたモダンチェンバロは1980年頃から歴史的なチェンバロが復権するとともに急速に人気を失い、21世紀に入るまでにはコンサートや録音で使用されることは無くなりました。

記事内容では次の様に記されていました、(歴史的なチェンバロは時代や地域により様々で一概には言えませんが、ともかくもモダンチェンバロよりは音の減衰は早めです。そのような楽器を前提にした曲をモダンチェンバロで弾くと、どうにも平板に聴こえてしまうのです。母音が目立つカタカナ英語の様に。そして純粋すぎるモダンチェンバロの音は、複雑な味わいに欠け、他の楽器の音とうまく溶け合いません。)



上記の写真は、ランドフスカのお気に入りだったプレイエルのランドフスカモデル(Pleyel GrandModèlede Concert(1927):ベルリンの楽器博物館)その上で彼女はプレイエルのモダンチェンバロを良しとしたのです。それには巡業に際して当時の劣悪な輸送環境に耐える頑丈な楽器が必要だったという理由もありますが、それにしても好ましくない音の楽器を使い続けるわけもありません。

実際プレイエルのモダンチェンバロは、後のドイツ系のモダンチェンバロに比べても攻めた設計で、大編成のオーケストラとの共演でも良く通る独特の強い音を持っています。その代わりタッチは非常に重いのですが。これも彼女の美学にかなった音なのでしょう。


ところで現在でもモダンチェンバロ(風)の音がしばしば聴かれるものがあります。それは打ち込み音源の「ハープシコード」音色です。アニメの劇伴などで「貴族的な雰囲気」を演出するときの曲にチェンバロの音がよく使われますが、あれらには未だにモダンチェンバロに近い音色が使用されていることが多いようです。
しかし最近は実物の歴史的チェンバロの録音によるVSTiなどが用いられるようになってきているようなので、やがてこれらも消えてゆくのでしょう。



大変昔の話で恐縮ではあるが、最初Wanda Landowska (ワンダ・ランドフスカ)を知ったのは多分五味さんのオーディオ関係の著書の中から見つけ、音源を探し聴いたことが最初である、当時はLPレコードも探すも見つからず先輩から音源をカセットテープにコピーして頂き聴き始めた。使用の装置は決して上等な装置でもなく勿論チェンバロ曲のJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988を聴いたが多分コピーした物と解る粗悪品でした、針音はするは、ナローレンジで音質も録音した物は最悪のレコードと記憶する、その後アルフィーフ・レコードから発売されたカール・リヒターのチェンバロ曲を入手して素晴らしい演奏に感激した記憶があります。やがてCD時代になり装置も多少はグレートアップして期待して聴くが最初にリヒターを聴いた頃と比べ大して音質は良くなかった。

その後筆者の20代後半にテルフンケン・レコードより古楽器演奏のグスタフ・レオンハルトのチェンバロ演奏が気に入りバッハの演奏を好んで聴いている。当時直輸入物のレコードはアルフィーフ・レコード、テルフンケン・レコード以外田舎では入手出来なかった。その後筆者の個人的な理由もありオーディオ機材は殆どの処分してミニコンポでCDを楽しんみオーディオと別れを告げた。その後知らない間に当時の古楽器も再現され古楽器演奏は盛んになり、今やモーツアルトの交響曲までも古楽器演奏の物を販売している様である。

老人になり時間の余裕が出来、良い音、いい音楽が聴きたく、小遣いに圧迫しない程度に、暫くしオーディーオ再開した、昔しっかり聴けなかった音楽を、改めてワンダ・ランドフスカの芸術(24CD)仕込み聴いたが、矢張り余り良い結果は得られなかった。昔所有した英国フェログラフ社が開発した、評価は高音部が少し病的な繊細な音と言われたFERROGRAPH S1で聴いた音の記憶では優っていた様に思えた。
今回Zaika 5300と言う1本の真空管を入手し音質が変化してタンノイの10吋ユニットの実力の片鱗をのぞいた気持ちになった事は事実である。



チェンバロという楽器の製作にワンダ・ランドフスカは大いに貢献したとも言われている、ランドフスカのお気に入りの楽器、プレイエルグランドモデルドコンサート(1927年)ベルリン:ベルリン楽器博物館にあるそうである。

チェンバロの語源はシンバルから鈍って1397年に登場とある歴にある楽器と言われる、見た目からもわかる通り、ピアノの祖先となった楽器ですが、その歴史はかなり長いようです。
歴史を遡ること1397年、イタリアの貴族L.ランベルタッチがパドヴァから義理の息子に宛てた手紙のなかで「ウィーンから来たヘルマン・ポルという若くて(当時27歳)なかなか面白い男がクラヴィチェンバルム(clavicembalum)という楽器を作っている」と書き残したことが伝えられています。これがチェンバロの最初の出典ですが、残念ながら楽器は現存していませんちなみにこのヘルマン・ポルは駆け出しの内科医と占星術者で、決して発明家やプロの音楽家ではなかったようです。しかし、1425年に作られたとされるチェンバロの彫像がドイツ北西部のミンデンというところにあり、その形をしっかり確認できます。おもちゃのような小ささですね……!残ったチェンバルムの語源ですが、あの打楽器のシンバルからきているという説が有力なのです。(シンバルは昔、カスタネットほどの大きさでした!)
弦を叩いて音を出すピアノと違い、弦をはじいて音を出すチェンバロは、ギターとも音が似ているため、18世紀の作曲家スカルラッティはギターを模倣したような作品も書きました。
同じくシンバルが語源とされている楽器はほかにもあります。ハンガリーのツィンバロンという民族楽器です。見た目にこそ差はありますが、両者とも、音色にはどこか遠い親戚のような似たものを感じてしまいます。



Wanda Landowska (ワンダ・ランドフスカ)。ポーランドの女性ピアニスト。1879年7月5日生まれ。1959年8月16日没。
チェンバロ奏者、音楽教師、作家として活躍。ワルシャワ生まれ。4歳からピアノを始める。ワルシャワ音楽院でヤン・kレクジンスキ(Jan Kleczynski)、アレクサンダー・ミカロウスキ(Aleksander Michalowski)に師事。
ベルリンでハインリヒ・ウルバン (Heinrich Urban) に作曲と対位法、パリでモーリツ・モシュコフスキにピアノを師事。ピアノよりもチェンバロに注力することを決意し、1908年から1909年にロシアでプレイエル・チェンバロによるコンサートツアーを行った。1912年から1919年の間、ベルリン芸術大学でチェンバロを教えた。
1923年にアメリカでデビュー。1933年にバッハのゴルトベルク変奏曲をチェンバロで初めて録音した。1938年にフランス市民権を取得。1949年にアメリカのコネチカット州レイクビルに住んだ。1954年に演奏活動を引退した。バッハ、クープラン、モーの作品を中心に音楽学にも精力的に取り組んだことで知られる。ショパン、スカラッティ、モーツァルトの作品の録音も行っている。

ここで今回仕入れたZaika 5300と言う火屋は6A3の球とよく似た構造で、特にシルヴァニアの球は2枚プレート(Hプレート)にスプリング吊りの構造のように見える、解説にはモノーラル再生なのに立体感があり、太くて濃厚なヴォーガルが迫り出すとコメントしてますが、聴けば思い出す節はある、40年前以上の工業製品の日本の技術も素晴らしかった様である。



そこで今回は今まで余り良い音が聴けなかったワンダ・ランドフスカのバッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988を今回仕入れた40年前の真空管「Zaika 5300」とGOODMANS AXIOM 80の箱に10吋タンノイIIILZ Monitor Goldを組入れた装置でじっくり聴く事としました。
結果的には、ある程度満足出来る音楽が聴ける、それ相当のオーディオ機材で聴かなければ満足は得られないと思う次第であり、基本はオーディオ機材の云々より、より多くの音楽を聴くべきと思っていたが、それは大変な間違いであった。

以前友人のIB君が所有する装置ではバッハのカンタータは自分の装置では聴けないと言っていた事が、今更ながら良く理解出来ることであった。特に宗教音楽、ワグナー音楽の類は試聴する装置はある程度選んでしまうようだ。

正直今まで素晴らしいランドフスカ演奏とは思った事もあったが、何せ録音が新しい演奏でも1945年と筆者の生まれる前である、当然SPレコードで聴いたのであろう、余りにも音質は悪く、いくら良い演奏と言えどどうしても敬遠気味になったのが現状である。
ここで改めてワンダ・ランドフスカの演奏を聴くと今までと違いゴルトベルク全曲が楽しめた違いに驚く、右手の音と左手の音の違いが明らかに聴くことができる、実に繊細な部分も明確に伝わる、細かなアドリブも実にランドフスカしか出来ない芸当であろう。
音質はよくYouTube等で伝説のWestern Electric等の機材を使用した空気録音と称した音源を聴くが、筆者のシステムの音源もなんとなくその音質と似通った音が鳴る様に鳴っていた。音の良さが驚きである事だ!

しかしこの度のゴルトベルクは最初のデーターはRecorded on 9, 13-15 November 1933となっています。2回目データーは1946, [Studio] 編集場所 : 1708-1717, Weimar, Germanyと明記されています。ランドフスカ夫人の優雅で即興的な愉悦に満ちたバッハ。 ワンダ・ランドフスカ(1879‐1959)は、骨董品と思われていたチェンバロという楽器を20世紀に蘇らせたことで現在の音楽演奏解釈の大きな思潮である歴史的考証演奏への道を開いたポーランド出身の女流鍵盤奏者である。フランスのプレイエル社によって制作された大型のチェンバロを最大限に駆使した華麗な演奏は、現在でも傾聴すべき美点を数多く持っている。



当アルバムは、第2次大戦の戦禍を逃れて1941年に渡米した後から亡くなる2年前の1957年に至るまでRCAに残した数多くの録音の中から、ヨーロッパでのHMV録音に次ぐ2度目の録音となった「ゴールドベルク」と、パルティータ第2番を収めている。
 バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988
  アリア 3/4拍子
  第1変奏 3/4拍子
  第2変奏 2/4拍子 
  第3変奏 12/8拍子 1度のカノン
  第4変奏 3/8拍子
  第5変奏 3/4拍子
  第6変奏 3/8拍子 2度のカノン
  第7変奏 6/8拍子
  第8変奏 3/4拍子
  第9変奏 4/4拍子 3度のカノン
  第10変奏 2/2拍子 フゲッタ
  第11変奏 12/16拍子
  第12変奏 3/4拍子 4度の反行カノン
  第13変奏 3/4拍子
  第14変奏 3/4拍子
  第15変奏 2/4拍子 5度の反行カノン
  第16変奏 2/2拍子-3/8拍子 フランス風序曲
  第17変奏 3/4拍子
  第18変奏 2/2拍子 6度のカノン
  第19変奏 3/8拍子
  第20変奏 3/4拍子
  第21変奏 4/4拍子 7度のカノン
  第22変奏 2/2拍子
  第23変奏 3/4拍子
  第24変奏 9/8拍子 8度のカノン
  第25変奏 3/4拍子
  第26変奏 3/4(18/16)拍子(右手が18/16)
  第27変奏 6/8拍子 9度のカノン
  第28変奏 3/4拍子
  第29変奏 3/4拍子
  第30変奏 4/4拍子 クオドリベット(好きなように)
  アリア 3/4拍子 ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
 Recorded on 5, 6 & 12 June 1945
技術的な事は不明ですが、(SPレコード本来の音を追求した グッディーズ・ダイレクト・トランスファー CD-RSPレコードの真の音は残念ながら、これまで市販された復刻CDではなかなか聴くことができません。それはSPレコードの音ミゾに刻まれた音声信号を拾い出すプロセスで、重要な情報が失われているからです。このCD-Rシリーズは復刻プロセスを最短にしてSPレコードのありのままをお届けするダイレクト・トランスファーです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードのために、専用のカスタムメイド真空管式フォノイコライザをの使用しています。またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り、一切のノイズリダクションや曲間の編集を排除してあります。従来のSP復刻CDよりノイズの量は多くなりますが、ノイズの奥に演奏者の確かな息づかいが聴き取れます。プレスCDより音の鮮度の点で優位と判断し、CD-Rを採用しました。)とこの様な注意書きが掲載されていました。

確かに筆者の機材でもかなり良く聴けた、装置によっても印象は違ってきます、全てはバッハも聴けば理解できる、兎に角ランドフスカは曲を面白く聞かせる名人だと思う。このボックス中にも、多くの鍵盤奏者が録音をしている曲、例えばゴルトベルク変奏曲、イタリア協奏曲、平均律等が収録されているが群を抜いて面白く退屈しない。装飾音の入れ方や種類、間の取り方が絶妙なのだと思う。ある人曰く、テンポルバートはポーランド人にしか出来ないそうだ。この人の演奏を聴くと納得してしまう。



以前にもブログ紹介はしましたが、ワンダ・ランドフスカやマイラ・ヘスのような偉大な女流ピアニストの後継者と言われたシモーネ・ディナースタイン(Simone Dinnerstein)マンハッタン音楽学校でソロモン・ミコウスキーに、ジュリアード音楽院でピーター・ゼルキンに学ぶ。またロンドンでは名ピアニストアルトゥール・シュナーベルの弟子、マリア・クリチオに学ぶ。

ニューヨーク、カーネギー・ホール・ワイル・リサイタル・ホールにおけるセルフ・プロデュースによるソロ・リサイタルでバッハ「ゴルトベルク変奏曲」を弾いて大きな注目を集める。同年に自主制作した「ゴルトベルク変奏曲」のアルバムが2007年にテラークより発売され、発売後1週間でビルボード・クラシカル・チャートで第1位を獲得。同盤はニューヨーク・タイムズ紙、ロサンジェルズ・タイムズ紙、ニューヨーカー紙で「2007年のベスト・アルバム」に選定された。



2010年、ソニー・クラシカルと専属契約を結び、6月、第1弾のバッハ・アルバムをベルリンで録音。9月、初来日を果たし、東京でバッハの「ゴルトベルク変奏曲」とクラヴィーア協奏曲第1番を演奏している。


J.S.バッハ: ゴルトベルク変奏曲
 シモーネ・ディナースタイン(ピアノ)
 2005年3月 ニューヨーク,アメリカン・アカデミー・オブ・アーツ・アンド・レタース

アメリカ期待の若手ピアニスト、バッハのゴルトベルクを弾く!ピアニスト、シモーヌ・ディナースタインのテラーク・デビューアルバムです。この録音は2005年3月に、グラミー受賞でも知られるプロデューサーAdam Abeshouseによって行われたものです。
10年以上もジュリアード音楽院で学ぶも、華々しいコンクール歴などを一切持たなかった彼女は2005年まではブルックリンで、小学校教師をしている夫、小さな息子と共に静かに暮していました。しかし、この『ゴルトベルク』の録音が彼女の分岐点となりました。
デビュー・リサイタルは2005年11月カーネギー・ホール。彼女自身のプロデュースによって行われました。

彼女はゴルトベルクについてこう語ります。「この作品は極めて緊密に書かれ、全ての楽節が深く結びついているのでしょう。
改めてピアノ演奏も勿論すがらしい。今も新譜クープランの「神秘の防壁」を発表しているが続いてのバッハの新譜を期待する、ブラボー!

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