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続・高野山を歩く!

2011-08-29 19:49:06 | ウォーキング
昨日の高野山ウォークをオフィシャルブロガーをしている㈱ムーンスターのウォーキングSNSに投稿して原稿のままをこちらに
コピーした・・・

厳しい残暑が続くこの夏最終の日曜日、下界からすこし離れたところで、心静かに歴史の流れを感じながら歩こう!とお世話をしているウォーキング倶楽部の月例会で聖地高野山へでかけた。

南海電鉄・難波駅から高野線の急行に乗車、新今宮駅でJR組と合流し和歌山県の橋本駅で乗り換え、極楽橋駅へ向かった。
電車が紀ノ川を渡ると電車は上り始める、九度山駅、ここから3年前の秋、2回にわけて世界遺産の高野山・町石道24キロを歩いた最寄駅でなつかしい。(ここブログにも書いている)


ここで大変なことをしてしまった、単線のため特急待ちで停車していた電車からホームに降りて特急を撮影していたところ乗車電車が発車した、あわてて手をドアーにいれたらそのまま閉まった、幸い先頭車の運転手に一番近いドアーだったので事なきをえたがびっくりした、ごめんなさい!


さらに電車は急こう配を時速30キロ程度か?縫うように山中を上り続けて約90分、やっと終点の極楽橋駅へついた。さらにここからケーブルカーに乗り換えて山上の高野山駅へ、何度来ても遠い、降りるとここは聖地・高野山。下界の残暑もなく気持ちのよい空気が心の中まで染み入るようで大きく深呼吸。やっぱり高野山はいい・・・。



今日は高野山の主だったところを巡るウォーキング10キロコース。バスで最初の女人堂へ向かった。明治5年、女人禁制が解かれるまで女性は女人堂まで、ここで祈りをささげていたという。そこから山内へは入ることができなかった。女人堂は何箇所かあったが、現在残っているのがここの1か所だけ。の女人堂には何度も来ているが、ここでみかけるのは女性ばかりで男性の姿は少ない。今日もそうだった。


女人堂から高野山ウオークが始まる。今日の担当は倶楽部のリーダーをしてくれているSNS会員のちゅうさん、(現在四国八十八か所めぐり中、ブログにもアップ)コースを詳細にまとめた手作資料で概要説明、高野山の聖域をめざしていざ、スタート、4年前の7月にひとりで訪れた時とコースがまったく同じなので余計になつかしい。

一列になってどんどん山内に入って行く、みんなの足も高野山を歩くことがうれしいように快歩!
しばらく歩いて高野山はやっぱりここから!大門へ到着、九度山駅から少し上った慈尊院から始まる町石道を上りつめるてくるとこの大門に到達する、高野山の入口ともいうべきところ、東大寺の南大門に匹敵する威風堂々とした朱色の楼門のたたずまいは何度来ても圧倒される。


ここで思わぬ人?に出逢った、こどもたちがいっせいに寄って行く!
平安時代の弘仁7年(816)、弘法大師空海が真言密教の根本道場にするため時の嵯峨天皇の許可を得て高野山を開創して平成25年(2015)で1200年になるが、その年に記念法会が開かれるそうで、そのイメージキャラクターのゆるきゃらが「こうやくん」、そのこうやくんを見つけて大門に来ていた人たちが一斉に集まってきた。


こちらもお願いをしてこうやくんと記念撮影!去年は奈良の平城京1300年の「せんとくん」とやはり倶楽部の例会で記念撮影をしているのでラッキー、これはいい思い出、いいことがあるぞ!この大門の内側に九度山の慈孫院(180町)から続いてきた町石道の表示、6町石の道標があるが、その町石を5、4、3、2・・・と探しながら町石ウォーク!
あった1町石、高野山の中心、大伽藍を囲む石塀の樹木の中に、よく見ないとわからないところに1町石を発見してみんな大喜び。3年前に自分が来た時はあたりの木が茂っていて発見するのに何度もあたりを歩きまわって、やっと見つけたが、その時のことをなつかしく思い出した。

聖地の中心、壇上伽藍の高野山総本山金堂から順にすすむ


すぐ隣に朱の鮮やかな根本大塔、ここには本尊の曼荼羅大日如来が祀られているが、今日は、残念だけど時間の関係でパス!高野山へ行ってここに入らずして、行ってきたと満足させるのは、お世話役として申し訳ないのだが、今度は自分できてください!としか言えなくて、ここがグループウォークの辛いところ


続いて国宝の不動堂、最後に金剛峯寺へ、ここはすべての宗務を行うところで、お遍路さんの姿も見受けられた。



ひととおりぐるりと巡って次へ・・・宿坊やお土産物店が続く通りをお行儀よく一列で歩いて時間は12時前、お昼はお店で食べることになっていたのでメンバー全員が固まって食べられる店さがし。運よく発見、男女6:4名ずつで向い合せになった!
自分の向かいは優しいYちゃん、よかった!俺だって好みがあるからな!これ内緒!
Yちゃんだって好みがあるよ!と、どこかから聞こえてきたみたいだけど・・・。

高野山で目につく特徴に、宿坊が多いこと、53もあるそうだが、それだけ修行僧が多いということ、町と修行者が一体になっている宗教都市の所以はここにある。
いまは、宿坊での勤行、写経、瞑想、精進料理の修行体験が人気らしい、自分も一度、宿泊して修行体験をしておきたいと思いながら、まだ実現していない、思うだけならだれでもできること、やるかやらないかだけだ。

やがてもう一つの聖地、奥の院への入口の一の橋へ着いた。
ここから弘法大師のご廟がある2キロほどの石畳の参道を入って行く、一歩踏み入れるとそこは他ではまったく見ることも感ずることもできない特別な感覚の世界に吸い込まれていくのが不思議で、若い時から思えば10数回は訪れているはずなのにその感覚は変わらない。


樹齢数百年もの巨大な杉が参道に覆いかぶさるように林立する両側に20万基以上ともいわれる武将や諸大名、名士、実業家、名優の墓石が建立されている。
その苔むした大小の墓碑を見ていると1200年の時代を凝縮した霊気が漂っているような気がして思わず足が止まってしまう、行き交う人で混雑した参道を人をわけるようにしてすすむ。

墓石の多くが「五輪塔」の形をしているのも特徴だが、密教の教えでは、宇宙は「空・風・火・水・地」の五つの要素から成り立ち、五輪塔の形は、それから形作られているという、団体客に説明していたガイドさんの話を耳にした。


すべてを丁寧にみていたら1日はかかるだろう、メンバーにはパンフレットから訪ねたい人の墓石があればと聞いたら、武田家、上杉家、伊達家、お江、豊臣家、織田家・・・今年の特徴は、大河ドラマの影響だろうが「お江」の墓石に多くの人が訪れていた。高さ6.6メートル、台石は八畳敷きで大きい。


豊臣家が広い敷地にあるのに織田家が小さいのは、なんで?と、みんなの疑問。



中の橋にくると、ここからご廟まで撮影は一切できない。弘法大師は、いまでも永遠に生き続けて、ここで仏法修行を続けているといわれ、そのそばに行きたい!と人々は訪れるのだろう、その数が、年間250万から300万人と聞いて驚く。宗派を超えて一人の宗教者のためにこれだけの人が訪れるのは珍しいことだと思う、改めて弘法大師の存在が多くの日本人の心の中にあるのだろう。ふと、いま、弘法大師は、なにを伝え続けているのか?と思った。

メンバーのHさんが、“若い人が多いのにびっくりした!”と言っていた。
高齢者が多いのはいつの時代も同じことだが、確かに若者が目立つ、聞いてみないと「その心」はわからないが、モノ離れしている次世代を担う若者たちが、ここに何を求めて来ているのか、形ある物を創り出し享受することに生きてきた我々世代が残したモノに若者たちは、未来の夢を描くことができなくて、何を頼りに生きて行ったらいいのか、根源的なものを見つけるために来ているのではないのだろうか?と勝手な想像をした。

帰り道は、一の橋まで別の道を一列になってウォーキング、そして女性軍に約束していた焼きお菓子とお茶で休憩、会計さんに会費から105円の小遣いをもらって焼きお菓子1個ずつ、おじさん達も子供にもどって、おいしい、おいしい!奥さんからお土産の「ごま豆腐」を厳命されてきたBちゃん、お目当ての店ですでに売り切れ!みんなでごま豆腐探し、なんとか代替品?のごま豆腐を確保してほっとしていたが、奥さんにどういわれたことやら。
ちゃんとお土産を買う人、買わない人、どうやら男どもの買い物の後ろに奥さんとの力関係を垣間見た。お土産など買ったことも、買うつもりもない自分は悪亭主だな!でも、これ、まずいのかなあ?

それぞれの思いを残して聖地からケーブルカーで下界へ降り、南海電車で大阪まで戻り新今宮でJR組と別れて戻ってきた。夜には、さっそく倶楽部のHPの掲示板に書き込みが入っていた。「高野山」はとてもいい1日だったらしい、よかった、よかった!

過去に高野山を歩いたブログの紹介
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/f21164284cd578c6d0a4245dcc1b4d54
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/8a020fdd01654f9f08535ca584f2c634
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/3d2c6a301bee3432daa0dc65524b843c

(今月末の測定値 体重61.9 体脂肪14.8 体内脂肪11.5 体内脂肪が目標値にいかない