後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

茫々50年、あのアメリカ人たちは何処へ消えたのでしょうか・・・一朝邯鄲の夢

2013年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

1961年に私どもはオハイオ州のコロンバス市で結婚しました。

その時、親身になってお世話をしてくれた大学の先生たち、そしてアメリカの友たち、みんな消えてしまいました。

茫々50年です。その思い出は一朝邯鄲の夢の一場面だったのです。

しかし間もな?会一処で、あの世で会えるのです。

われわれ人間の本当の家は天国なのです。わたしも其処へ帰る日がまもなくやって来ます。

昔、お世話になったアメリカ人たちへ感謝するために50年前の写真を掲載します。

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上の写真はオハイオ州立大学の学生会館のオハイオ・ユニオンの礼拝室での結婚式に出席してくれた先生方と同級生の友人たちです。

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左の2人は司式してくれた牧師さんです。中央は代父役をしてくれたケン・ローリイで右端はその奥さんのゲイルです。この2人は我々の送り迎えをしてくれ、家にも招待してくれました。

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上は結婚式に続いてダウンタウンにあるディッシュラー・ヒルトン・ホテルで開いたレセプション風景です。

右端が私の恩師のセント・ピエール教授でその左が物理を教えてくれたラドルフ・スパイサー教授です。セント・ピエール教授夫妻がホスト役をしてくれました。

結婚式の案内状は奥さんのボビーの呼びかけで代母のゲイルが手書きで書いて送ってくれたのです。家内は奥さん達にウエディングシャワーおをして貰い、新生活に必要な品々を沢山頂きました。(翌年長女が産まれる前にもベイビイシャワーをしてもらいました)

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上の写真の左端は結婚式を司式してくれたマックリーン牧師で、中央が金属工学科の主任のフォンタナ教授です。右端は一生お付き合いをした故ジョージ・オートンさんです。

以下、詳細は省略しますが関連の写真を示します。

003200950062

00230511215111

1960年から1962年までのPh.Dコースでは戦場のような激しい勉強が続きました。

セント・ピエール教授、フォンタナ教授、ラドルフ・スパイサー教授、ゴードン・パウエル教授、スプレットネク教授の講義は厳しくて、それについて行くためには同級生からノートを見せてもらったり毎週行われる試験の予想問題を丁寧に教えてもらったのです。

激しく攻めるのが5人の教授で、隊列を組んで防戦するのが14、5人の同級生です。同級生は戦友ののような感じでした。

その中でジム・バテル夫妻ととジョージ・オートン夫妻とは生涯の友人としてお付き合いをしました。ジムはまだ健在で、アラスカ州に釣りを楽しみながら悠々自適です。ジョージは数年前に亡くなりましいた。

恩師のセント・ピエール教授には生涯お世話になり、私が54歳の時、オハイオ州立大学の客員教授として2年間招んでくれました。その折りにゴードン・パウエル教授夫妻には家に招んでくれましたが他の先生方は皆他の大学に行ってしまっていました。

同級生とも一別以来会っていません。皆ちりじりになってしまいました。

ジェリー・ワースだけがアメリカの鉄鋼会社から出張で日本に来たとき家に招んで一緒に高尾山へ登りました。

人生は夢のようにはかないものです。最近、高齢のせいかよくそんな感じがします。

アメリカという遠い異国でお世話になった方々を思い出して、感謝しています。

1961年に私どもはオハイオ州のコロンバス市で結婚しました。

その時、親身になってお世話をしてくれた大学の先生たち、そしてアメリカの友たち、みんな消えてしまいました。

茫々50年です。その思い出は一朝邯鄲の夢の一場面だったのです。

しかし間もな?会一処で、あの世で会えるのです。

われわれ人間の本当の家は天国なのです。わたしも其処へ帰る日がまもなくやって来ます。

昔、お世話になったアメリカ人たちへ感謝するために50年前の写真を掲載します。

0044

上の写真はオハイオ州立大学の学生会館のオハイオ・ユニオンの礼拝室での結婚式に出席してくれた先生方と同級生の友人たちです。

0012

左の2人は司式してくれた牧師さんです。中央は代父役をしてくれたケン・ローリイで右端はその奥さんのゲイルです。この2人は我々の送り迎えをしてくれ、家にも招待してくれました。

008_21

上は結婚式に続いてダウンタウンにあるディッシュラー・ヒルトン・ホテルで開いたレセプション風景です。

右端が私の恩師のセント・ピエール教授でその左が物理を教えてくれたラドルフ・スパイサー教授です。セント・ピエール教授夫妻がホスト役をしてくれました。

結婚式の案内状は奥さんのボビーの呼びかけで代母のゲイルが手書きで書いて送ってくれたのです。家内は奥さん達にウエディングシャワーおをして貰い、新生活に必要な品々を沢山頂きました。(翌年長女が産まれる前にもベイビイシャワーをしてもらいました)

0076

上の写真の左端は結婚式を司式してくれたマックリーン牧師で、中央が金属工学科の主任のフォンタナ教授です。右端は一生お付き合いをした故ジョージ・オートンさんです。

以下、詳細は省略しますが関連の写真を示します。

003200950062

00230511215111

1960年から1962年までのPh.Dコースでは戦場のような激しい勉強が続きました。

セント・ピエール教授、フォンタナ教授、ラドルフ・スパイサー教授、ゴードン・パウエル教授、スプレットネク教授の講義は厳しくて、それについて行くためには同級生からノートを見せてもらったり毎週行われる試験の予想問題を丁寧に教えてもらったのです。

激しく攻めるのが5人の教授で、隊列を組んで防戦するのが14、5人の同級生です。同級生は戦友ののような感じでした。

その中でジム・バテル夫妻ととジョージ・オートン夫妻とは生涯の友人としてお付き合いをしました。ジムはまだ健在で、アラスカ州に釣りを楽しみながら悠々自適です。ジョージは数年前に亡くなりましいた。

恩師のセント・ピエール教授には生涯お世話になり、私が54歳の時、オハイオ州立大学の客員教授として2年間招んでくれました。その折りにゴードン・パウエル教授夫妻には家に招んでくれましたが他の先生方は皆他の大学に行ってしまっていました。

同級生とも一別以来会っていません。皆ちりじりになってしまいました。

ジェリー・ワースだけがアメリカの鉄鋼会社から出張で日本に来たとき家に招んで一緒に高尾山へ登りました。

人生は夢のようにはかないものです。最近、高齢のせいかよくそんな感じがします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)


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