江戸時代の八丈島は幕府の直轄領でした。島役所が設置され2000人ちかい流人が文化の花を咲かせたのです。その有様は前回の記事でご紹介しました。
その続編として話が大変小さくなりますがオペラ「夕鶴」の作曲家として有名な團伊玖磨さんが八丈島に別荘を持っていたことを書いてみたいと思います。
そしてそこで作曲の仕事をしながら名随筆集、「パイプのけむり」を書き続けたのです。
私は随筆集はこれまでに、いろいろ読みました。寺田寅彦、中谷宇吉郎、内田百、山口瞳、團伊玖磨などのものは長年愛読してきました。その中でも團伊玖磨の「パイプのけむり」は忘れられません。
「パイプのけむり」はアサヒグラフに連載されていました。1963年に八丈島の樫立に別荘を作った翌年から2001年に亡くなる直前まで40年近く続いた随筆です。朝日新聞社から27巻の本として出版されていますので、お読みになった方々も多いと思います。
外国で仕事をしながら忙しく書いたものや、葉山の自宅や八丈島でゆっくり書いたものなど変化があって飽きさせません。世界の珍しい風物や人情、そして八丈島の自然、人々・植物のことなどが軽妙洒脱な筆致で活き活きと描いてあります。話題は多岐ですが、いずれも上品な書き方で、文章の裏に人間愛が流れています。読後の爽快感が忘れられません。
八丈島では團伊玖磨氏を誇りにしています。2002年の没後一周忌に團さんの別荘を公開し、遺品や著作を展示しました。島に昭和6年から続いている地方新聞、「南海タイムス」の2002年5月31日の掲載写真を示します。別荘内の書斎や著作の展示の写真を2枚示します。
写真2枚の出典は、http://www.nankaitimes.com/ です。
八丈島が大好きな團さんは、島のすばらしさを伝える文章をたくさん書いています。その一部分を下に引用します。
「秋だ。そう思って、鰯雲の浮かぶ高い空を見ていた。傍に立っている子供は、海の遠くを見ていて、何か考え事をしているらしい。何だ彼だと忙しさに紛れて、こんなにゆっくりとした気持ちで空など眺めている事は久し振りの事だ。三年半前に、テレヴィジョンの僕の番組が始まる前には、僕はいつもこの崖の上に立って、いつもこんなにゆったりした気持ちで空を見、海を見、島の緑を見るのを日課にしていた。自作を指揮する仕事もあるにはあったが、それとて一年のうち総計して二十回程、あとは、そのために上京する以外は、八丈島の家の机の上で、作曲と好きな文章を書いていれば良かった。書き物に疲れた時は、島の南側の斜面にぽつんと建っている家から、二、三分歩いて、この崖の上に立って深呼吸をした。無限に広がる空、眼下の太平洋、遥か南に浮かぶ青ヶ島、左右には海から突然に屹立した断崖が続き、その上には、八丈群落を染め分けて、濃緑のと藪肉桂との林が、ところどころに畑を散見させながら巨大な斜面となって、海抜七四〇米の八丈三原山に続いている。秋になると、いつもその上に空が高かった。僕は、今日も高い空の鰯雲を見ながら、その頃の、自由だった自分の日々を思い出していた。」(『八丈多与里』朝日新聞社刊)http://www.8jo.jp/DANIKUMA.htm
このような文章で八丈島のことを沢山書いたのです。その結果もあって八丈島は常夏の観光地として訪れる人々が増えました。特に沖縄やハワイに行くことが大変だった時代には多くの人々が訪れたのです。
團伊玖磨さんは八丈島の観光大使のような役割をしたのです。本人は意図していませんでしたが。しかし八丈島の人々は2002年に亡くなった團さんへ今でも感謝しています。その表れの一つは毎年夏に開催される
團伊玖磨記念・八丈島サマーコンサートです。
その様子を2012年のサマーコンサートに出演したピアニストの久元佑子さんのブログから転載させて頂きます。出典は、http://blog.livedoor.jp/yuko_hisamoto/archives/1968340.html です。
・・・・今年の夏、楽しみにしていた八丈島にいよいよ到着です。
「ぞうさん」「花の街」「夕鶴」それに「ラジオ体操第2」など、私たち日本人になじみ深い作品を作曲された團伊玖磨先生。
八丈島に別荘を持っておられました。海がお好きで海釣りに出かけ、散歩を欠かさず、島の人たちからも親しまれていたそうです。
毎年続いているサマーコンサート。今年の2012年でなんと43回目だそうです。
團先生の愛した八丈島で、團先生の曲、そして私たちの好きな音楽を演奏できる幸運な機会をいただき感謝しております。
会場は、八丈高校視聴覚室。とても視聴覚室とは思えない立派なホールです。
来年は、さらに本格的なホールが完成するそうです。
今回、ご一緒させていただきましたのは、ヴァイオリンの大関博明先生、そしてソプラノの澤畑恵美先生。お二人の美音、美声に包まれた幸福な2日間でした。・・・・
下にその時の写真を示します。
ところで八丈島の現在の一番重要な収入源はロペという観葉植物です。以前あった水田を止めてロペの畑にしてしまったのです。その事を書いた久元佑子さんの文章をもう少し引用します。
・・・八丈島には、ロペと島の人が呼ぶ木があります。日本の90パーセント以上のシェアを誇る島を象徴する木で、今回のステージにも登場。
ステージ上にお花があることは時々ありますが、木が運ばれてきたときにはびっくり!
リハーサル中でしたが、思わず、お花屋さんに、その木のことをいろいろ尋ねてしまいました。ロペはハサミ一本で作業できるので、島ではたくさんのお年寄りの方がロべの葉を切っておられるのだそうです。1本あたり20円とか30円だけれど、一日で1万円以上になるそうで、
「若いぼくらよりずうっとお金もちになるんだよ」と、その若者は笑いながら、説明してくれました。花束のまわりに額ぶちのように飾られているおなじみの葉っぱ。これから、この葉っぱを見ると八丈島を思い出しそうです。・・・・下にロペの葉を切り取る木の写真を示します。ロペの畑では葉を切りやすくするために人間の背丈以上には大きくしません。
島の産業の移り変わりも重要なローカル文化ですが、話題が変わり過ぎますのでよします。
今日は團伊玖磨氏が八丈島の発展と文化にどのような貢献をしたかをご紹介いたしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)