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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「私の貧乏物語、貧乏の功罪とは?」

2024年11月11日 | 日記・エッセイ・コラム
自分が貧乏で不幸だと思いたがる人々が多いものです。そして他人の貧乏物語へ異常なほど興味を持つ人も多いのです。ですから、昔から所謂、貧乏物語はよく売れるといいます。林芙美子の貧乏物語は悲しくて美しい文学作品です。河上肇さんという経済学者は「貧乏物語」という本を出し、世の紙価を高めました。
戦後、日本中が貧乏だった時代に教育を受けました。学校の先生は毎日のように、「お金が無くて貧乏なことは恥ずかしくないのです。貧乏に負けて卑しい心になることが恥ずかしいのです」と教え込みました。
ところが、成人して女性の話を聞くと、「貧乏は恥ずかしい」とか「貧乏は嫌いです」と公言します。吃驚しました。その上、自分が貧乏であることを隠そうとします。
貧乏を恥ずかしいと思いこみ、それを隠そうとする心には感心できません。貧乏の奥にある素晴らしい生活を考えようともしないのでしょぅ。
家内はそうではありませんと言います。貧乏という言葉は、死とか病気とかネガティヴな連想をさせる言葉だから使ってはいけませんと主張します。
しかし、物事を客観的に、もっとはっきり言えば論理的に明快に書くためにはポジティウな言葉とネガティヴな言葉を対比させながら書かなくてはいけません。
差別用語は別にして、言葉そのものの功罪を考えることは文化を低下させると思います。最近の日本はそのような文化に変質しているのでしょうか?
皆様は「貧乏」という言葉は使うのはいけないとお思いでしょうか?
貧乏ということに私のちょっとした考えを書いてみました。
添付の写真は日本一貧しいと言われている山梨県丹波山村です。
写真の出典は、https://cazual.shufu.co.jp/archives/18857?open です。