後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「美しい五島列島と無人島に残るカトリック野首教会」

2024年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム
五島列島は雄大な景観、美しい浜辺など手つかずの自然がたくさん残っています。島へは長崎から飛行機で約30分、ジェットホイルでも約1時間30分で行けます。
遣唐使時代、日本で最後の寄港地となった福江島もあります。遣唐使たちは五島から唐へと命がけで海を渡りました。
島内には遣唐使や空海ゆかりの地が点在し、壱岐・対馬とともに「国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋~」として三井楽、明星院本堂、白石のともづな石が日本遺産に認定されています。
そんな五島列島へは以前に家内と旅をしました。懐かしい嘗遊の地です。

1番目の写真は遠浅の海水浴場「浜田海水浴場」です。

2番目の写真は福江島の風景です。
さて五島列島の野崎島の野首地区に住む17世帯のキリシタン信者たちが費用を工面し、1908年(明治41年)に野首教会を完成しました。
五島をはじめ長崎県で多くの教会建築を手がけた鉄川与助が作りました。
野崎島の島民は最盛期には約650人でしたが、高度経済成長期になると島民が減少し、1971年(昭和46年)に残っていた野首地区のカトリック信徒6世帯31人が島を去り、教会は無人となったのです。
そして2018年に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)になったのです。
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3番目の写真は野首教会です。(写真の出典は、http://yuru-chara.jp/prof-t53.html です。)
写真に写っている教会は現在、小値賀町の所有になり、町役場が管理しています。

4番目の写真は教会の内部です。鉄川与助の得意としたコウモリ天井が見事です。
(写真の出典は、http://chabashira.sowzow.com/juumin/19usagi/usagi_041.html です。)

5番目の写真は夕方の教会のシルエットです。
(写真の出典は、http://yumiusa217.blog133.fc2.com/blog-entry-1134.html です。)

6番目の写真は星空を背景にした教会の風景です。
(写真の出典は、http://www.asahi.com/travel/aviation/SEB201110040074.html です。)

潜伏キリシタンが多く住んでいた五島列島の島々は年々過疎化が進み明治期に建設された天主堂(カトリック教会)だけが島の守り神のように残っています。
五島列島だけでなく長崎県全域にはこのようにキリシタンが禁教令の廃止後に建てた美しい天主堂(カトリック教会)が300もあると言います。

古い荘厳な教会堂はヨーロッパに幾らでもあります。それらに比べると長崎県の教会は質素すぎます。建築芸術としてもあまり優れていません。
しかし何故、それらが「世界文化遺産」になるのでしょうか?
理由はたった一つです。江戸幕府による250年間の過酷な禁教政策と処刑にもかかわらず日本人がキリスト教を信仰したからです。ザビエルたちの宣教師を裏切らなかったからです。古い天主堂や修道院こそが日本民族の誠実さと勇気を示しているからです。だからこそ「世界文化遺産」なのです。

今日はの美しい五島列島の風景を紹介しカトリック野首教会の詳細をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

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