後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

何故、私は地方文化を称賛するか?私の本音をお読み下さい!

2015年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム
何故、私は地方文化を称賛するか?今日は私の本音を正直に書いてみました。是非お読み下さい!
そもそも何故、私はいろいろな民族の文化に強く興味を持つのでしょうか。日本の地方、地方の文化を称賛するのでしょうか?
その本音を書いてしまえばそれが私の生涯の趣味であり、生きがいでもあるからです。
その趣味はアメリカの文化人類学者のルース・ベネディクトの「菊と刀」という本を若い時読んだ時の感動から始まりました。
ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)は1887年にニューヨークで生まれ、1948年に亡くなりました。アメリカ合衆国の文化人類学者で日本文化を説明した『菊と刀』の著者として戦後の日本で大変有名なった人です。この本はアメリカ軍に依頼され、敵国日本の人々の文化と行動パターンを調査し、研究した成果をまとめた本です。戦後、マッカーサーが日本の占領政策を決める時大いの参考した本でした。
下の一番目の写真に彼女の写真を示します。

ルース・ベネディクトは1946年に「菊と刀――日本文化の型」をに出版しました。彼女は一度も日本の土地を訪れることなく、参考文献と日系移民へのインタビューによって日本文化と日本民族の気質を深く洞察し『菊と刀』という貴重な日本文化論を書き上げたのです。『菊と刀』は元々アメリカ陸軍がルース・ベネディクトに委嘱したもので、西欧人とは異なる日本人固有の文化・気質を理解することで太平洋戦争後の円滑な占領統治に役立てようとしたのです。
詳しくは末尾の参考資料をご覧下さい。
日本では1948年に翻訳出版されました。終戦後3年目です。
この本の内容で私は次の二つのことで衝撃的な感動を覚えたのです。
(1)日本は戦争に敗けたのにその文化や人間性を尊敬しているようなニュアンスで書いてあったのです。そして世界中の全ての民族の文化には絶対に優劣が無いと言うのです。
このメッセージは敗戦で意気消沈していた日本人を鼓舞したのです。もう一度復興し文化国家として世界に認めて貰おうと日本人が決心するキッカケになったのです。
(2)外国の文化を分析し、深く理解し整理体系化するためにはその国に何年は住んでいる必要があると言われます。ところがルース・ベネディクトは日本へ一度も来たことがないのに日本文化の神髄と行動パターンを明快に描き出したのです。その学問的な研究手法に感服し、感動したのです。
この本を読んで、衝撃を受け、それ以来、いろいろな民族の文化に強い興味を覚え、調べる癖がつきました。そのことが楽しくなって趣味になってしまったのです。
この趣味を日本国内の地方、地方へ向けると「全ての地方には優劣が無く、興味深いローカル文化がある」という考え方になるのです。
ですから甲斐の国の歴史や文化を調べたり、八丈島の文化を調べ記事を書いているのです。
そのような最近の記事から仙台の七夕祭りとおわら風の盆と青森のねぶた祭りの写真を順々にお送り致します。











そして仙台の七夕の動画;https://www.youtube.com/watch?v=rchTMGVLweY や青森ねぶた祭りの動画;https://www.youtube.com/watch?v=IGDyFLPX_Pk やおわら風の盆の動画:https://www.youtube.com/watch?v=ZbUlt0bMZEg もお楽しみ下さい。
日本人の一部には地方の人より都会にいる人の方が優れているという伝統的な偏見がありました。蔑みの言葉に「田舎者」というものもあります。それは貧しい文化で、最近は流石に無くなってきました。嬉しく思っています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料========================
ルース・ベネディクトの『菊と刀――日本文化の型』 の内容の概略
(http://digitalword.seesaa.net/article/33551448.html より抜粋、転載)
題名の『菊と刀』の「菊」とは「美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす」ということであり、「刀」とは「刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する」ということである。「菊の優美」と「刀の殺伐」のシニカルな二項対立を浮き彫りにしている。ルース・ベネディクトは『日本人の矛盾した二面性』を象徴的に表現するために菊と刀というシンボルを選択したわけだが、『日本人は類例のないほど礼儀正しいが、同時に、この上なく不遜で尊大である』という風に日本人の二面性を文章化している。日本文化に歴史的に根付いているこの二面性・矛盾性の特徴は、東洋的な中庸の徳を実現しようとする複雑な人生のあり方をティピカルに示唆したものでもある。日本人は両極的な価値観を呈示しながら、その均衡点あるいは逸脱点(死)に独自の透徹した美学を見出したのである。
・・・・・キリスト教文明圏に生きる西欧人の行動規律が『罪の文化』にあるとすれば、儒教文明圏に生きる日本人の行動規律は『恥の文化』にある。西欧人は神と一対一で向かい合って『内面的な罪悪感(罪を恐れる去勢不安)』によって自律的(自発的)に善悪を判断するが、日本人は社会(世間)の人々の視線を感じ取り『外面的な世間体(恥を恐れるプライド)』によって他律的(強制的)に善悪を判断する。日本人にとって最も重要なのは、自分がその行為を悪いと思うか否かではなく、社会生活を営む周囲の他者が『自分のことをどう評価しているか?自分のことを軽蔑したり批判していないか?』である。 ・・・以下省略。