島の人々の所得はフエニックス・ロベレニーの葉の生産量にかかっています。その生産量は国内生産の90%から100%近いそうです。
この俗称のロベはお年寄りでもできるので、特に高齢者は、お金持ちという話を聞きます。
しかし八丈島には昭和時代まで水田があって米が取れていたのです。現在は水田の記念の石碑に下のようなことが書いてあるだけです。
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島の中央平野は水田地帯でした。明治になると国の殖産政策或いは自給自足から商品経済への移行もあって八丈島にも新しい作物が導入され営利性を求める農業形態が奨励されるようになりました。野菜以外に島の気候風土を生かして発展したのが花卉園芸です。戦前からフリージア、水仙、百合等の球根を栽培していましたが、戦後になるとフェニックス・ロベレニー(通称ロベ)等が高値で取引される事から年々花卉園芸が増加の一途を辿り水田が無くなり水田の形を残したまま畑として利用しています。この一帯の畑は昔は水田でした。
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これを読みますと、減反政策より以前の事のようです。水田としての土壌もよくなく、台風など自然災害もあり、米作は大変と言うこともあって、お金にもなり、自然災害にそれ程左右されないロベに移行したと考えられます。八丈島の水田は石がゴロゴロしていて、それを根気よく拾い、水田の外へ投げていたのです。それで「石投げ踊り」という盆踊りが残っているそうです。
現在の八丈島の主な産業は、観葉植物やラン、アロエなどの花卉園芸と漁業と焼酎、黄八丈などだそうです。下の写真は島で一番重要なロベの栽培畑です。
以上のことは八丈島在住の郷土史家の細谷昇司氏から教えて頂いたことです。
この俗称のロベはお年寄りでもできるので、特に高齢者は、お金持ちという話を聞きます。
しかし八丈島には昭和時代まで水田があって米が取れていたのです。現在は水田の記念の石碑に下のようなことが書いてあるだけです。
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島の中央平野は水田地帯でした。明治になると国の殖産政策或いは自給自足から商品経済への移行もあって八丈島にも新しい作物が導入され営利性を求める農業形態が奨励されるようになりました。野菜以外に島の気候風土を生かして発展したのが花卉園芸です。戦前からフリージア、水仙、百合等の球根を栽培していましたが、戦後になるとフェニックス・ロベレニー(通称ロベ)等が高値で取引される事から年々花卉園芸が増加の一途を辿り水田が無くなり水田の形を残したまま畑として利用しています。この一帯の畑は昔は水田でした。
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これを読みますと、減反政策より以前の事のようです。水田としての土壌もよくなく、台風など自然災害もあり、米作は大変と言うこともあって、お金にもなり、自然災害にそれ程左右されないロベに移行したと考えられます。八丈島の水田は石がゴロゴロしていて、それを根気よく拾い、水田の外へ投げていたのです。それで「石投げ踊り」という盆踊りが残っているそうです。
現在の八丈島の主な産業は、観葉植物やラン、アロエなどの花卉園芸と漁業と焼酎、黄八丈などだそうです。下の写真は島で一番重要なロベの栽培畑です。
以上のことは八丈島在住の郷土史家の細谷昇司氏から教えて頂いたことです。