昭和25年から雑誌に連載され、昭和31年の4月に刊行された「楽天旅日記」という小説がある。この中から一文を引用する。
「--こんなこたあずっと昔からどこにでもあったのですよ、昔も今も、これから先もせ、正直な者、貧乏な者は、いつも御政治とやらいうものに踏んだり蹴ったりされるでさ、・・・・・・
こればかりは世の中がどんなに良くなっても、決して変わりっこねえところせ、これで世間にゃうめえようなことを云う人がいるだがねえよ、・・・・・ああだこうだって、これをこうこうすれば貧乏人や正直者暮らしよくなるだってせ、
・・・・・まあやってみるがいいだよ、おらはっきり云っとくだが、ふ、みんなてんでんが自分の欲で云うだあ、いつの世が来ても、貧乏人や正直者を枷(かせ)にかけて、うめえようなことを云って、やっぱり悪知恵のねえ者や貧乏人を絞るだあよ、
・・・・・・人間に胃袋と子を産む器械がある限り、こればかりはどうにもしょんねえことなのせ」
山本周五郎氏は生真面目な作家と評されているが、この物語はいささか趣を異にしている。更に、本文より引用してみる。
「--全組織の転覆ではありませせんか」
「--けれども転覆後の新しい運営に人がついてくるでしょうか、大多数の人間は陰では不平を云いながら、実際には伝統とか権力とかに支配されたがるもので、いかに合理的な制度で、伝統を破壊したり権力を否定することは決して好まないと思うのです」
人間好きの作家にしては意外なほど虚無的な表現が多く出てくる作品である。
「自分の好むままに生きるがよい、眼前の事にとらわれるな、いま眼の前にあることは、やがてみな亡びてします、愛も憎しみも、善も悪もいかなる事も、芸術も、・・・・なにも亡びて、塵になってしまうのだ・・・・・・なにものも亡びることから逃れることは出来ないのだ」
この時期、この作家にいかなる心境の変化があったのだろうかと、気になっているのである。
そういえば、映画やTVで幾つか氏の作品を見ている、読者の皆さんもご覧になっているだろうと思う、それを幾つかピックアップしてみる。
映画
椿三十郎(1962年、監督:黒澤明) - 『日日平安』が原作。
ちいさこべ 第一部(1962年、監督:田坂具隆)
ちいさこべ 第二部(1962年、監督:田坂具隆)
青べか物語(1962年、監督:川島雄三、脚本:新藤兼人)
無頼無法の徒 さぶ(1964年、監督:野村孝) - 『さぶ』が原作。
五辧の椿(1964年、監督:野村芳太郎)
赤ひげ(1965年、監督:黒澤明) - 『赤ひげ診療譚』が原作。
どですかでん(1970年、監督:黒澤明) - 『季節のない街』が原作。
雨あがる(2000年、監督:小泉堯史)
椿三十郎(2007年、監督:森田芳光) - 『日々平安』が原作。1962年のリメイク。
TVドラマ
樅ノ木は残った (1970年、NHK大河ドラマ、脚本:茂木草介)
赤ひげ (1972年、NHKドラマ 、脚本:倉本聰ほか、主演:小林桂樹) - 『赤ひげ診療譚』が原作。
五瓣の椿 (2002年、NHKドラマ、脚本:中島丈博)