ここまで生きてきて、ご指導をいただき、
大きな影響を受けた人のおひとり
大塚全教先生が亡くなられた。
昨日、ご家族から喪中のお葉書をいただいて知った。
大塚全教さんは、あの大石順教尼のお弟子さんだった。
4歳の時に両手の自由を失い、途方にくれて広島の福山から
京都の大石さんのもとに行かれ、厳しい指導を受けられ
順京さん亡き後、その志を継いで、障害者の自立のために
尽くしてこられた方だ。
ご縁をいただいて25年くらいになるが
もう、長く、お会いしたこともなく
ただ、毎年毎年、欠かさず、年賀状をいただくのが
楽しみで、母に似た笑顔がとても好きだった。
両手が不自由で、わずかに使える左手先と足で
なんでもされていた。
絵も書も立派なものを書かれていた。
子供と近鉄の書家展に行った時
優しく子供に声をかけていただいたことを思い出す。
いただいた「この花」という本も
よく仕事で活用していたが、誰かに貸したまま不明だ。
山科の観修寺の境内にある無心庵で障害者の自立施設を
ずっとやっておられ二度ほど伺ったことがある。
夏に福山へ転居したとハガキをいただいたので
ふるさとで静かに暮されるのかと思っていたが
多分、悪かったんだろう。
もう、素敵な年賀状がいただけないと思うとさびしい。
いまでも優しい笑顔が忘れられない。
ご冥福をお祈り致します。
大きな影響を受けた人のおひとり
大塚全教先生が亡くなられた。
昨日、ご家族から喪中のお葉書をいただいて知った。
大塚全教さんは、あの大石順教尼のお弟子さんだった。
4歳の時に両手の自由を失い、途方にくれて広島の福山から
京都の大石さんのもとに行かれ、厳しい指導を受けられ
順京さん亡き後、その志を継いで、障害者の自立のために
尽くしてこられた方だ。
ご縁をいただいて25年くらいになるが
もう、長く、お会いしたこともなく
ただ、毎年毎年、欠かさず、年賀状をいただくのが
楽しみで、母に似た笑顔がとても好きだった。
両手が不自由で、わずかに使える左手先と足で
なんでもされていた。
絵も書も立派なものを書かれていた。
子供と近鉄の書家展に行った時
優しく子供に声をかけていただいたことを思い出す。
いただいた「この花」という本も
よく仕事で活用していたが、誰かに貸したまま不明だ。
山科の観修寺の境内にある無心庵で障害者の自立施設を
ずっとやっておられ二度ほど伺ったことがある。
夏に福山へ転居したとハガキをいただいたので
ふるさとで静かに暮されるのかと思っていたが
多分、悪かったんだろう。
もう、素敵な年賀状がいただけないと思うとさびしい。
いまでも優しい笑顔が忘れられない。
ご冥福をお祈り致します。