後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「函館トラピスチヌ修道院」

2024年03月17日 | 写真
函館トラピスチヌ修道院の写真をお送り致します。
日本初の女子観想修道院として1898(明治31)年に創立された「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」。函館山と中心市街地を挟んで対面する高台に、ひっそりとたたずんでいます。

煉瓦の外壁、半円アーチの窓などゴシックとロマネスクの混在するデザインが印象的です。
修道女らは祈り、労働、聖なる読書を日課の3本柱に共同生活を送っています。祈りは3時半の起床から、19時45分の就寝までに7回。

毎年12月24日・25日の「クリスマス・ご降誕のミサ」、3月末~4月初めの「復活徹夜祭」、8月15日の終戦記念日の「平和の祈りの集い」には、一般参加者の募集があり、聖堂に招かれて臨席することができます。

「無宗教も仏教も神道も、そしてキリスト教も良い!」

2024年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日です。毎週、日曜日には宗教に関する簡単な記事を書いています。
私は宗教が好きです。しかし狂信的にはならないようにしています。
無宗教も良い、仏教も神道も良い、そしてキリスト教も良い。イスラム教も良い。これが私の本音です。

日本には科学的、合理的に考える人が多いので無宗教の人が半数以上いるようです。しかし人々は優しく、清潔で、住みやすい国です。ですから私は無宗教でも良いと思っています。
仏教も良いものです。特に鎌倉時代以後に出来た禅宗系の宗派が好きです。
祖父が曹洞宗のお寺の住職をしていたので、幼少のころから観音経や般若心経を唱えていました。本堂の祭壇の裏ではよく遊んだものです。
神道もなじみ深いものです。当時住んでいた仙台市の山の上の愛宕神社へは元朝参りによく行きました。そして広と々した境内は子供の頃の遊び場でした。
そしてキリスト教も良いものです。中年になってからカトリックの洗礼を受けました。家内も一緒に受けました。それ以来50年くらい、毎週、日曜日は家内とミサに行きます。

カトリックになってから仏教や神道のこと、そして全ての宗教のことが理解できるようになりました。愚かな私は、すべての物事を比較して考えないと理解出来ないのです。
例えば仏教とキリスト教は世界宗教という点で共通しています。神道は道教やヒンズー教と同じように一つの民族だけの「民族宗教」です。
世界宗教とはどんな国の人々にも国籍に関係なく納得出来る教えが中心になっています。仏教の教えの、「この世ははかない。栄枯盛衰は世のならい」という教えは全ての人類に共感される教えです。これと同じ教えがカトリックにもあります。
仏教には神が出て来ません。しかし、お釈迦さまを神のように尊敬すれば良いのです。そういう信仰も人それぞれで良いと思います。
ついでに説明すればユダヤ教徒だったイエス様が、この民族宗教を根底から変革して国籍に関係なく全ての人々が納得するような教えに変えたのです。
新約聖書によく登場するサマリヤ人とは全ての外国人を意味すると考えると、いかにイエス様が外国人を大切にし、愛したかがご理解出来ると思います。
下にこの記事の挿絵代わりに北海道のトラピスト修道院の写真を示します。
修道院は東南アジアに普及している小乗仏教の僧院と比較すると似ています。
こんなことを考えると宗教の違いによる対立や戦争が如何にバカバカしいものかが実感できます。ですからこそ狂信がいけないのです。絶対に狂信的になってはいけないのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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添付した写真は北海道のトラピスト修道院を2012年に撮ったものです。
詳しくは、「北海道の生活の厳しさと雄大な自然(1)トラピスト修道院の自給自足の厳しさ」(2012年06月21日 掲載記事)ご覧ください。
抜粋をお送りします。
・・・この寒冷の地に戒律が厳しい自給自足の修道院を作った人がいたのです。フランスの戒律の厳しいことで有名な厳律シトー派の流れを汲むトラピスト派の数人の修道士が1896年、明治29年に津軽海峡を見降ろす丘の上に来ました。石ころの多い熊笹の原野や深い森を切り開いて乳牛の放牧場を作り、レンガ造りの建物を建設したのです。
場所は函館の西、30Kmほどの所にある渡島当別駅のそばです。不便な所なので観光客の少ない深閑とした林の中に修道院本館と大きな牛舎が高い塀の中に見えます。その外は一面に牧草が生えた放牧場です。今回は車だったので、函館に泊った4日間に4回も訪問しました。修道院というものに心が惹かれたのです。周囲の景観も素晴らしかったのです。
この修道院はローマ法王傘下のカトリック組織の一部ですが、戒律が厳しい事で有名です。修道士は一生の間、修道院敷地から出ません。早朝から夜まで、祈りと牧畜の労働だけで過ごします。
生産される乳製品の一部を外部へ売り、衣服や光熱費をねん出します。その製品はトラピスト・バターやトラピスト・クッキーとして現在でこそ有名ですが、昔は苦しい生活が続いたそうです。現在の修道士は外国人も居ますが、殆ど日本人男性です。
修道院の見学は女性禁止で、男子のみ往復ハガキで申請すれば可能です。・・・

1番目の写真はは修道院の牧草地から見降ろした津軽海峡です。

2番目の写真は修道院の遠景です。
正面入り口までは坂を登って一般の人も行けます。小さなレンガ造りの建物が開放されていて修道院の歴史や厳しい牧畜の様子の写真が展示してあります。

3番目の写真は修道院の裏にある牧舎です。
修道院の高い塀に沿って裏の方へ回ると古い木造の牛舎が数個あります。大きな扉を開くと乳牛が外に広がる牧草地へそのまま出て行けるような配置になっています。

4番目の写真は駐車場から修道院正面の入り口まで続く杉並木です。杉並木の終わりは正面入り口まで登坂になっています。


「カトリック関口教会の四旬節第5主日のミサの動画配信」

2024年03月17日 | 日記
今日のカトリック関口教会の四旬節第5主日ミサの動画配信です。

四旬節第5主日ミサ、
 https://www.youtube.com/watch?v=S5p3VTYjhjA

カトリック東京カテドラル関口教会 主任司祭:天本昭好
関口教会は1900年に正式に小教区として設立されました。1918年に大司教館が移転し、1920年に築地教会から関口教会に東京の司教座聖堂(カテドラル)が変更となり現在に至ります。
戦後、ドイツ・ケルン教区の多大な支援により1964年12月8日には、丹下健三氏の設計による東京カテドラル聖マリア大聖堂が献堂されました。