後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日の三位一体の主日のミサ風景

2019年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム
世界のカトリック信者は13億人余で日本では44万人余です。
日本国内には969のカトリック教会があり765の修道院があります。その全てが同じ三位一体の主日のミサを行っています。
写真にカトリック小金井教会のミサ風景をお送りします。









三位一体とは神様とイエス様と聖霊が混然一体になっていることです。
混然一体とはどういう事なのでしょうか?
誰も言葉では明快に説明出来ません。こういう宗教上の奥の教えは仏教では不立文字と言って文字では説明できないと言っています。
しかし神様とイエス様と聖霊が一体になっていると感じることは出来ます。
そのカギは聖霊にあります。
私が2019年06月09日 に掲載した、「聖霊って何ですか?」をお読み頂けたら嬉しく思います。
カトリックでは神と子と聖霊の3位を信じます。
聖霊とは誰も明快に説明出来ません。感じて信じるのです。
ついでに2019年06月02日 に掲載した、「キリスト教は愛の宗教だと実感した今日のミサ」という題の記事をご覧頂けたら聖霊の存在を感じて頂けると思います。
私は聖霊とは神様が人間に送ってくれる「善い働きをする霊」だと感じています。
このように駄文を書いて皆様へ送っているのは私に宿った聖霊の働きのお陰だと感じています。
人間が善い事が出来るのはその陰には聖霊の後押し、後援があるからだと私は感じています。
キリスト教は愛の宗教だと実感出来たらそれも聖霊の後押しで感じることが出来たのです。

以上のことをご理解下さいとお願いしません。ご一読して何か良い感じを受けられたらあなたは幸いです。

葉が花びらの役目の ハンゲショウ(半夏生、半化粧)

2019年06月16日 | 写真
昨日調布市の京王フローラル・ガーデンへ行きました。バラ、アジサイ、スモークツリーなどなど写真をたくさん撮りました。
帰りがけに家内が細い流れのほとりにかがんで、しきりに写しています。戻って来て、ハンゲショウが撮れたと嬉しそうにしています。
私はピンとこなかったのですが、帰宅して写真を見て面白い植物だと思いました。
ご存知とは思いますが、ご紹介します。 
ハンゲショウは高さ50~100cmほどに成長し、葉は互生、長さ5~15cmほど、卵形で、基部がハート形の細長い形状です。
夏至を過ぎた頃に長さ10~15cmほどの穂状花びらを葉の付けねにつけます。また、花のすぐ下の葉の表面が白く変化し花びらの役目を果たすのが特徴です。
葉が花びらの役目をする 珍しい植物です。
日本の本州以南、朝鮮半島、中国、フィリピンなど東アジアの亜熱帯性湿地に分布し、日の当たる湿地などにて太い地下茎で分布を広げて群生しています。
日本では、生育に適した土地が減少し、自生株は近年減少傾向にあり、地域によっては絶滅が懸念されているようです。
名前の由来が興味深いのです。
半夏生とは夏至から11日目の7月2日頃のことです。その頃に花を咲かせるので半夏生と言います。
また葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」という別名もあります。
また、葉の表面だけが白くなることから古くはカタシログサ(片白草)とも呼ばれていたそうです。
昨日、京王フローラル・ガーデンで撮ったハンゲショウの2枚の写真とhttps://ja.wikipedia.org/wiki/半夏生 からお借りした写真を3番目に付けました。





明治維新直後に奔流のように流れ込んだキリスト教諸派

2019年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム
明治維新によって西洋の宗教が日本に奔流のように流れ込みました。そして当時の学生たちはキリスト教をこぞって受け入れたのです。
札幌の農学校や熊本の洋学校などの新しい学校にはプロテスタントの宣教師が招聘されていたのです。
その結果、明治初期の学生たちはキリスト教に従うとい誓約を集団的に宣言し、各地にこの集団組織が出来ました。この集団を「バンド」と呼びます。
札幌バンド(メソジスト)と横浜バンド(長老派)と熊本バンド(会衆派)は明治初期の三大バンドと言い、その後の日本のプロテスタント系の教会やミッションスクールの発展のもとになったのです。

そこで今日は明治維直後に出来た「バンド」について概観したいと思います。
まず内村鑑三や新渡戸稲造などを輩出した札幌バンドを見てみましょう。
札幌バンドは、日本のプロテスタントの発祥地の1つと言われています。札幌バンドの中の内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾を中心とする青年の活躍は注目され、横浜バンド、熊本バンドと並んで日本のプロテスタント発祥の3基点の1つに数えられてます。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89 より抜粋)
ウィリアム・スミス・クラークの感化でキリスト教信者になり、「イエスを信ずる者の契約」に署名をした札幌農学校の学生集団は札幌バンドと呼ばれているのです。
ことに注目されるのは、適当な機会がくれば、信仰の諮問を受けた上で受洗し、「或る福音主義の教会に加入すべきこと」を誓約しました。そして青年達は、1878年(明治11年)、メソジスト派の宣教師M.C.ハリスから洗礼を受けました。
1882年(明治15年)、札幌バンドのメンバーは「札幌独立基督教会」を設立してその教会員になります。
しかし、その後、宣教師との関係の悪化により、メソジスト派との関係を絶つことになるのです。後に、新渡戸稲造はクエーカー派の信徒になり、内村鑑三は無教会を創始するのです。

一方、熊本バンドは、1876年(明治9年)1月30日に熊本県熊本市の花岡山で、熊本洋学校の生徒34名が、米国人教師L.L.ジェーンズの影響を受けて、自主的に奉教趣意書に署名してプロテスタント・キリスト教に改宗し出来上がりました。この盟約を交わした集団を熊本バンドと言います。しかしその直後に、熊本洋学校は閉校になり、その後、熊本の学生達は新島襄の同志社英学校に移り、卒業後は同志社大学、日本組合基督教会の重鎮になり基礎を築いたのです。

横浜バンドは1872年にアメリカ長老派教会のジェームス・カーティス・ヘボン夫妻と1859年11月にアメリカ・オランダ改革派教会のサミュエル・ロビンス・ブラウンを中心につくられました。日本初のプロテスタントの教会を日本基督公会といい、この集まりは横浜バンドと呼ばれるようになったのです。
そしてヘボンはヘボン式ローマ字を作り、さらに明治学院を創立したのです。

明治初期のバンドは日本各地に出来、プロテスタント教会が日本の学生社会を風靡したのです。
各地のバンドは日本各地にプロテスタント系のミッション・スクールを開設して日本の教育に大きな貢献をしたのです。
例えば私の郷里の仙台市には宮城学院や東北学院があります。
宮城学院は押川方義が創設したキリスト教(プロテスタント、福音主義:日本基督教団)系の学校で、1886年9月に創立されています。
アメリカ合衆国の改革派教会宣教師W.E.ホーイと押川方義をはじめとする日本人キリスト者たちによって、初めは「宮城女学校」が創立され初代校長にエリザベス・R・プールボーが就任しました。
女性の高等教育機関がほとんどなかった当時の仙台市で宮城女学校はキリスト教に基づく女子の高等教育を行う学校として注目を集めたのです。現在この宮城学院には幼稚園から大学まであり発展しています。

明治初期に出来た各地のバンドや聖公会やカトリックは日本の教育界に大きな寄与をしてきました。
しかし洗礼を受ける人はごく少なく、日本のキリスト教信者は総人口の3%を越えることはありません。
これも西洋の文化と日本社会の融合のありかたの一つとして興味深い独特の文化的風景と静かに眺めています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人) 

1番目の写真は札幌農学校の札幌バンドの青年たちです。

2番目の写真は札幌バンドの内村、新渡戸、広井、伊藤、大島です。

3番目の写真は日本組合基督教会の熊本バンド出身者です。