毎週、日曜日はカトリック小金井教会のミサの風景写真をお送りしています。
今日も何時ものようにお送りします。
カトリックの教会では他の教会や修道院から神父さまを招いてミサの司式と説教をして貰います。毎週ではありませんが10回のミサがあれば5,6回は招いた神父さまが務めてくれます。何時もの主任司祭と違った新鮮な感性で指導してくれます。
今日は初めて来てくれたレミ神父さまがミサの司式と説教をしてくれました。今日示した写真に写っている白い鬚の神父さまです。
2つのことで感動しました。
(1)レミ神父さまは素朴で俗っぽくないのです。
純粋な人柄が集まった小金井の信者へ感銘を与えたのです。
カトリック教会には住み込んで信者の世話をする主任司祭さんがいます。信者の結婚式やお葬式の世話などどうしても俗世間の世話をしければなりません。ですから主任司祭は少し俗にそまるのです。
ところが修道院や宣教会からの神父さまは全然俗っぽくないのです。そのような神父さんやシスター達は一般の信者の信仰心を強めてくれるのです。
今日のレミ神父さまはまさしくそのような方でした。
(2)レミ神父さまはキリスト教は愛の宗教だと実感させてくれたのです。
私どもは神の愛を実感するためにミサに行くのです。
そしてミサを司式している神父さまの愛を感じて神の愛を確信するのです。
レミ神父さまは初めて会った小金井の信者一人一人を強く愛してくれたのです。愛は感じるもので説明するものではありません。
レミ神父さまは信者に向かって「愛しています」と決して言いませんでした。その代わり神父は信者を祝福し、良い事があるように祈ります。信者も神父を祝福し、良い事があるように祈って下さいと言ったのです。
そして親子も夫婦もお互いを祝福し、良い事があるように祈りなさいと言うのです。お互いを大切に思いなさいという意味です。
お互いを祝福し、良い事があるように祈り大切に思うことは愛し合いなさいという意味です。
レミ神父さまは日本人が「愛」という言葉をあまり好きでないことを知っているのです。「愛」の代わりに「大切にする」という意味に置き変えたのです。
そして今日イエスさまが天に上ったように私共も一緒に天に昇る日が来るのですと説教しました。
長くなるので結論だけ書きます。
「レミ神父さまは初対面の信者に神の愛を実感させる人間です」
我々もレミ神父さまを愛します。
ちょっと今日のミサの感想を書きました。
===参考事情========================
聖ペトロ・パウロ労働宣教会、http://www.mopp.sakura.ne.jp/custom3.html
レミ・オード (Rémi AUDE) 神父
わたしは,1948年3月にフランスのトロワで生まれました。ソルボンヌで近代・古典文学を学んだ後,1970年に MOPP に入りました。トゥルーズの共同体で10年間暮らしたのち,1983年に日本に派遣されました。
わたしは電気技術者として,電気製品の組立てをしている会社で働いていましたが,定年退職しました.
わたしの福音宣教者としての活動は,特に,典礼を活性化すること,そして,いくつかの祈りのグループを指導することです。
小教区の求めに応じて,聖書朗読者を養成したり、新しい典礼聖歌を教えたりしています.
また,生け花の先生の協力を得て,神の御ことばを生け花で表現することもしています。
毎月第二土曜日の午後、教会で友達と一緒に歌の練習をした後、夕の祈りをします。
わたしの趣味は、弓道です。
今日も何時ものようにお送りします。
カトリックの教会では他の教会や修道院から神父さまを招いてミサの司式と説教をして貰います。毎週ではありませんが10回のミサがあれば5,6回は招いた神父さまが務めてくれます。何時もの主任司祭と違った新鮮な感性で指導してくれます。
今日は初めて来てくれたレミ神父さまがミサの司式と説教をしてくれました。今日示した写真に写っている白い鬚の神父さまです。
2つのことで感動しました。
(1)レミ神父さまは素朴で俗っぽくないのです。
純粋な人柄が集まった小金井の信者へ感銘を与えたのです。
カトリック教会には住み込んで信者の世話をする主任司祭さんがいます。信者の結婚式やお葬式の世話などどうしても俗世間の世話をしければなりません。ですから主任司祭は少し俗にそまるのです。
ところが修道院や宣教会からの神父さまは全然俗っぽくないのです。そのような神父さんやシスター達は一般の信者の信仰心を強めてくれるのです。
今日のレミ神父さまはまさしくそのような方でした。
(2)レミ神父さまはキリスト教は愛の宗教だと実感させてくれたのです。
私どもは神の愛を実感するためにミサに行くのです。
そしてミサを司式している神父さまの愛を感じて神の愛を確信するのです。
レミ神父さまは初めて会った小金井の信者一人一人を強く愛してくれたのです。愛は感じるもので説明するものではありません。
レミ神父さまは信者に向かって「愛しています」と決して言いませんでした。その代わり神父は信者を祝福し、良い事があるように祈ります。信者も神父を祝福し、良い事があるように祈って下さいと言ったのです。
そして親子も夫婦もお互いを祝福し、良い事があるように祈りなさいと言うのです。お互いを大切に思いなさいという意味です。
お互いを祝福し、良い事があるように祈り大切に思うことは愛し合いなさいという意味です。
レミ神父さまは日本人が「愛」という言葉をあまり好きでないことを知っているのです。「愛」の代わりに「大切にする」という意味に置き変えたのです。
そして今日イエスさまが天に上ったように私共も一緒に天に昇る日が来るのですと説教しました。
長くなるので結論だけ書きます。
「レミ神父さまは初対面の信者に神の愛を実感させる人間です」
我々もレミ神父さまを愛します。
ちょっと今日のミサの感想を書きました。
===参考事情========================
聖ペトロ・パウロ労働宣教会、http://www.mopp.sakura.ne.jp/custom3.html
レミ・オード (Rémi AUDE) 神父
わたしは,1948年3月にフランスのトロワで生まれました。ソルボンヌで近代・古典文学を学んだ後,1970年に MOPP に入りました。トゥルーズの共同体で10年間暮らしたのち,1983年に日本に派遣されました。
わたしは電気技術者として,電気製品の組立てをしている会社で働いていましたが,定年退職しました.
わたしの福音宣教者としての活動は,特に,典礼を活性化すること,そして,いくつかの祈りのグループを指導することです。
小教区の求めに応じて,聖書朗読者を養成したり、新しい典礼聖歌を教えたりしています.
また,生け花の先生の協力を得て,神の御ことばを生け花で表現することもしています。
毎月第二土曜日の午後、教会で友達と一緒に歌の練習をした後、夕の祈りをします。
わたしの趣味は、弓道です。