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Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

家族の食卓

2007-09-20 | 子どもの視線・親の気持ち
毎晩、相変らずマシンガントークを繰り出してくる我が長女。
父親がうざいとか、下着を一緒に洗って欲しくないとか、世間様並に反抗期?な感情を抱いているフシもあるが、それでもなおこうやって話しかけてくるんだから、うちの親子関係はまだうまくいってる方なのかもしれない。

私が帰宅するや否や、「そ~そ~そ~、でさ、ちょっと聞いてくれる~?」と始まる。
宿題は終わってるのか?と訊ねれば、
「あ~、終わってるよ、でさぁ、知ってる~?」
知らないよ、俺は君の同級生じゃないんだから。こっちは晩飯作ってるんだぜ?お前はただ食うだけかい?手伝いくらいしたらどうよ?
「あ、は~い、あ、そうだ、あいつがさ~うざいんだよ!」
あいつって誰よ?
「ほら~、☐☐よ!ほらあの、うちよりもちょっと小さくて・・・あいつがさぁ~今日さぁ~!」
・・・ふ~ん、まぁ、ご飯できたから。テーブル拭け、おはし用意しろ!
あ、おまえら学童で保育所でおやつ食べて、帰って来てからまたなんか食ってたな!
食器つかったら片付けろよな、もう!
「あ、忘れてた、これ学校の手紙・・・」
馬鹿野郎!そんなもん最初に出せ!
「だって、先生ったらさぁ、ひどいんだよ~!」
何が!何がひどいっちゅうねん!お前の方がよっぽどひどいぢゃないの!
俺は仕事して急いで帰って来て、水も飲まず、タバコも吸わず、ちょっと座ることも着替えさえもせずに晩飯作ってんだ!
な~のに、お前はひたすらくっちゃべってるだけでなぁ~んも手伝わず、飯だけ食おうって了見かい?おやつ食べて、帰って来てからまたなんか食ってたくせに、ま~だ食おうってのか?腹減ってんだぞ俺だって!
宿題広げたまんまテレビに目を奪われて呆けてる次女!お前も手伝うの!
働かざるもの食うべからず。貴様ら飯抜きだ!俺が全部食ってやる!!
「え~?お母さんの分は?」
・・・妙に冷静なこと言ってんじゃねぇ!!とっとと働けぇ!!

ぴんぽ~ん!
「あ、お母さんだ!おっかえりぃ~!あのね、今日学校でね~!」

嗚呼、家族の食卓。


懐かしい違和感

2007-07-05 | 子どもの視線・親の気持ち
3年前にお袋が逝った時、上の娘が「人間って電信柱みたいだね」と言っていた。「みんな電線みたいなものでつながってるんだから」と。
http://blog.goo.ne.jp/yassakajp/e/bac8906fa5d919e1008851848c6c9b8c

~人が電信柱だとしたら、電線は人と人の心や血の「つながり」なんだろうね。
きっと、ウチと、おじいちゃんおばあちゃん、くま(わたしのこと)、おかあさん、いもうとは、ぶっとい線でつながっているんだよ。
それはその人が死んじゃっても変わらないんだ。
お友達とは中くらいの線でつないでるのかな?
きっと、今、ウチは7本のぶっとい線と、二十本くらいの中くらいの線でつながってるな。
細い線は、ないよ。切れた線もない。
(中略)
くまだって、○隈さんやなおちゃんや、死んじゃった○田さんともつながってるし、それだけじゃなくて、サッカーや剣道や、大学の友だちや、一体何本の線が体から出てるかわかんないくらいなんだろうな。
そして、その先につながっている人の電信柱から、またたくさんの線が延びて、どんどんつながっていくんだ。


先日、学生時代の同窓会があり、久しぶりに会った旧友たち。
ひとたびひざを交えて話しはじめれば、互いを自然体で受けとめ合える懐かしい空気感が、鮮やかな色彩感を伴って蘇り、鼻腔をくすぐる。
懐かしい学生時代にトリップしたかのような錯覚。
大学卒業以降の10数年間、転職や転居、結婚や出産、あるいは肉親との離別など、皆それぞれのドラマを生きてきたに違いない。
親としての生活、あるいは職業人としての生活、そして彼ら個人としての生活が、彼らを現在の地平へと導いたに違いない。
そして今、目の前にいる旧友たちは皆、学生当時の追憶の上に、新たな顔を携え、新たな空気を何重にもまとい、私の目の前に現れた。

私にとっては、大切に「記号化」し、追憶の中に半ばしまいこんでおいた、旧友たち。
その彼らが突如実体化し、記憶の色彩を互いに塗り替えていく。
その変容は、意外なほど心地いい「違和感」をもたらしてくれた。
あくまで私個人の印象ではあるけれど。
「皆変わった」のか「皆変わらない」のか、ではなく、「皆成長している」のだ。

娘たちよ、ここにもたくさん、俺の回線があるよ。
「記号化」したはずの印象はそのままに、明らかにその延長線上を生きている彼ら旧友たちの姿に、私は柔らかな感動を覚え、その感動は未だ醒めず、私に勇気を与えてくれている。

「記号化」した、だなんて失礼だね。
俺も前を向かないと。

次女のこと

2007-06-05 | 子どもの視線・親の気持ち
今住んでいる家を建てて、1年位してから生まれた次女。
Juju、Jujuと呼んで育ててきたこの娘、実は生まれたときから「ひげ」が生えている。
「ひげ」というとぎょっとするが、今ではずいぶん目立たなくなったけれど、生まれたときは、あごの下というか、のど仏のちょっと上の産毛が濃い、というか長かった。
お袋の家系では何人かいる、「やぎひげ」。もちろん、お袋にもあった。
最初に気づいたのは俺だけれど、お袋には黙っていた。反応を見たかったからね。

Jujuを最初に抱いたとき、お袋は「ん~?」と言って笑い出した。
「あたしが60歳で生まれてきた孫だから、似たのかねぇ?」と、お袋がとても喜んだことを覚えている。

一昨日。
一月ほど親父に孫の顔も見せていないし、と、日帰りで帰省。
実家に着くや否や、次女は「おじいちゃん見てて~!」と、畳の上でローリングブリッジを始めた。
実は今年度当初から新体操教室に通い始め、べたっとよつんばいになって、体を思い切りそらせて上半身だけ起こし、そこから反動をつけて頭を下げ、つま先を上げて、今度はへそが天井を向くような格好になって、逆につま先が頭を超えて床について、ブリッジ、そして立ち上がる、という新体操独特?の動きがやっと出来るようになったのだ。
毎日、泣きながらどったんばったんやった成果が早くも現れたわけで、こりゃすごい!我が子とも思えん、人間じゃねぇなどなど誉めそやしていたら、
「ほら、Jujuのおなかすごいんだよ!」
と、俺の手を引っ張る。
見ると、つい先日までぷにぷにだったおなかの脂肪はどこかへ行ってしまって、代わりに見事に6つに割れた腹筋が!
「い~でしょ~!」

あ~、よかったねぇ。たてにも横にも割れてて。俺のなんて・・・って、なに言わす!
ふんっ!我が子とも思えん・・・あぁ、あのぷにぷにはどこへ・・・。

昨日は、その次女の8歳の誕生日だった。
すげ~な、子どもって。

ゆりかご

2007-05-28 | 子どもの視線・親の気持ち
土曜の夕方、新車の受け取りにディーラーへ。
長女が生まれてすぐに買ったカルディナが11年経ち、そろそろ手狭になってきたことや、双方の親を乗せて走ることなどもあるだろう、と判断し、新車に乗り換えることにした。

ところで、最近は本当にマニュアルシフトの車が少ない。
今まで乗っていたカルディナはもちろんマニュアル。
夫婦そろってマニュアル派の我々としては、マニュアルを取るか室内空間を取るか、悩みまくったが、また10年乗ったら、もう娘たちと乗る機会も減るだろうし、次こそは夫婦で遊べるマニュアル車にしよう、と代替案?を持ち出し、今度はオートマだけど、車内は広くなるし、視界も広いし、車の中でCDも聴けるし、と山ほど理由を挙げて車種を決めてしまった。
ともかく、その新車が届いたので、カルディナと新車を並べて写真に収めた後、おっかなびっくりオートマチックの新車を転がして近所のかっぱ寿司へ。
いざ走り出してみると、やっぱり左手が手持ち無沙汰。パドルシフトみたいな感じでステアリングの中にシフトスイッチがついているから、これでなんとか遊ぶしかないかな。
一方、カミサンと長女はどうも落ち着かないらしく、「な~んか広いねぇ」とか、「椅子はどうやって倒すの?」とか大騒ぎ。
すると、その隣で次女がぽろぽろ涙をこぼしている。
どうしたの?と聞くと、「かるでぃながよかった~」とのこと。
生まれたときからあれに乗ってきたんだもんね。
お漏らしもしたし、げろも吐いてくれたし、ずいぶん泣きじゃくりもしたけれど、毎日保育園の往復でカルディナ君にお世話になってきた。娘たちにとってはいわばゆりかごみたいな車だったわけだ。そりゃ思い入れもひとしおだろうなぁ。
家族4人で妙にしんみり。
こういう環境の変化には、子どもたちのほうが敏感だ。引越しをしたときの喪失感みたいなものに近い感覚だろうか?
そんなわけで、家族全員、新車に慣れるまでしばらくかかりそうだ。


ユスフ・クンバサ

2007-03-27 | 子どもの視線・親の気持ち
先日、イエレー・クニハルさんと練習させてもらったSorsonet、音FoolでよくやるSinte、ママディのライブなんかでもやってるTiriba。
ブレークがあったり、ポリメトリックスであったりするこれらの楽曲、どうも気になるんだけど、本来のノリってどうなんだろう?とよく考える。
だいたいブレークのフレーズって、教則本やDVDを見ていてもまず出てこないから、WSなり練習会にもっと参加して、盗んでくるしかないんだけれど、土日も仕事、平日はほぼ父子家庭状態の現状では、それもままならない。
そこで、ママディの教則DVDと一緒に、ユスフ・クンバサ大先生のダンス教則DVDを購入してみた。
ダンスの振り付けがあるんだから、当然ブレークもあるだろう?と思ったわけだ。

で、昨夜の夕食後、早速再生。
前述の3曲に加え、Ginea FareとDunnunbaなんかも入ってる。
おぉ、なるほど、こりゃわかりやすい!これならブレークも怖くない・・・かな?なんて思いつつ、ジェンベを叩きはじめる私。
すると、いきなりテレビの前にしゃしゃり出てきた娘二人。
「うわっ、激し~!」
「あ、この動き、こないだヒビキ君のお母さんがやってた!」
な~んて言いながら、真似して踊り始めた。

・・・かかったな、まんまと!

実は先日、上の娘は某所のオーディションを受けた。
現在通っているスクールでは、小さい子達の面倒を見ながら、懸命に練習している彼女だが、人間関係含めていろんな意味で壁に当たっている印象もあった。
そこで、武者修行的にオーディションを受けさせたわけだが、ダンスしかやってきていない娘が歌や演技(!)まで含めたオーディションに受かろうはずもなく、見事落選。
しかし、悔しいことは悔しかったらしく、帰宅後は目を真っ赤にして「畑違いだけどさ~」とつぶやいていた。
自分のスクールの発表会では、いつもセンターで踊る彼女だが、そつなく踊っているように見えても、彼女のダンスは肩や手先の表情が少ない。顔の表情はもっと少ない。そういった面も自覚させつつ、さらに次の課題を自ら見つけてもらわないと伸びるものも伸びないなぁ、ってのがオーディションを受けさせた真意。
しかし、挫折感を味あわせただけでは次のステップは見えない。ヒントくらいやらないと。
そこにちょうどギニア・バレエ。

どうよ、今の顔!自分で見てごらんよ!
いい表情してるじゃないの!そういう顔で踊らにゃいかんよ、いつだって!

「だって~、初めて見る振り付けを踊れなかったら悔しいんだよ!」
そう言いながら、いつの間にやら下の娘を仕切りつつ、ほぼ振り付けを飲み込んじゃった上の娘。
その隣に鎮座し、うけけけ~っ!としたり顔でジェンベを叩き続ける私。

ちょうどそこにカミサンが帰宅。
まさに目が「点」。
「・・・すごい光景。こんなことやってるウチ、聞いたことないよ。」
「君も一緒に踊ってみる?」
「君こそジェンベじゃなくて、踊ったら?やせるよ、これは!」
・・・ふんっ!大きなお世話だ。


春分の日にジェンベかついで

2007-03-22 | 子どもの視線・親の気持ち
昨日は春分の日。
なのに、カミサンは出勤、ついでに私も当番で出勤日!
しかし、長女の誕生日でもあるので、無理言って私が休みを取り、当初はお袋の墓参りに、と思っていたのだが、実家の親父が不在だというので帰省を取りやめ、急遽、朝9時過ぎから親子3人でイエレー・クニハルさんの個人練(家族練か?)にお邪魔させてもらった。
と言うのも、クニハルさんの奥さんがアフリカン・ダンスを踊るため。

何を隠そう、ウチの長女は6年くらいヒップホップやジャズダンスなど、一通りなんでも教えるダンス・スクールに通ってきて、ある程度の基礎はできている様子。また、次女はそんな姉の姿をずーっと見てきて、本人もぼちぼち通い始めようと思い立ったところ。
しかし、アフリカンとなるとまったくの未体験ゾーンだ。
娘たちには刺激になるだろうなぁ~と、実は以前からチャンスを伺っていたのだった。

しかし、いざ引き合わせ、「教えてもらいなよ!」とけしかけても、やはり初対面ゆえか、どうもぎごちなく、一緒に少しストレッチやったくらいで、あとは傍観。
むしろ、あちらの4歳になるヒビキくんという息子さんと遊ぶのに忙しく、ダンスに混じるどころではなかった。

で、私はと言えば、クニハルさんのとなりで、彼の手元を覗き込み、奥さんともう一人駆けつけたダンサーの動きを注視しつつ、なんとか邪魔せんようにひたすらアコンパを叩き続ける。
実はこういう修業的な練習がしたかったのよね。
Kassa、sinte、sorsonet、sokoなどやりつつ、みっちり2時間以上ご一緒させてもらった。
いくつかのキメも教えて貰ったのに、1日たったら既にうろ覚えになっているのが悲しいけれど、そんな中、実は最近気になっていたsorsonetがやれたのは大きな収穫。
3と4が重層的に絡んだこのリズム、やはり大人数でやると飛べそうだなぁ。
あるいはドラムソロに応用が利きそうだなぁ・・・。

大体、私がアフリカンに興味を持ったそもそもの理由は、ポリリズムだし、また、学生の頃にたまたま思いついた6/8拍子のギターリフをうまくリズムアレンジできず、バンドとして曲にすることができなかった、という体験がもとにある。
もう20年近く前のことだけれど。
あの時、ギニアやマリのトラッドを聴きこんでいればなぁ・・・。

帰宅後、そんなことをぼんやりと考えつつ夕飯の仕度をしていると、帰宅したカミサンに飛びついた娘たちが「ヒビキくん超かわい~!」な~んて話している。
つい耳をそばだてると「こ~んな感じの姿勢でね、弱そうな狩人だなぁなんて言われてたんだよ。振り付けに、全部意味があるんだって」とか、「ドンドンって叩くのは、鉄砲撃つ音なんだって」な~んて二人そろってご報告してる。
なんだよ、しっかり栄養つけてきたじゃないの、君たち。
今後の展開に期待が持てるな。

ちょこれーと紛争

2007-03-06 | 子どもの視線・親の気持ち
実話です。念のため。

先月の13日のこと。

毎日、放課後は学童保育所に通っている小学校1年生のW君は、「明日、どうしても学童へは行きたくないよ~!」と、突然駄々をこね始めた。
お母さんが理由を聞いても、「内緒」の一点張り。
学童でトラブルでもあったのだろうか?と鎌をかけてみても、やっぱり「内緒」。
しかし、1年生の彼を夕方6時頃まで一人ぼっちで家においておくわけにも行かず、困り果てたお母さんはお父さんと相談。
「何かあったのかもしれないなぁ。そういうこともあるんだろうから、ちょっと様子を見よう。」と言ったお父さんは、すかさず近所に住む実母、つまりW君のお祖母さんに留守番をお願い。
目に入れても痛くないほどかわいい初孫の一大事!と、お祖母さんが留守番を快諾してくれたおかげで、翌日、W君は無事、学校から家へ直帰することができた。

そしてその日の夕方6時過ぎ。
心配顔で帰宅したご両親を迎えたW君はにっこにこ。
「家で遊びたかったのかねぇ。」
「学童だと、上級生にいじめられたりするのかもね。」
と話すお父さんお母さん。
そこで、「じゃ、帰るよ。」と履物をはいたお祖母さんが振り向きざま、妙な一言を。
「あの子、ずいぶん上級生の女の子たちとお友達なんだねぇ。」
「?・・・!」

あわててキッチンに駆け込んだご両親が見たものは、満面の笑みを浮かべてチョコレートにぱくつくW君の姿だった。

「なによそれ、バレンタイン?」
「そーだよ、もらう約束してたんだ!」

どうやら彼は、数人の女の子たちから、チョコをもらう約束をしていたんだそうな。
しかし、学童でもらうと、ほかの子たちに奪われてしまう。
だから、どうしても今日は家にいなきゃイケなかったんだと。
しかも彼、くりっとした目がかわいいと、5,6年生の間で評判の「アイドル」であったのだが、そんなこと、ご両親が知るはずもなく・・・。

「だって、ばれんたいんでーって、女の子からチョコをもらえる日なんでしょ?幼稚園からきた友達が言ってたよ。ぜんぜんもらえない男の子ははずかしいんだってさ。」
「なんだそりゃ?・・・で、一体、いくつもらったの?」
「10・・・12こくらいかな?」

絶句する父親を尻目に、次のチョコへと手を伸ばしたW君。
そこでお母さんが冷静に言葉をかけた。
「じゃ、12個、クッキー用意するのね。お小遣い、あるの?」
「え?なんのこと??」
「・・・ま、まさかあんた、もらうだけもらって終わりだと思ってたんじゃ・・・。」
「???」

さすが保育園純粋培養型の男子1年生。
ホワイトデーの存在を知らなかったらしい。

「俺なんて、ABCチョコ1つだぜ・・・。」
と、一人愚痴りながら、W君のお父さんが息子の食べ残しをつまみに缶ビールを飲み始めた、ちょうどその頃、その2軒となりのA君宅に1台の車が止まった。

降りてきたのはHちゃん。
毎晩遅くまで学習塾に通う、いつも強気な女の子。
学校のクラスではなんでもトップじゃなきゃイヤ、誰にも何でも負けたくないの!とばかりに、時には男の子たちをぼこぼこにしてしまうこともある、実は武闘派だったりするので、彼女を恐れる男の子は多い。
実はA君もその一人なのだが、恋は盲目だ。

さて、時計の針は10時を指していたけれど、夜の風は頬を切るほど冷たいけれど、これこそ本命なのよっ!とばかりに気合十分で冬空の下に仁王立ち。
いわゆる友チョコは、今日、学校でクラスの女の子達10数人と交換してきた。
でも、これは正真正銘のバレンタインチョコなの!と、大切そうに胸に抱いた紙袋一つ。
本命A君にはお手紙と、自分とおそろいの文房具セット、そのたもろもろ、一切合財をポップな紙袋につめこみ、かわいいリボンを掛けた、それはあたかも「福袋」(H妹談)。
思い切って呼び鈴を鳴らすと、おびえた表情のA君がお母さんに伴われて出てきた。
「・・・なに?こんな時間に何の用?」
「こんばんは・・・あの・・・これ・・・。」
と、彼に紙袋を押し付けると、脱兎のごとく駆け出した。
「早く帰ろっ!」
と運転席に声を掛けると、そこではHちゃんのお母さんが「Zzzzzz・・・・」。

無理もない。
娘のわがままに付き合い、昨夜は10数人分の友チョコを徹夜で作成、休むまもなく本命の巨大チョコを作って、一切合財梱包して、娘を学習塾に送り、夕飯の準備をして、また娘を迎えに行って、あ、旦那にあげるチョコ忘れてた・・・。

「う~さみ~!」
そんな事情は露知らず、パジャマ姿で縮こまるA君母子。
Hちゃんを見送りに来たんだけれど、いつになっても車は動かず・・・車内で叫びまくり、どんどん紅潮していくHちゃんの横顔から目が離せない。

A君に、福は訪れたのだろうか?

同じように怒る訳

2007-02-09 | 子どもの視線・親の気持ち
このところ、毎晩カミサンの帰宅が遅いので、6時30分までに学童保育所に娘たちを迎えに行く。
帰宅すると、上の娘は風呂の準備、下の娘は音読の宿題、俺は晩御飯の仕度に取り掛かる。
ま、娘たちがすぐ動いてくれればいいんだけど、そう甘くはない。
昨夜も帰宅するなりじゅうたんの上にどべ~っと寝そべり、やおら上の娘がテレビをつけた。
「おい、約束が違うぞ!明日の準備は?風呂の仕度は?とっとと動けぇ!」
包丁と中華なべを握って仁王立ちする父の姿を見ても、
「ちょっと待ってぇ~。」
とだらけている。
敵も疲れているし、日常生活なんてこんなもんだ。

そんなこんなで二人とも宿題と明日の準備を終わらせ、風呂にも入り、さぁ夕食。
この日はとにかく家にあふれかえる葉っぱもの野菜を食べつくそうと、白菜を半分丸々使った中華スープ、親父が畑で育てたほうれん草のソテー山盛り、鶏肉のバター焼き、にんじんのグラッセ。
中華だか洋風なんだかわからんが、ともかく、野菜を食べさせようと、ウチにしては珍しく、各々の皿に取り分けてテーブルにセット。
連中の嫌いな素材は入ってないから、ぱくつくだろう、と思っていたのだが・・・。

「あ~、レストランみたい~!」
「野菜食べるんだよ。残したら、テレビ見せないよ。」
「いっただっきまぁ~す!」
その日の学校でのこと、学童でのこと、テストのこと、プールのこと。
二人の娘は我先にとマシンガントークを繰り出してくる。
話したいこと山積みなんだよね。
君たちの話はどんなささいなことでも昨日の君たちとは違うんだ。
少しずつだけど、着実に育つ心。
でもねぇ、おまえら。ご飯冷めちまうよ。

そうこうするうちに9時近く。
やっと帰宅したカミサンも加わり、マシンガントークはさらに加熱。
で、皿の上は?

「スープ残ってる、ほうれん草のこってる、もう冷たいんじゃないの?9時から見たい番組あるんじゃないの?」
「あ~!」

そして・・・ほうれん草が最後に残った。

「だって苦いんだもん。」
異口同音に娘たち。
「じゃ、残してもいいから。」
「ううん、食べる。」
しかし、遅々として進まず、おしゃべりも止まらず、時計の長い針は12を指した。

「いい加減にしとけよ。言われなきゃ宿題もやらない、風呂掃除は結局俺がやって、お前ら今日は帰ってきてから何にも約束果たしてないだろう?それでしまいにゃご飯残すかぁ?勝手にしろ!」
そう言って、俺は自分の皿だけさっさと片付け、2階の自室へ閉じこもった。

しばらくして、まず下の娘が上がってきた。
「ごめんなさい(すでに泣いている)。」
「食べ終わったのか?」
「全部食べた(鼻をすすりだす)。」
「言われたことはやりなさい。で、あのほうれん草は、誰が育てたんだ?」
「おじいちゃん(涙腺が本格的に決壊)。」
「おじいちゃんが、お前らに食べさせたくて作ったんだから、気持ちが栄養になってるんだ。だから味が濃いんだ。今日の味を忘れるなよ。」
「ごめんなさ~い(号泣)。」

そして上の娘。
こちらはちょっと手ごわい。
「ごめんなさい(とりあえず涙目)。」
「何が?(努めてにっこり)」
「ほうれん草残したこと。」
「ん~?」
「あと、帰ってきてから、怒られないと何もしなかったこと。」
「明日から、ちゃんとできる?」
「できる・・・ぶえぇぇぇ~ん(突如号泣)。」
「何で泣くの?」
「だって、くま、本気で怒ってたから、おじいちゃんのほうれん草だし、口も訊いてくれないんじゃないかと思って、そしたら普通に話してくれるし、さっき怒られたのは何なんだろうって・・・。」
「んで?」
「うちだって、毎日毎日おんなじように怒られて、毎日怒られるのやだし、毎日考えてるのに、結局怒られて、なんでだろうって。くまがよく言うように、うちだって毎日考えてるし、少しずつだけど出来ることも増えてるのに、でも、くまが毎日同じように怒るから、うちはぜんぜん出来るようになってないんじゃないかって、なんか嫌になってきちゃったんだもん。」
「君は、毎日同じように怒られてる?同じことで?」
「似たようなことだけど、同じじゃぁない。」
「じゃ、違うことで怒られてるっていう自覚はあるんだ?」
「うん。」
「それなら成長してないってことにはならんでしょ?」
「なんで?毎日違うことなのに、おんなじように、なんか、こう、上からべしって叩くみたいに怒られてるよ。」
「俺がさぁ、立ったままこうやって腕を振り上げて、君の頭をばしっと叩いたとするだろ?ところが、君は毎日少しずつ背が伸びてるだろ?」
「だから?」
「俺が毎日君を叩くためには、俺は毎日すこ~しずつ背伸びするか、台の上に載らなきゃなんないね。毎日違うことで同じように叩かれてると思うなら、それは君が少しずつ心も成長してる、ってことなんじゃないの?」
「なんで?」
「だって、もし毎日同じことでひっぱたいてるんだったら、なんでできないの!って、最初はスリッパ、次は平手打ち、それでもだめなら拳骨、右ストレート、しまいにゃ蹴り、って、どんどん激しくなるでしょうに。」
「・・・あぁ!そうか。」
「君を叱るのも一苦労なんだよね、俺としては。俺は父親だから、爺ちゃん婆ちゃんから受け継いだ君たちの命を大きく育てる責任があるんだ。だから、君たちを叱るのさ。でも、君たちなりに出来ることも増えてきているし、成長してることがわかるから、結局怒り方は変わらないの。納得?」
「わかったような、わからんような・・・でも、なんかすっきりした。」
「じゃ、次にやることは?」
「下へ降りて歯磨き!」

みんなわかってるんだよな、君たちは。
そして、わかってることをわかってほしいんだよな。
だから子どもたちは体を張って怒られちゃう。
俺たち親は、そのことに気付いてあげないと、「できた!」っていう無邪気な声を聞くことはできないんだ。


色えんぴつ

2007-02-08 | 子どもの視線・親の気持ち
先日、下の娘が、
「学校で使う色鉛筆の、ちゃいろと、むらさきと、おれんじが短くなっちゃったの。」
と言うので、仕事帰りに必要な色を買い揃えてきた。

そして日曜日の夜。
パジャマに着替えて「もう寝ろ~!布団にイケ~!」と言ったところ、実はまだ明日の学校の準備が出来ていないと言う。
「今すぐやっちゃいな~!」
と下の娘に言ったところ、「はぁぁ~ぃ」とやる気なく二階にあがったきり、降りてこない。
俺は洗い物を済ませ、上の娘は歯磨きも終わったけれど、下の娘はまだ二階。
「寝る時間なくなるよ~!」
と声をかけながら階段を上り、娘の部屋に入ったら、手動の鉛筆削りに右手を置いたまま、左の手のひらをじ~っと見つめていた。

小学一年生の小さな手のひらの上で、親指みたいなむらさき鉛筆がころころ転がっている。
「どしたの?新しいの買ってあげたろ?早く削っちゃいなヨ!」
「・・・。」
「ん?どこにやったの?」
「あのね、ん・・・とね、これをね・・・ぴんってきれいに尖らせたかったんだけどね、どうしても先っちょが折れちゃうの。」
「ん~?色鉛筆だから、普通の鉛筆より芯がやわらかいんだよ。だから、そんなに尖らせなくていいんだよ。ほら、新しい長いのはどこ?」
「だからね・・・・これ。」

何気なく勉強机の上を見ると、こちらにも、ちんまり短いむらさきくんがころん。

「?え、まさか新しいの削っちゃったの?・・・しぇぇぇぇぇっ!」
「・・・ふえぇぇぇぇ~ん!ごめんなさ~い!」

おいおい、泣くなよ。
って、そりゃ泣くよなぁ、おい・・・。
でも、俺も泣きたいよ。
あ~ぁ。

備えあれば?

2007-01-27 | 子どもの視線・親の気持ち
昨日のこと。
下の娘が学校図書館でことわざの絵本を借りてきて、大声で読んでいる。
それに隣でちゃちゃを入れている上の娘。

「うまのみみに、ね~んぶつ?」
「うん。」
「さるもきからおちる~。」
「うん。」
「こーぼーもふでのあまや?」
「え?あまやどり?」
「??こーぼーもふでのあやまり!だよ~、いじわる~!」

しばらくして。

「そな~えあればぁ?うれないし?」
「え?売れないの?」
「うるっさいなぁもう!うらないし!」
「そなえあればうらないしぃ~?」

おいおい。
おもしろいじゃねぇか。俺も混ぜてくれよ。