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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「年老いて懐かしく想う鎌倉の海とヨットのある風景」

2024年11月21日 | 写真
昔は鎌倉や葉山の海によく遊びに行ったものです。時々葉山マリーナからヨットに乗って海へ出ました。年老いて懐かしく想うのは鎌倉の海とヨットのある風景です。
そんな懐かしい風景を撮った昔の写真です。2番目の写真は鎌倉の海辺を家内が走っている光景です。


「懐かしい湘南の海の風景」

2024年11月21日 | 写真
小生の住んでいる所は海からかなり内陸に入った場所にあります。
50歳くらいから25年間、趣味にしていたヨットを随分前に止めましたが、時々、湘南の海やヨットの姿が懐かしく思い出します。
そこである時三浦半島への小さな旅をしました。
東名を横浜で出て、16号線を南下し、横横道路で三浦半島に入ります。
佐島の手前で三崎のマグロを売っていたので、三崎港まで行かないで佐島湾に入りました。地魚料理の店で昼食を食べ、佐島マリーナに寄ってヨットの美しい姿の写真を撮りました。
マリーナの中に整然と舫っている光景は良いものです。しかし漁港の沖に係留している姿も、何とも言えない風情があり美しいものです。
そんな写真をお送りたします。
なお佐島には地魚料理の専門店が3軒あり、その他に朝取れた地魚を売っている店が3軒あります。車載冷蔵庫を積んで行くと珍しい地魚が買えます。

「泳ぎが上手だった祖父と宮戸島の「みのあんつあん」の思い出」

2024年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は泳ぎが上手だった祖父と宮戸島の懐かしいおじさんのことを書いてみたいと思います。松島湾の宮戸島のことです。
母方の祖父は松島の東にある宮戸島の小学校の校長をしていました。私が生まれる前に病死したので一度も会ったことがありません。昭和の初めころのことです。情に篤い人でしたが酔うと松島から泳いで宮戸島まで帰ってきたそうです。泳ぎが上手い豪の者だったそうです。弟子たちを可愛がることで島では有名な校長だったそうです。
そんな弟子の一人に「みのあんつあん」という小父さんがいました。恩義に思って私どもを何度も島に招んでくれました。
島で泊る所は決まっています。祖父が下宿していた曹洞宗のお寺です。室浜から山を隔てた小高い場所にある質素なお寺です。祖父は本堂の客殿に寝ていたそうです。
校長をしていた室浜の小学校で一杯の酒を飲んでほろ酔いで道の無い山を越えて下宿先のお寺に帰ってきたということです。
宮戸島に行くとお寺の住職や「みのあんつあん」が祖父の話をいろいろします。ですからその島は死んでしまった祖父と会う島だったのです。
特に「みのあんつあん」は我々を大歓迎してくれました。珍しい大きなアワビや茹でたシャコを大皿に山盛りにして出してくれます。そして室浜から舟を漕ぎ出して嵯峨渓を海から見せてくれるのです。風景の写真を示します。
1番目の写真は宮戸島の室浜です。こんな美しい浜が島には4つ程ありました。「みのあんつあん」は舟を漕ぎ出して嵯峨渓を海から見せてくれるのです。私が8歳の頃から見た懐かしい風景です。
2番目の写真は宮戸島への定期船が発着する港です。当時島に行くには仙台から電車で塩釜まで行って、そこからポンポン船に乗って島へ渡ったのです。
3番目の写真は宮戸島の日本三大渓の1つ「嵯峨渓(さがけい)」です。松島とはまた違う絶景です。 
4番目の写真も嵯峨渓です。宮戸島には「嵯峨渓」の他に眺望の美しい「大高森」などがあります。 大高森の頂上からは松島湾が一望出来る有名な場所です。
宮戸島には不思議な思い出があります。泊まっているお寺の庭に夜に出てみると人魂が見えるのです。向かいの山の中腹を明るく光った人魂がユラユラと漂っているのです。そのことを住職さんに話すと、「明日はお葬式がある」と言います。そしてお葬式用の衣の準備をするのです。
また本堂の脇の客殿に寝ていると夜中に太鼓の大きな「ドンドン」という音がするのです。これも住職さんに話しました。「裏山に眠っている昔の住職さんが本堂でお経を読みながら時々太鼓を叩くのだ」と言います。そしてお前さんのお祖父さんも何度も聞いたと言います。住職さんは死者の身近にいるのです。
さて一方「みのあんつあん」は何度も仙台の私の家まで来てくれました。仙台にある魚市場の幹部をしていたのです。優しくて他人の世話をよくしていたので魚市場の幹部になったのでしょう。来るたびに大きなアワビや茹でたシャコや鯨の尾の身をいっぱい持ってきました。
この優しくて大柄な「みのあんつあん」は長生きしました。私が結婚して新妻をつれて室浜の「みのあんつあん」の家に行った1963年には元気で茹でたシャコを沢山出して歓迎してくれました。シャコを知らなかった妻はその美味しさに感動したものです。
その後、家内や子供達と共に行った時は子供達は始めて見る海の幸に驚きながら手づかみで美味しそうに食べていました。小金井の家にも海の幸をたびたび贈ってくれました。家内はお礼と手紙を送り、今も桃生郡宮戸島・・・と番地を憶えていて折に触れて大柄で優しかった彼の噂をしています。

嗚呼。「みのあんつあん」が死んでからもう何十年の月日が流れました。
しかし宮戸島や「みのあんつあん」の思い出は私の夢の中でいつまでも輝いています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)