Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

繕う俺

2008-01-22 | 子どもの視線・親の気持ち
昨夜のこと。
帰宅早々長女のマシンガン・トークはとどまることを知らず、晩御飯の準備しながら、つい相手をしていたら、退屈した次女がストーブの前で丸くなっていた。

猫か、お前は!

って、寝るなよ、おい!


その後風呂に入った長女、いつになっても出てこない。
先に出ていた次女に見に行かせると、
「洗い立てのブラのカタヒモが切れたって~!」

切れたと言うより、縫い目がほつれてとれちゃったんだな。
一度は自分で繕ってあったようだけど、糸がきつく止まってなかったんだな、これ。
はぁ~。
別のヤツ持ってきてあげな。


そんなこんなで今日も無事に布団に追い込んだ。


そして。


やっとストーブの前に腰をおろし、長女のブラのカタヒモを繕っている俺って・・・。

自分でやらせりゃよかったな。
次回からはそうしよう。 


しばらく3人暮らし

2008-01-17 | 子どもの視線・親の気持ち
朝。
寒いのに膝くらいまでしかない短いレギンスを履いて登校しようとする次女に、「もっと長いのはきなよ」と言うと、意見されたことが気に入らないらしく、キーキー怒り出した。
「寒いから心配して言ってるのに、なんだ!勝手にしろ!」
つい怒鳴ってしまって落ち込む自分。
そんな父親には目もくれず、いつものように「いってきま~す!」と長女が飛び出していくと、むくれた表情の次女が母親にだけ「いってきます」と言って玄関を出た。

その数分後、呼び鈴が鳴った。
忘れ物でもしたか?と、呼びかけながら玄関を開けると、いつも次女と連れ立って登校している近所の一年生が立っていた。
「じゅじゅちゃん、ま~だぁ~?」
あれ?もう行っちゃったよ?

この日からちょっとした手術のため入院する母親と、しばしお別れとなった娘たち。
寂しさを紛らそうと懸命に走っていった次女は、気付けばいつも立ち寄る一年生の家を通り過ぎていたらしい。
一方、入院の話を聞いてから気を張りっぱなしだった長女は、この日の朝、誰にも見つからないようにベッドの中でさめざめと泣いていたらしい。
2人とも、別れる時くらいは淋しそうな顔を見せまいと、いつになく気を遣っていたのだ。

子ども達を送り出してから、カミサンに付き添って病院へ。
主治医から、手術の方法やら、術後の段取りやらの話を聞き、こちらからも疑問点を片っ端から質問。結局10日くらいの入院でその後は特に心配もなく、元通りの生活に戻れそうだと安心。

夕方帰宅し、居間に入ると、例によって長女のランドセルが放りっぱなし。
しかし何故かテーブルの上にカラのペンケースとその中身とおぼしきえんぴつ、消しゴム、定規、そして無数のペン類がごちゃ~っとぶちまけてある。
が、肝心の娘がいない。そう言えば自転車もなかったな。
もう暗いのに。
次女のお迎えの時間だし、買物にも行かにゃならんのに!
そう言えば課題がどうしたとか言ってたっけ。それかな?
あいつのことだから大丈夫だろうと長女のことは置いといて、自動車転がして学童へ向かうと、長女は一旦帰宅後、自転車に乗って学童に来たらしいが、そこから先は不明との事。
焦っても仕方ないので、次女をひろって車に乗り込んだら長女からの電話。
学校の課題で、近所の病院をアポなしで回っていろいろ話を聞いて来たそうで、今帰宅したとのこと。

ったくもう!
アポ取ってから行けと言ったのに、強引な級友に引き回されたとぐちりよる。
はいはい、帰ってから聞きますよ。

帰宅後、夕食の準備を始めたが、娘たちは漫画を読んだりテレビを見たり。
明日の準備をして風呂入って欲しいんだけどね。
でも、娘たちは相変らず、ぼけ~っ。

「俺、しばらくの間、君たちの事怒らないから。怒るのやめた。」
「え~?なんで~?きもいよ、それ!」と娘たち。
「きもいってことはないでしょうに!怒れば俺も嫌な気持ちになるからねぇ。だからやめるの。」
すると長女が、
「抑えてくれる人がいないから、でしょ?」

・・・。
ん。君は鋭い。

そんなこんなで夕食はカレーライス。
なんか、品目を作る気にならなかったので。
3人だから少なめに、と、ご飯は3合。いつもは4合だけど。
あれ、やっぱり足りなかった?
お前、朝飯の残り食っただろ?文句言うな!
ま、10日間ばかり、3人でがんばっていこうよ。

お姉ちゃんは風邪のようです。

2007-11-13 | 子どもの視線・親の気持ち
このところ通っているメタルギニー主催のアフリカンダンス・ワークショップ。
ワークがある日は毎度月曜日だが、実は月曜は上の娘が学習塾に行く日でもある。
このため上の娘はご飯をセットしてから学習塾に行き、私は6時過ぎに学童保育所に寄って下の娘を拾って帰宅して3人が集合。簡単にご飯を済ませてから、3人で出発するころカミサンが帰宅、という段取りだ。
日ごろ、家ではだらけていて手伝いも自分の机の整理もままならない娘たちだが、この日ばかりはワークに行きたいがためにきびきびと動く。

ところが。

昨夜はめずらしくカミサンが先に帰宅していて、ご飯の準備が楽だなぁ~と思ったら、上の娘の顔色が悪い。
「なんか頭痛い~」
あららら。
熱はなく、食欲もあるようなのでインフルエンザではなさそう。
「行きたいよ~、休むと置いてかれちゃうよ~」
でもねぇ。
月曜日だし。ここで無理してこじらせたらもっとしゃれにならんし。
「見学だけ行く?」
「行ったらやりたいよ~」
「とりあえず、薬飲んで少し寝てろ。」

一方、下の娘。
「お姉ちゃんがね、頭痛いんだって。今日は2人で行く?」
「行く~!」
「じゃ、早く食べて着替えなさい。」
「は~い!」
と、ここまではよかった。
食事を終え、着替えを取りにベッドルームへ戻った下の娘が階段を降りてくる。
なんかゆっくりした足音。
「着替えな!」
「うん。お姉ちゃん寝てた。」
「風邪だろうと思うよ。今日は2人で行こうな。」
「うん。」
あれ?ちょっと心が折れかけてるのか?

ジェンベを車に積んでからもう一度ベッドに転がった上の娘の様子を見に行くと、実はしっかり起きていた。
「ウチは今日はやめとく。でさぁ、あいつももう二年生なんだからさぁ、今日は1人で行ってもいいんじゃん。今までそういうことなかったし。いい機会だよ。」
なによお前!すっかり保護者だね、言うことが。

んじゃぁ行きますかね、と、居間に戻った私の目に映ったのは、カミサンにしがみついてヒンヒン泣きじゃくる下の娘の姿。
「お姉ちゃんと一緒に行きたい~!」
「あららら~?さっきと違うねぇ、言ってることが。」
「1人で行けるの?って訊いたらこうなっちゃって」とはカミサンの弁。
だぁ~めだよそんなこと言っちゃぁ~!母親がいじったら折れちゃうよ~!
でも折れちゃったら元に戻らないんだよな、こういう時って。

はい。
次回は2人とも参加できるように!
体調整えなさい!

というわけで、昨夜は私1人だけ参加。これもなんか淋しい。
太鼓の練習にはなったんだけどね。

「いじめたる!」⇒後日談

2007-11-07 | 子どもの視線・親の気持ち
その後の後日談。
「修学旅行のときのことで、ウチをいじめるから一緒にいじめようって、言ってまわってる子がいてさぁ。」
なんてことを娘から聞いたとき、正直言って、特に大事にはならんだろう、と予想していた。
というのも、娘の話を聞く限りでは、学校生活における彼女の姿は、クラスの連中から比較的信頼されているようだったし、また、いわば無党派というか、女子校ノリのべたべた群れたがる女の子ではなく、男の子たちのなかにに1人っきりでいたとしても、それが何らかの目的集団であれば、自発的にその場を仕切ってしまう反面、他者を傷つけないような気遣いも、私以上に出来ている部分があるから。
多分、娘に味方する者も多いだろうと思ったのだ。

で、結局、相手の子たちは「いじめ」集団の構築に失敗し、昨日はその張本人が「ねぇ~、この問題わかんないんだけど。」なんつって寄ってきたそうな。
そして、それを合図としたかのように、「いじめ」案に賛同していた別の子が、「実はさぁ、あいつうざくてさあ~。」とほぼ1週間ぶりに話しかけてきたり。
気付けば、修学旅行に行く前とまったく同じような関係性に戻ったそうだ。

まぁ、めでたし、めでたし、かな。

今回の場合、「いじめる」理由は彼女の失策(ちくってしまった、ということ)ではあるが、「ちくられた」子たちのルール違反は、「いじめ」ても帳消しになるもんではない。
まして、「ちくられた」子たちは、これまでも種々多様なルール違反をまったく悪びれることなく仕出かし、学校でも問題視しちゃうくらい、ちょっと浮いた存在らしかった。
だから、仮に彼女を「いじめる」ことに賛同する者が現れたとしても、その子たちが長期間自らの「いじめ」行為を正当化できる理由は皆無に等しい。その子自身がうちの娘との間で特に何かトラブルでもない限りは。
だから大丈夫だろうと思っていたのだ。
むしろ、「いじめ」が具現化した場合には、クラスの中で既に他の子が標的になっているだろうし、今回のようなケースの場合には他のクラスでも同様のことが起きるはず。「いじめ」方も陰湿であったり、ひどく暴力的であったりするはず。
しかし、現状では、そのような、「いじめ」がエスカレートしそうな要因は見当たらず、当方の思いは幸いにも杞憂に終わった、と言える。
子ども達のモラルが勝ったのか?と思うが、娘に言わせると、モラルと言うよりバランス感覚らしい。
バランス感覚を駆使し、つまらないスケープゴートごっこを回避した、わけだ。
それはそれで怖い気もするが。

さらに加えて。
依然として「いじめてやる」と言っていた子たち自身の問題は残る。

もうすぐ中学校なんですけどね。
この先に起こることの方が不安だね。

個人面談 2

2007-11-01 | 子どもの視線・親の気持ち
http://blog.goo.ne.jp/yassakajp/e/ce231a85f11e228743b894ea988f1f76からの続き

担任教師との面談でわかったことは、ごく当たり前のことかもしれないが、担任教師は子ども達を「問題を起こした子」と「起こさない子」、あるいは「日常的に問題のある子」と「問題のない子」とに大別し、前者への指導を集中的に行うことにより、全体のレベルアップを図ろうとしている、ということ。
こういう切り分け方もどうかとは思うが、その関係性は、教師と「問題のある子」、「問題のない子」の3者が、順番は入れ替わるにせよ直線上に並んだ関係となっている。
日常的には、教師⇒指示⇒「問題のない子」⇒伝達⇒「問題のある子」。
現状は、教師⇒叱責⇒「問題のある子」⇒代償行為⇒「問題のある子」。
本来なら、これら3者が三角形であることが望ましいはず。
いや、本来明確な線引きは不可能だと思うんだが。
そこでこんな風に続けてみた。

俺:
そもそも、子ども達に対して、明確な動機付けが足りていないのではないか?
「問題のない子」というか、言われなくとも「ルールを守れる子」は、今回の修学旅行で何も得ていない。本来、なんらかのインセンティヴがあってもいい。
「ルールを守らなかった」からペナルティを、という考え方が前提のようだが、むしろ、「ルールを守った」ことによって得られる達成感を感じさせるような指導をすべきだ。
無論、先生方は褒めたりもしているとは思うが、一連の「あぶり出し」が達成感やプラスの感情を全て押し流し、むしろマイナスの感情だけにしてしまっているのではないか?
今後、児童が達成感を味わうことが出来るようなイベントなどはあるのか?

担任:
担任としては、今後の半年間で児童の意識を上げていくことが最大の目標だ。
大きなイベントは卒業式くらいだろうか。あとは日々の生活の中でやっていく。

ここでいい加減に選手交替。
カミサン:
今後のことでお願いしたいのは、何かを決める局面など、先生にいて欲しい時に、そこにいて欲しいということ。
例えば、バスの席決めの際、そこまでが精一杯だったと言うが、実際には先生はその場に立ち会っていなかったと聞いている。それで効果的な指導が出来るのだろうか?
子ども達を信頼するのは結構なことだが、子ども達が必要とするときにそこにいなければ、子ども達は先生を信頼できなくなる。
娘から話を聞く限り、これまでの半年間で、子ども達の先生に対する信頼感が揺らいでいる、と感じる。
少しずつ子ども達の心に「?」がたまっていって、今、一気に崩壊したような、そんな印象だ。

・・・。
あ~た、俺よりもキツイことをしれっと言うねぇ!
実は担任の先生も、この攻撃にはどぎまぎしてしまい、さらに歯切れが悪くなった。

担任:
そんな風に思ったことはなかった。
よく考えて、できるだけそのようにしていきたい。

カミサン:
娘の話では、座席表にしても、もっときちんと作りたかったし、他のクラスと比較して、これでは恥ずかしいと言っていた。
この件について、修学旅行の前に、先生に申し入れをしようか?と夫が言うのに対して、娘が「やめて欲しい」と言って止めた、という経過がある。
そういった気持ちを汲んで欲しい。
自分たちでやるんだ、という意識を持って望んでいる子ども達を伸ばすような指導をお願いしたい。
それから、いじめについては、娘の話では、クラスの女子の4分の3くらいが問題の2人の女子の側につく、と回答しているらしい。
もっとも、「あの子いじめるから仲間に入れ!」と言って「いじめ」を始める、というのはあまりにも幼いし、また、その子達が普段の生活でどれくらい影響力を持っているかによって、「いじめ」の中身も変わってくるだろう。
そこは注意して見ていって欲しい。

担任:
了解した。

ここでついまた俺がしゃべってしまった。

俺:
「いじめ」に関して言えば、先生の側では、「ルールを守らなかった」子ども達の間で「いじめ」がある、と想定していたのだと思うが、実はそうではない方向で「いじめ」が始まろうとしている。
大人の予想が外れたわけであり、しかもカミサンが話したように、先生に対する信頼度が低下している現状ならば、思春期の女子集団に対して、男性教諭が下手なアプローチをすることは危険だ。
まして、相手方がこれだけ幼く、社会規範等への認識がない、となると、突発的に何をするか、予想もつかない。
ここはあえて動かず、ただ、命だけは守って欲しい。

担任:
わかりました。


というところで、規定の時間を大幅に超えていたので打ち切り。
一応、言いたいことは伝えられたかな?
多分、他の家庭からもいろいろ言われてるんだろうなぁ。
我々の前に面談していた、あるお母さんは、担任が口を挟む隙間もないほどブチキレまくり、吠え立てていたし。
個人面談と言っても、あまり生産的ではない場合もあるんだなぁ。


面談の次の日(つまり昨日)のこと。
クラスで席替えがあり、娘は問題の2人とはかなり離れた席となった。
また、「ちくったとかどうだとか気にしてないし、うちはあんたの味方だから!」と言ってくれた仲のいい女子が同じ班になった!と大喜び。
他にも何人かの女子から「あたしはいじめたりしないし、そんなことあったら味方するからね」と言ってもらっているようだし、ここは一安心。
そんななか、ある女子が娘にこういってきたそうだ。
「あんたをいじめてやる、って言われてるのに、よくそんな平気な顔していられるね?」
「じゃ、どんな顔してればいいの?関係ないよ。びびったらそれこそ負けじゃん。」


さて。
お昼頃、娘は担任から会議室に呼び出された。
「あなたを『いじめ』るグループが結成されているそうだけど、それはどういうわけでそうなったんだろうか?」
「なんかあったら、すぐ先生に言うんだよ。」
と、まぁ、そんな話があったそうだ。
早速反応したようだから、いいような気もする。
でも、俺は「あえて動くな」と言ったんだがなぁ・・・なんて娘に言ったら、娘はこう言い放った。

「なんかあったら、じゃ、遅くね?」

ん。
それは正しい。
娘の心には、すでに「大人」が住み始めているようだ。

個人面談 1

2007-10-31 | 子どもの視線・親の気持ち
昨日は、小学校で担任教師と保護者の面談。
うちは以前から、極力夫婦で乗り込み、それぞれが話をするようにしている。
というのも、一応事前に夫婦で話す内容を打ち合わせては行くものの、うっかり項目が抜けてしまってはいけないし、お互い、自分の言葉で話したい部分もあるし。
それに子どもだって、男親と女親と、それぞれにしか見せない顔を持っているし。

そんなわけで、二人そろって乗り込んだ。

まず、担任教師から学習の状況、生活態度等についての説明を受ける。
なんでも、「学習意欲旺盛、責任感も強く、基本的にまじめで、信頼して何でも任せられる」んだそうな、うちの娘は。
「あいさつも、言葉遣いもしっかりしていて、高齢者施設に慰問に行かせても、全く心配がなかった。」
なんかもう、べた褒め。なんにも出ないよ~、そんなに褒めても。

「そんな風に褒めていただいても、あまりうれしくはないんですよ、私は」と、切り返すと、先生は意外そうな表情を浮かべた。
そこで、打ち合わせどおりの内容を以下のように話していった。

俺:
・・・と言うか、そんな簡単なもんじゃないよ、六年生の女の子って。
例えば先日、アフリカンのダンス・ワークに親子で参加した際、「楽しいお父さんでいいじゃな~い!こんなお父さんいないよ?」と言ってくれた講師に対し、娘は、
「そうですか?でも親は選べませんからね。」
と即答しやがった!
娘には娘の視点があって、他者のそれとは明らかに違う。
「私は私」というか、「自分」という概念を既にある程度完成させていて、その時々、話す相手によって使い分けをしている。
それが、ウチの娘が現在立っている地平。
勝手な想像だが、女の子って、みんな思春期ともなればそんなもんなんではなかろうか?
一見まじめに見えても、腹の中では冷静に相手を観察している、妙に大人びた「人間」がいる。
それが思春期の女の子なんではなかろうか?
少なくとも、ウチの夫婦の間にはそのような共通見解があり、だからこそ、夕食時とかに娘が繰り出すマシンガントークを注意深く拾っているのだ。

果たして、先生の眼には、そういった二面性というか、一個人の中の多様性が見えているのか?
いや、見えないだろう。というか、それを見ていくのは親の役目であろうし、先生にそこまで見ろ!と言うのはお門違いとも言える。
ただ、基本的な認識として、表面的な態度だけでその子の内面を理解することは難しい年代に入っている、と考えてもらいたいし、だからこそ、先生にお願いしたいのは、肝心な時にきちんとしたフォローをして欲しい、ということ。
先日の修学旅行におけるバスの座席決め、部屋割りはもちろんのこと、ルール作りにしても、採決を取る段階よりも議論の方向性をうまく導く「声掛け」こそ、先生に求められることなんではないか?
例えば、先日のバスの座席表について、ウチの娘が座った窓際の席は、当初彼女の横は反対側の窓際まで3席空席だった。
その席に座った児童は、旅行中、どういう光景を目の当たりにするのだろう?それを想像してやることこそ、子どもの目線に立って考えるということではないか?
そして、修学旅行の晩から延々と続く「ルール破り」者のあぶり出しは、そもそもルールを子ども達にきちんと納得させることが出来なかった教師サイドの失策がもたらしたものではないか?そこで言うルールとは何か?子ども達に対する意識付けはきちんとなされたのか?
結果的に、「密告」を奨励し、あぶり出しを繰り返すことで、ルールを守ったものに対するインセンティブもなく、子ども達の間には負の感情だけが重層化し、逆に「密告者探し」という状況、それに続く「密告者に対するいじめ」という局面へと移行している・・・

先生:
娘さんが、かなり大人びてきていることは理解していたつもりだが、そこまで冷静な眼をしているとは想像していなかった。
例えば、我々の頃は、修学旅行中の決められた時間以外、決められた場所以外でおやつを食べようとする場合、隠れて食べるのが当たり前だったものが、今の子達は、宿舎の廊下を歩きながら、食いかすを撒き散らしながら食べ歩く、ごみくずはそのまんま廊下に放置、なんてことは当たり前。そもそも、そういった基本的な生活習慣からして身についていない子どもが多い。今、この学校の6年生はそういうレベル。
だからこそ、今回の就学旅行については、クラスごとに話し合いを行い、「ルールを守る」「時間を守る」などの目標を定め、それを持ち寄って全体の目標として、「決められた時間、ルールを守る」と決めて、意思統一を図った。
バスの座席については、空席を作らない、助手席には座らない、というルールを設定しておいたが、そもそもルールを守れない子が多数いて、時間内にこれを作り上げるだけで精一杯だったことを理解して欲しい。
「あぶり出し」については、ワンセグ持ってきたとかそんなレベルじゃなく、夜中に嫌がる男子を女子の部屋に放り込んで逃げる、というゲームが横行し、さらには、全体集会で殴り合いを始めた男子がいたり、とにかく、幼い男子が多いため、彼らに反省を促す意味もあって、学年の担任が話し合って決めたこと。
ルールを守った子ども達が馬鹿を見る、という状況は避けるため、この方法で彼らに反省して欲しい、と考えた。
しかし、ワンセグにせよ、おやつや小遣いにせよ、親がいいと言ったから持ってきた、と開き直られては、学校としては指導のしようがない面もある。

俺:
そもそも、「ルール」とは何か?どういう項目か?その内容は学校側から提示したのか?

先生:
「ルール」とは、決められた持ち物を守る、決められた時間を守る、教師の指示に従う、班行動に際しては班長の指示に従う、など。教師からこれらを示し、それを守ることを全体の「目標」として掲げた。

俺:
その「ルール」を決める段階で、子ども達を参画させることは出来なかったのか?そもそも、何故そのような項目のルールが必要なのか、ということを子ども達が自覚することが必要なのであり、この修学旅行の意義を考えさせ、だからこそこういうルールが必要だ、というような話し合いを事前研修的に仕掛けるのが王道ではないか?最初から「レベルが低い」と切って捨てては、レベルが上がることも、ルールを守ることもあるまいに。

先生:
そんなことは、我々も考えた。しかし、現状の子ども達には無理。例え、その場で採決し、みんなでこのルールを守ろう!と言っても、必ずある特定の子ども達は「親がいいと言っているから」とルールを破る。今まで半年間、その繰り返しだった。
しかし、これから半年間で何とかしなくてはいけない、と考え、学年全員にルール違反者のイニシャルと、どのような違反をしたのか、その内容を書かせたものを全クラス・全員分を廊下に掲示している。

そう!
なんと、先日子ども達が書かされた「ルール違反者告発プリント」(http://blog.goo.ne.jp/yassakajp/e/50ca642da0ad4a65b8b2cef26eede3c4)は、全クラスにおいて廊下に全て張り出されていたのだった!
しかし、よく見ると、イニシャルまで書いているのはウチのクラスだけじゃないの?
どうなのよ、それは!

先生:
我々担任が話し合い、決めたことであり、職員会議にもかけて了承を得ている。
個人名が特定できるものはなく、やりすぎだとは思わない。むしろ、そこにイニシャルを書かれた本人、ルールを破った本人が反省する機会としてもらいたいからそうしているのであって、これが「いじめ」に結びつくとは思わない。

俺:
要するに、「見せしめ」みたいなことかと思うが、私は親として、大人として、これがいい方法だとは思わない。無論、当事者の親に対する注意喚起という意味合いも兼ねて、この時期にやったことと思うが、即刻撤去すべきだ。他の保護者から苦情は出ていないのか?
マイナスはマイナスしか生まない。
明日にも担任が集まり、再考して欲しい。
また、「いじめ」には結びつかない、というが、現実としてそれは始まっているし、しかも、ルールを守った側の人間が攻撃されている。
「いじめ」というのは非常に狡猾なものだし、はっきり言うならば、先生方が「いじめ」るターゲットの抽出方法を子ども達に伝授し、「いじめ」たくなる感情を植えつけ、結果的にウチの娘がいじめられる要因を作り、そして今、子ども達はそれを実践し始めているのだ。
そこは自覚して欲しい。
また、今、「いじめ」を始めようとしている子ども達は、以前から学校側が設定したルールを守らず、子ども達だけで遠方へ出かけたりしている子ども達。そのことは再三保護者会等でも注意喚起してきているが、一向に変化はない。それ捜しては、遊ぶ金をたかったりしている、という話も他の保護者からも聞いている。
彼らの問題は親の問題だということは、実は前年度からもわかっていたこと。
家庭に介入せず、子どもの指導だけでしつけることは不可能ではないか?
ウチの娘がいじめられるにせよ、親としてはあまり心配はしていない。
なぜなら、相手があまりにも幼いから。
ただ、傷害事件だけは起こしてくれるなよ、と思っている。

(続く)

Aの悲劇

2007-10-26 | 子どもの視線・親の気持ち
娘達の学年が、恐れていたとおりの事態になっているらしい。

修学旅行の夜、各クラスの実行委員が集められ、担任の教師達3人から「ルール違反している子ども達の名前を挙げるよう」、強要されていた。
実は、その隣で、実行委員でもなんでもない、あるいたずら小僧が先生からお説教を食らっていたため、「密告」が露見することを恐れた実行委員たちは皆一様に口を閉ざしたまま。
にもかかわらず、教師達は実行委員の子ども達に「密告」を強要し続け、その結果、Aという子どもだけが告白。残る子ども達は一旦解散後、1人ずつ呼び出され、担任とマンツーマンの状況下で「密告」を強要されていたらしい。
その後、担任教師達は、「挙げられた」子ども達を順次呼び出し、叱責していったのみならず、修学旅行終了後、最初の登校日である火曜の朝から、用紙への違反者イニシャルの記入⇒学年集会での告発強要⇒学年集会での自己申告勧奨と、3度に渡る「ルール違反者のあぶり出し」を実施した。
集会では、多数の「ルール違反者」が自己申告し、既にAの告白により「ワンセグ及び高額な現金の所持」という「ルール違反」を教師達から叱責されていた女子2人組も、全員の前で自らの非を認めた。
実は、修学旅行の夜、彼女たちは、「君達が心を入れ替えたとしても、僕は君たちを信用できない」という担任の言葉に思い悩み、どうするべきかをAに相談していたという。
まさかAが自分たちを「告発」した当の本人であろうとは微塵も考えていなかったようだ。
しかし、学年集会を経ても担任教師からの赦しもなく、また、教師達がこの一連の「あぶり出し」を通じて子ども達に何を伝えたいのか、件の実行委員たちですらわからない、という状況になったため、子ども達の間では「密告者狩り」が始まってしまった。
明くる水曜日、修学旅行の夜に実行委員が集められた際にお説教されていたいたずら小僧が「密告したのはAだ」と「告発」したため、「裏切りだ!」と感じた前述の女子2人組は「復讐のため、Aをいじめる!」と決意。
クラスの女子一人一人に「Aをいじめるから、仲間に入れ」と勧誘を始めた。
この勧誘を受けたある者曰く、「ルール違反したのはお前らであって、そもそもそれが悪いこと。だから私はAの味方だ」。またある者曰く、「そんなことをして何の意味がある?」。
そのやりとりを聞いてしまったAは、心労のあまり、帰宅後学習塾に行く予定がありながら、泥のように眠り込んでしまったそうだ。

教師達の拙い謀略によって、子ども達は今まさに社会の現実を体感している。
「正直者は馬鹿を見る」のだ。

子ども達の側に立てば、「密告」は罪。
しかし教師達にとって、これは「密告」ではなく「報告義務」。

好むと好まざるとに関わらず、「実行委員」などという、教師集団と子ども集団のツナギ役となってしまった子ども達は、このアンビバレントな集団双方から頼られ、突き上げられる。
彼らは、「実行委員」という役目をまっとうするためには、いずれの集団とも距離をとるべきだ、ということを知っているが、そう振舞うことが時としてその後の自分の生活を大きく変えてしまうものであることもよくわかっている。
結果的に彼らの行動を規定するよりどころとなるものは、彼らの良心でしかない。

しかも、現代社会は「自分さえよければ」が横行する社会。
だから、そのような軋轢について理解できる子どもはおろか、親も教師も非常に少ないようだ。

自らの良心に従い、不器用であっても正直者であろうとしたAは、あと半年間の小学校生活をどう過ごしていくのだろう?

学校はいつから夜警国家になったのか?

2007-10-24 | 子どもの視線・親の気持ち
先週の金曜~土曜の1泊で修学旅行に行ってきたうちの娘。
振り替え休日で月曜が休み、火曜日から学校へ。

朝っぱらから授業というわけにもいかなかったのか、担任の先生がおもむろにプリントを配布。
そのプリントには、
「修学旅行でルールを守らなかった人の名前(イニシャルでよし)と、その人がやったことを書きなさい。勇気を持って、正直に書くように」
と、書かれていた。

「え~!なんだよこれ~!」

毎度恒例の旅行感想文だと予想していたのに、なんじゃそれ?
クラス全員不満顔。

そりゃそうだ。
修学旅行の最中にも、やれワンセグを持ってきてたとか、東照宮の巡回ルートを逆走して他のお客さんに迷惑かけまくったとか、鳴き龍の前でかしわ手打っちゃったとか、夜中まで起きて騒いでいたとか、大なり小なりルールを破った者は先生に呼び出され、宿泊先のロビーでこってりしぼられている。
それをまた蒸し返して、なんか意味あるの?

「イニシャルでいいから!早く書きなさい!!」

書いたフリして先生に持っていった子は、
「白紙じゃダメ!半分以上埋まってないと受け付けないよ~!」
そこでしぶしぶ、てきとーにプリントを埋めて先生に渡すと、
「・・・で、この○・△って誰のこと?」

教室の前でわざわざ聞くか、そんなこと!みんなに聞こえちゃうだろ~!

昼休み、去年の担任の先生と廊下ですれ違う。
「修学旅行、どうだった?旅行の感想文書いたの?」
「楽しかったですよ~!でも、実行委員をやっていたので、いろいろ仕事があって大変だったし、クラスの中でルールを守らない子がいれば報告するように先生に言われたり・・・それに、感想文じゃなくて、ルールを守れなかった子の名前を書けって言われて・・・」
「そう・・・本当は楽しいはずなんだけどね。」
去年はあんなに嫌いだった先生なのに、今はちょっといい感じかな。

その日の午後、6年生全員が体育館に集められ、学年集会。
「この中に、修学旅行の間にルールを破った者がいる。実行委員の児童は、その子の名前を知っているね?言いなさい。」
「・・・・」
「言いたくないんだね。じゃ、ルールを破った者は正直に自分から手を上げなさい!」

先生?あたしたち、修学旅行、楽しかったんだけどな。

ぽつり、ぽつりと手が挙がる。
「あたし、ワンセグ持って行って先生に叱られました。」
「お小遣いを多く持って行って叱られました。」
「夜中に女子に部屋に遊びに行って追い返されました。」
「僕は女子の部屋に閉じ込められました。」

「お前ら、女子の部屋に何しに行ったんだ?」

「え~、愛する女性に告白しに・・・」

「ばかやろ~!」

結局、先生達は、一体何を聞きだしたかったんだろう?
さっぱりわかんないや。

修学旅行

2007-10-22 | 子どもの視線・親の気持ち
娘が修学旅行に行ってきた。
楽しみにしていた修学旅行。
どうせやるならやれることをやってやろう、と思ったのか、なぜか修学旅行の実行委員などになってしまったものだから、単純な参加者ではなく、しおりを作成したり、旅行先では児童の代表で御宿の皆さんに挨拶したり。
まぁ、せっかくの機会だからいいんだけど。
しかし、しおり作成には閉口した様子で、学校での時間内には終わらず、家に持ち帰って作業していた。
クラス全体、もしくは班長らの合議制によるバスの席順や班分け、宿の部屋割りなどの決定に、なんとな~く責任を持たされ、それら全てを表にして・・・。

と、親の目から見て、明らかにおかしかったのはバスの席順。
一応、補助席は座らない・最後列は荷物置きのために空席にする、バスレクで伝言ゲーム途中に空席を作らない、というルールだったらしいのだが、みんな自分が座りたい席を勝手に押さえていったものだから、前から数列目が横一線空白。
その2列くらい後は歩道側2列とも縦に2列連続で空席。座席表で見ると4マスがいきなり空席。
最前列はバスレクの担当が座るから、と、補助席も入れて5人が横並び。
最後列には男の子が5人横並びし、バス中央付近の補助席に堂々と座る男の子もいる。
ちなみに、ウチの娘は「実行委員だから遠慮して」希望を言わなかったために、自席がなく、仲のいい友達の後ろの席にあたる横一線空白の列にただ1人、センターライン側の窓脇の席に後から名前を書き入れたそうだ。

では他のクラスは?というと、しっかりルールを守っている。
補助席に座る子どもはいないし、バスレクの担当はその時だk前に出ればいい、という約束事になっているそうだ。
それが普通だよなぁ。

「担任の先生は何も言わなかったの?」と問いただすと、「ルールを守ろうとは言っていたけれど、時間もないからもういいやって、なんか諦めちゃってるみたい」とのこと。
ルールを守る子どもを育てるのは親の務め。
でも、ルールを守るよう導いたり、サポートしたりするのは教師にも責任があるんじゃないのかな。
抗議しようか?と娘に問うと、「ウチはいいよ、気にしてないから。ちょっと問題あるからね、ウチのクラスは」と、暗に担任に私が抗議することに対する抵抗感を示すので、なんとなく躊躇していた。
すると、出発前日、しおりを見たある親が自分の娘に席を変更するよう命じ、ウチの娘の隣に来てくれたので、淋しい思いはせずに済んだ模様。

でもねぇ。

せっかくの修学旅行に行って、バスガイドさんが「あ、紅葉がきれいですねぇ、歩道の方を見てください」なんて言った時、そっちを向いたら前方に3人分の空席があった、なんていう光景。
バスガイドさんが「車道の方もきれいですよ」と言った時、「うっわぁ~!きれいだね~!」と言っても返事が返ってこないという配置。

そういう座席配置をよしとするのか?

伝言ゲームをやろうにも、やる前から断線してる。
いいんですか、それで?

子どもの目線に立つ、ってのはそういうことじゃないのかな。

ご家庭でもドゥンドゥンバ

2007-09-25 | 子どもの視線・親の気持ち
昨夜は娘2人ともどもメタルギニー・ミカちゃんによるダンス・ワークに参加してきた。
無論私は踊らず、修行僧のようにアコンパを叩かせてもらった。
足を引っ張ってしまいかねない、あやういアコンパだったけど、勉強になるんだよ、こういうことが!メタギご一行様、ありがとうございました。

さて、娘たちの話。
実は先日、長女がこんなことを言い出した。

「ウチが今まで習ってきた、『基礎』って、実は今通ってる教室だけのオリジナルみたいなものだったんじゃないか?って思っちゃったんだよね。」

この春先、ウチの長女は、あるミュージカルのオーディションを受けたのだが(http://blog.goo.ne.jp/yassakajp/e/09330a28de1acd07e4b72151936d6a4e参照)、そこで落選してしまったことに対するショックよりも、そこで見たこと・体験したことによる一種のカルチャーショックがきっかけで、自分が習ってきたダンスの「基礎」に対して疑問を抱き始め、かつテレビ等でいわゆるヒップホップのダンスをたくさん目にして・・・この半年、自問自答を繰り返してきたらしい。
彼女なりに随分と考えたのだ。
そこで導き出した結論?が冒頭の言葉。

「このままじゃ、やばい!って思うんだよ。
少なくとも、自分が本当にやりたいのはヒップホップなんであって、単純にダンスが上手になりたいと思っているんだよね。だったら大人のクラスに移るか、他のヒップホップのスクールに移るか、って感じかなぁ。」
つまり、環境を変えたいわけね。
「今のクラスじゃウチが一番体が大きいし、小さい子がすぐ寄ってくるから、ウチが大きく動いたらかえって危ないんじゃないか?って気を遣っちゃうんだよね。最近それが一番やだ。」
なるほど。
ならば、中学生になるまでの後半年の間に、可能なかぎりワークショップや体験教室みたいなのに行ってみるかい?
「うん、行きたいなぁ!」
じゃ、アフリカンもあり?
「こないだのミカさんのダンスさぁ~、すごかったよね!」

利根リバージャムで見たメタルギニーライブ。
お客さんが入り乱れていて「なんか大騒ぎしてるだけみたい」とか言ってたくせに、ダンサー・ミカちゃんの踊りだけはしっかり見ていた模様。
そのミカちゃんのワークあるけど、行く?
「試しに行ってみてもいいかも。」
と、そこに次女乱入。
「ずる~い!ウチも行く!」
あらま、君も行くかい!

この春から新体操教室に通い始めた次女。
長女と一緒にダンスクラスに通ってくるものと思っていたダンス教室主催者の落胆をよそに、毎晩嬉々として柔軟に励み、新しいレオタードを着てはくるくる回っている。
でも、相変らず次女は次女。
母親なり姉なり、頼れるものがいればすぐにすりよっていく。
そこがかわいいんだけど、来春から長女が中学生になることを思うと、もうすぐ3年生になる次女にはぼちぼち「自分は自分!」的な強さを持って欲しい、などと思ってしまう。
そんな彼女を大人向けのダンスワークにぶち込んだら、集中力が持つのかどうか、ちょっとリスキー。でも、普段とはまた違った一面を見れるのではないか?という期待(意地悪?)がムクムク。
誰も助けちゃくれないよ?な~んて脅かしても、「行く!」と頑張る次女。
本当だね?1人でやれるんだね?
はい、決まり!お二人様ご予約~!

さて。
実は2人の娘にとって、アフリカン(ギニア・バレエ)は初めて体験するものではないが(http://blog.goo.ne.jp/yassakajp/e/3941cec269ac3c9f45f79bea343ae80f参照)、本格的なワークは初めて。2人とも見事にヘロヘロになった。
昨夜のワークでは、次女はミカちゃんの真後ろ、全体のど真ん中に放置された。
衆人環視?のもと、どれだけやれるかと思ったら、ときどきわけがわかんなくなって助けを求めるような表情は見せるものの、逃げ出したりせず、なんとか真似て動いている。
途中、トイレに行ったりしたけど、その時も、
「お父さんはジェンベ叩いてて、リズムキープする役目だってミカ先生が言ってたから、お姉ちゃんに連れて行ってもらおう。」
なんて、殊勝なことも思っていたらしい。長女の受け売りかもしれないけど。
でも、普段の新体操は一時間のレッスン。昨夜は本格的なアフリカンアンサンブルの生音付きでみっちり二時間、しかも、初対面の大人ばかりの中で、一応最後までやり遂げたんだから、凄いよ、まじで!褒めて遣わす!

一方の長女は、帰宅早々、
「普段通っているダンススクールの15倍から20倍くらい満足!」
と母親に報告すると、溶けたような笑みを浮かべてソファにへたり込んだ。
まだ体力が余っていた(回復した?)次女が、母親を前にして「こうやって、こうやってたんだよ!」と再現し始める。
次女のステップは相変らずめちゃめちゃ。
すると、長女ががばっと起き出し、「違うよぉ!」と言いながら踊りだし、2人であそこの振り付けはこうだったのああだったのと大騒ぎ。はいはい、軽く叩いてあげるから。

そして異口同音に、
「すんごく疲れたけど、楽しかったぁ~!」

確実に何か残ったんだな。
俺も満足だ。