やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

星一つ残して落つる花火かな 酒井抱一

2016年08月16日 | 俳句
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酒井抱一
星一つ残して落つる花火かな

打ちあがる度に歓声の上がる大花火。花火は日常に咲いた夢幻の実現である。(ねむりても旅の花火の胸にひらく:大野林火)ではないが、諏訪湖、河口湖、熱海など旅先の花火は記憶の中に生涯の華を飾っている。私は東京下町の生まれなので千葉の柏に晩年を送っているが隅田の花火が心に宿って離れない。その大川(隅田川)の花火が最後のクライマックスを終えて今果てた。まだあるまだあると言う期待も果てて見上げる空には星が一つ瞬いているだけ。一つ夢が終わり中天に木星がぽっつりと輝いている。〔江戸続八百韻〕:やんま記

草の実のはじけ還らぬ人多し 酒井弘司

2016年08月15日 | 俳句
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酒井弘司
草の実のはじけ還らぬ人多し

今年も8月15日がやって来た。逞しい雑草の実がはじけて夏が長けている。あの頃、東京空襲を4歳で経験した身には勝っても負けても戦争が終わった事が嬉しかった。私にとって空襲の恐怖からの解放とはそのまま母が私を負ぶって逃げ惑うパニックからの開放でもあった。南方戦線へ配置された父の訃報が届いていたのだが、本人がやがてひょっこりと帰って来て誤報と分かった。どこもかしこも混乱状態で善悪とか理屈を越えて人々はしたたかに生き残った。生き残って見ればあの顔この顔もと還らぬ者の多い事に心が重い。逞しかった母たちの記憶を携えて今日の私がある。〔出典不詳〕:やんま記

冷奴酒系正しく享け継げり  穴井太

2016年08月14日 | 俳句
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穴井 太
冷奴酒系正しく享け継げり

呑み助にとっては我が意を得たりの一句。父も呑み助だったが祖父もそうだった。愚息もきっとそうなるだろう。遺伝子は嘘をつかない。嬉しくも悲しくも酒。祝いにも不祝儀にも酒。出会っては酒、別れにも酒。ためらう告白を思い切るのも酒。茶碗叩いてど演歌を唄うにも酒である。そしてアタリメもいいが究極のつまみは「冷奴」、これに勝るものはなかろう。もっとも冬場なら<湯豆腐やいのちのはてのうすあかり:万太郎>かも知れぬが。『原郷樹林』(1991)所収。:やんま記

秋の日の白壁に沿ひ影をゆく 大野林火

2016年08月13日 | 俳句
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大野林火
秋の日の白壁に沿ひ影をゆく

長い白壁に沿って日影が出来ている。炎天下の道に片陰、当然その日影に身を守る様に寄せてゆく。だらだらと歩めばだらだらとした思いが頭を巡る。思えば遠くへ来たもんだ。これから先何処まで行くのやら、白々とした白紙の人生が待っている。秋とは言え残暑は厳しく歩み行く道は長く厳しそうだ。『名俳句1000』彩図社(2002)所載:やんま記

淋しさは秋の彼岸のみづすまし 飯田龍太

2016年08月12日 | 俳句
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飯田龍太
淋しさは秋の彼岸のみづすまし

秋の彼岸を迎える。墓には父母や先妻が眠っている。我家の墓は大利根霊園にあって春秋の彼岸には出来る限り参っている。利根川畔には名も無い小さな湖沼が点在している。佇めば水馬や水澄まし目高の群などが心和ませてくれる。バスの時間を待つ間しばし辺りを逍遥する。ふと目に着いた碑があり。誰が歌碑か<恋しくば訪ね来てみよ大利根の大祖天社の森の葉陰に>とある。淋しさと恋しさは表裏一体と知る。『名俳句1000』彩図社(2002)所載:やんま記

秋風や書かねば言葉消えやすし 野見山朱鳥

2016年08月11日 | 俳句
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野見山朱鳥
秋風や書かねば言葉消えやすし

10年日誌をつけている。ほとんど一行程度で「グランドゴルフ大会あり」とか「ことぶき会出席」といった程度の事である。心許した朋友の逝去にあたった時も「**氏逝く」といった程度である。この場合氏は師でもあって万感の思いがあったがその時の悲嘆にくれた様は書いていない。別の友人からあの時の私の狂気じみた様を語られたが泥臭い感情の生々しい発露は今ではすっかり忘れている。言葉は消えやすい。しかし時の彼方に美化された思い出は走馬燈の様に巡り続けている。朋友今も心に在り。『荊冠』(1959)所載:やんま記

あの頃へ行こう蜻蛉が水叩く 坪内稔転

2016年08月10日 | 俳句
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坪内稔転
あの頃へ行こう蜻蛉が水叩く

東京に田んぼや川があった頃、私は中川という川のほとりで育った。学校が終わると直ちに川遊びに興じた。メダカやザリガニ蜻蛉採りが寝ても覚めても心を占め夢の中を巡った。戦後の貧しさの中でみんな青空の下平等な仲間であった。一つの補虫網を破れては繕いまた繕うという連続だった。あれから何十年、今は東京とは川を隔てた千葉県の東葛地域に住んでいる。メダカや蜻蛉は豊富であるが、もう補虫網を持って駆け回るには歳を取り過ぎた。悲喜こもごもの思い出は歳とともに甘く美化されてゆく。空間だけでなく時間も遥かなものになった。無我夢中で遊んだあの頃へ帰りたい、戻れない。♪ふり返っても・もう帰らない・夏のあの日♪ 『水のかたまり』(2009)所載:やんま記

初秋の哀しみに効くおまじなひ 香田なを

2016年08月08日 | 俳句
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香田なを
初秋の哀しみに効くおまじなひ

つい七日に立秋を迎えたばかりの秋の始め。去り行く季節と迎える季節が交錯している。エネルギーに満ち溢れた夏の日が夏薊の唄とともに消えてゆく。♪~夏が過ぎ 風あざみ~ 誰のあこがれにさまよう~ 青空に残された 私の心は夏模様~♪ 様々な出会いと別れに傷ついた心が痛い。そんな時は祖母が掛けてくれた魔法のおまじないがある。「痛いの痛いのとんでゆけっ!」。これって何で良く効くんでしょうね。秋はいにしえより哀れの季節である。『つぶやく堂俳句喫茶店』(20160808)所載:やんま記

きちきちといはねばとべぬあはれなり

2016年08月06日 | 俳句
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富安風生
きちきちといはねばとべぬあはれなり

俗説で、八月の精霊祭(旧盆)の時季になると姿を見せ、精霊流しの精霊船に似ることから、この名がついたと言われる。また、オスメスの性差が非常に大きく、別の名前が付くくらい違って見えるので「天と地ほども違う」という意味の「霄壤」から、ショウジョウバッタ(霄壤バッタ)とも呼ばれる。オスは飛ぶときに「チキチキチ……」と音を出すことから「チキチキバッタ」とも呼ばれる。特にメスは捕らえやすく、後脚を揃えて持った際に身体を縦に振る動作をすることから「コメツキバッタ」(米搗バッタ)もしくは「ハタオリバッタ」(機織バッタ)という別名もある。そう言われてみると「きちきち」と鳴かずに飛んでいるのを見た記憶は無い。まさか生ある事へのうめき声ではあるまいが、哀れである。『合本・俳句歳時記』(1974)所載:やんま記

霧に擦りしマッチを白き手が囲む 安住敦

2016年08月05日 | 俳句
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安住 敦
霧に擦りしマッチを白き手が囲む

昔霧につて一文を書いた事があった。学生時代の戯れであったが、50年の時を経てその文章が甦った。当時の学友がそれを諳んじていて、思い出の一文を手書きで送ってくれたのだった。「、、、初めは足下に一筋のの霧の這うのを見たのであったがそれが次第に濃さを増し、いつの間にかあたりを覆いつくしてしまった、、、熱い夏の気にやかれ・風に身を任せ・夢を見て・目を覚ます男等・耳に這うささやきは・焦げ付いた枯葉・修羅の俺のもだえ・暑い気に染まり・雲に憧れて・昼をさまよう女等・胸に宿る影・しのびよる霧の・修羅の俺の・泣き姿、、、」。原稿用紙10頁を読み終えて暫し明りを消して追憶に浸る。目を開けてさっとマッチを擦ったとき窓に街灯が揺れて己の白い手が甦った。霧とマッチは詩になる。『まづしき饗宴』所載:やんま記

じゃんけんで負けて蛍に生まれたの

2016年08月02日 | 俳句
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池田澄子
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの

これが池田澄子のポエム(詩情)である。誰としたじゃんけんか、きっと神様としたんだなどと理屈は要らない。ああそうですかと聞くだけで良い。迂闊にも勝ってしまった小生は鬼やんまなんぞに生まれ落ちてしまった。菫程な小さき人に生まれたしとの漱石の菫願望を思い出す。澄子氏の恋は真夏の夜を飾る蛍の明滅にも似た儚い恋だったろうか。じゃんけんのグーをそっと開くと蛍が一つ飛び立った。他に<恋文の起承転結さくらんぼ><十五夜の耳かきがあア見つからぬ><冬の虹あなたを好きなひとが好き>などに着目。『池田澄子句集』(1995)所収。:やんま記