後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「青春の冒険、アメリカへの留学」

2024年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム
若い時はいろいろな冒険をしたくなります。それが青春と言うものなのでしょう.
そんな青春の冒険を書いてみようと思います。アメリカへの留学の冒険です。あの頃は若かった。怖いもの知らずだった。でも貧しく生活は苦しかった。そんな話です。
フルブライト留学生として1960年から1962年までオハイオ州立大学の金属工学科に留学しました。24歳の時太平洋を渡りました。茫々あれから64年です。遥かなオハイオは時々思い出します。私のアメリカはオハイオ州コロンバスの思い出です。アメリカ人はいつも私を励ましてくれ、好意溢れる支援を惜しみなく与えてくれました。そしてもう一つの忘れ得ぬ経験は、指導教官のセント・ピエール教授夫妻が我々の結婚式の仲人をしてくれたことです。私は 妻を日本から呼び寄せ、オハイオ州のコロンバスで結婚式を挙げたのです。1961年のことでした。
アメリカ人の親切さは留学した大学の人だけでなかったのです。見ず知らずの人も困っている私共を助けてくれたのです。

1番目の写真はオハイオ・キャバーンという鍾乳洞の入り口です。右の建物の中のエレベーターで降りると巨大な鍾乳洞がありました。
そこへ生後6か月の長女を家内が抱いて行った帰り道で車が故障しました。周囲はぼうぼうたるトウモロコシ畑です。人っ子一人いません。すっかり途方にくれていたら一台の車が通りがかったのです。ここでオハイオ州の田舎に似た風景写真を2枚示します。ネットで「アメリカの風景写真」を検索してお借りした写真です。

2番目の写真はオハイオ・キャバーンという鍾乳洞へ行く道によく似た風景です。

3番目の写真もオハイオ・キャバーンという鍾乳洞へ行くに途中の脳村によく似た風景です。

4番目の写真はトウモロコシ畑の収穫後の風景です。
写真のような茫漠たる大地で途方にくれていたら一台の車が通りがかったのです。運転していた若い男が下りてきます。私の車のボンネットを開け、これは重症だと言います。そしてロープで私の車をかなり遠方の町の修理屋まで引っ張って行ってくれたのです。
このようなことは数回経験しました。こんな体験をすると何時までもアメリカ人への感謝の気持ちが残るのです。アメリカのことは全て好意的に見てしまうのです。私の良い偏見です。

アメリカ留学は青春の冒険でした。あの頃は若かった。怖いもの知らずだった。しかし貧しくて生活は苦しかったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

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