後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「自然のままの武蔵野公園をご紹介いたします」

2021年11月05日 | 写真
小金井市には2つの大きな都立公園があります。北の小金井公園と南の武蔵野公園です。武蔵野公園はあまり人の手を加えず自然のままの武蔵野の草原と雑木林が広がっています。

秋の陽射しが輝いている晴天なので先程行って参りました。

自然のままの武蔵野の草原と雑木林の写真をお楽しみ頂れば嬉しく存じます。




「江戸時代の風景を求めて、玉川上水と羽村の堰の界隈」

2021年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム
玉川上水は多摩川上流の羽村の堰から取水し四ツ谷まで43Kmの用水路です。江戸初期の8ケ月の工期で1653年に完成しました。
その羽村の堰のそばの多摩川や玉川上水は江戸時代そのままの風景を残しています。江戸時代創業の酒蔵もあります。
昨日はそんな江戸時代の風景を求めて玉川上水沿いの五日市街道をさかのぼって写真を撮って来ました。
羽村の堰から見た多摩川上流の写真2枚、羽村の堰の写真1枚、玉川上水の写真2枚、文政5年(1822年)創業の田村酒造の写真2枚を撮って来ました。
それでは以下に写真をお送り致します。







玉川上水の羽村の堰の傍には江戸幕府から委託され、工事を完成させた玉川兄弟の銅像が立っています。
現在も三鷹市までの玉川上水はよく手入れされ大きな樹々が繁っています。江戸時代の自然がそのまま残っているのです。
玉川庄右衛門と清右衛門の兄弟の努力と献身の結果出来上がった上水路なのです。
羽村から四谷までの43Kmの高低差が100メートルしかなかったこともあり、引水工事は困難を極めたのです。
しかし承応2年(1653年)11月に玉川上水はついに完成されたのです。
それにしても高低差がたった100メートルしか無いのに43000メートルも水を流す土木工事は現在でも容易なことではありません。
そして玉川上水は立川、小平、小金井、など各地で分水され江戸の西の農村を潤したのです。
現在でも平林寺への野止め用水はよく保全され美しい緑地帯になっております。

江戸幕府の土木遺産が現在も人々を楽しめているのです。感慨深いものです。
昨日はそんなことを考えながら写真を撮って来ました。写真を撮ったのはいつものように家内です。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)