Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

大阪企業家ミュージアム

2015年07月07日 | 日記
大阪企業家ミュージアム



多くの方から投稿の催促を受けていた。「多忙につき」ということで弁解や言い訳を続けていたが本当に多忙であったので仕方がない。

ともかく、昨年10月に異動された前大阪府警本部 交通部 交通総務課のN係長と東警察署で偶然、再会し係長が在籍時の御礼を述べて帰所する際、当警察署の真ん前のビルの正面にカヌーになったストラクチャー(彫像)が張り付いているのに気がつき、受付の担当者に伺えば「大阪産業創造館、地下一階に大阪で活躍した明治以降の企業、企業家の博物館、一度行かれたらよろしい」との進言を頂戴した。
次に約束していた時間まで約40分のクリアランスもあって早速、道路を横断、地下一階にすべりこんだ。


ずばり、必見ものの博物館であった。大阪で企業した会社、偉人、企業家がなんと多いことか。改めて商都大阪の神髄を実感できる博物館だったのである。
ちょうど昼時前の時間帯であったこともあり、入場者は一人、もちろん私だけであった。そんなこともあり、ボランティアのご婦人の親切、丁寧な説明を受ける恩恵を被った。

大阪商工会議所の系列博物館だったのである。

撮影は禁止されていたのであるが、宣伝するということを言い訳に特に気に入ったブースだけ撮影させて頂いた。お許しを願いたい。
動画の出だしはサントリー、次はグリコ、その後、ハウス食品、創設期のアサヒビールと続き、最後は赤玉ポートワインのかの有名なポスターである。

入場してすぐのプロローグシアターの映画は大阪の企業家の足跡をたどっているがうまくまとめられており、再生をお願いして携帯で録音させて頂いた。
ナレーションのほんの一部ではあるが、再生したものを次にご紹介したい。皆さんも納得されるはずである。


【ナレーション】
『・・・大阪を縦横に走る河川や堀川には江戸末期184の橋が架かっていた。しかし、幕府が架けたものはそのうち、わずか12しかなく、淀屋が架けた「淀屋橋」、岡田心斎が架けた「心斎橋」などそのほとんどが商人達によって架けられたものだった。

 また、大阪の町人達は独自の高等教育機関「懐得堂」を作り、さらに文楽、歌舞伎などいきいきとした町人文化を育んだ。・・・ このように大阪は企業家精神をもった人々が十分に力を発揮し活躍できる「場』であったからこそ多くの人々が集まりその「場」が惹きつける多くの人々がまた新たな大阪を作り出していったのである。大阪の企業家精神とはそうした「場」と「人」がおりなす、まさに二重らせんのDNAかも知れない。・・・」

ちなみに、この博物館の入場料は300円である。(つづく)