私はソーメンが好きで一生懸命たべます。家内が何故そんなにお好きなのですかと不思議がります。ソーメンが好きなので揖保の糸そうめんは勿論、三輪ソーメン、小豆島ソーメン、氷見ソーメン、などなどいろいろ買ってきて食べています。ですから九州にはド・ロさまそうめんがあることを以前から知っていました。しかしそのそうめんが作られたのは明治時代の話なので、ド・ロさまそうめんは消えて無くなっていると思っていました。
2015年の4月10日から2泊3日の旅で、五島列島を訪問しました。その折にド・ロさまそうめんを現在でも製造している会社があるということを知りました。
その会社とは、長崎の株式会社サンフリード、http://www.sunflead.co.jp/ でございます。

1番目の写真にド・ロさまそうめんの写真を示します。
このそうめんは明治時代にカトリックの神父のド・ロさまによって作り始められたのです。
ド・ロさまは、明治12年(1879年)に現在の長崎市の旧黒崎村出津の里に赴任したフランス人宣教師のマルク・マリー・ド・ロ神父(1840~1914)のことです。
彼は、村人たちの暮らしが、あまりにも貧しいのに驚き、村人の生活の向上のために布教活動のかたわら障害者の為の授産所や救助院を設けます。その上、故国、フランスから小麦粉を取り寄せ、フランスに残してあった私財を投じてパン、マカロニ、ソーメン作りの工場を建て製造技術を教えました。
ド・ロさまは72歳で亡くなるまでの42年間、故郷のフランスに一度も帰りませんでした。終生、長崎の貧しい人々に優しく接したのです。信者でない人々へも等しく支援したのです。
ですから長崎の人々は今でもド・ロさまの話を言い伝え、感謝しているのです。決っしてド・ロ神父さまとは呼ばずに親しみを込めてド・ロ・さまと呼びます。
私はソーメンを食べる度に、ド・ロそうめんのことを思い出します。
話は飛びますが私の祖父は兵庫県の山郷にある曹洞宗のお寺の住職でした。
毎年、夏になると一家でこの祖父のお寺に帰省したものです。戦前、戦後の頃でした。このお寺で最高のご馳走はソーメンでした。
揖保の糸でした。祖母が大量のそうめんを茹でて大きな器に冷たい水をはり、そうめんを漬けて出すのです。祖父、祖母、そして私たちの一家5人がその器を囲んで座り、めいめいが箸でそうめんを掬いガラスのコップの中のカツブシ味のツユに漬けて食べるのです。
食べられるだけ食べてよいのです。その美味しさが私のそうめん好きの原因になったのです。
そのような事情があったのでド・ロさまそうめんには強い興味をもっていました。
そしてそれを作り出したド・ロさまにも興味がありました。
調べるとド・ロ神父さまの活躍の詳細や彼の記念館のことがネット上に非常に沢山あります。「ド・ロ神父」で検索すると出てきます。
詳しい情報は一切省略して一言で彼の行動を表します。「信者であるなしに関係なく苦しむ人々の味方になって助けたのです。徹底的に助けたのです。精魂を込めて助けたのです。」
九州の人々とフランス人のド・ロさまの絆の強さを想うと不思議でなりません。そしてソーメンのお蔭で私がド・ロさまを親しく感じるのも不思議です。このような不思議な絆がこの世にあるのですね。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

2番目の写真はマルク・マリー・ド・ロ神父です。フランス語ではMarc Marie de Rotzと書きます、 1840年3月27日 に生まれ 1914年11月7日に亡くなりました。

3番目の写真は出津教会です。ド・ロ神父はパリ外国宣教会所属で、1868年(慶応4年)6月に来日し、長崎市外海地区において布教活動の傍ら、貧困に苦しむ人達のため、社会福祉活動に尽力しました。

4番目の写真は旧長崎大司教館です。
ド・ロ神父が設計した
出津教会堂、大野教会堂、旧羅典神学校、
旧大司教館および、社会福祉事業に関連する遺跡(ド・ロ神父遺跡、旧出津救助院)は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定一覧表へ登録された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」に加えられています。
写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/マルク・マリー・ド・ロ です。