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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

23歳で戦死した詩人、竹内浩三の作品をお送りします

2013年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

土居玲子さんのHP、「古今東西・すてきな詩の世界へ」:http://homepage3.nifty.com/kukkie/top04.html から23歳で戦死した詩人、竹内浩三の作品をお送りします。

このHPの「戦争を見つめた詩」には以下のように8編の詩が紹介してあります。特に(5)、(6)、(7)は中国人の詩人が日本軍のことを描いた詩です。

若い日本人に是非読んで頂きたい詩です。クリックするとそれぞれの詩が出てきます。

戦争を見つめた詩
1 「赤いシクラメンの花」・・・・・いわさきちひろ
2 「いつも見る死」・・・・・財部鳥子
3 「死のなかに」・・・・・黒田三郎
4 「甲斐なし」・・・・・ウィルフレッド・オウエン 訳/野根 裕
5 「おまえら叩くのを止めろ、おれは人間ではないんだ」
          ・・・・・穆木天(ムームーティエン) 訳/秋吉久紀夫

6 「破壊された土壁に記す」・・・・方冰(ファンビン) 訳/秋吉久紀夫
7 「ひとりの日本兵」・・・・・陳輝(チェンホイ) 訳/秋吉久紀夫
8 「骨のうたう」・・・・・竹内浩三

以下は8 「骨のうたう」です。

骨のうたう          竹内浩三  
                           
<o:p></o:p>

 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまう
その心や
 
   「愚の旗~竹内浩三作品集~」松島新・編(成星出版1998)より

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MEMO】日本が戦争していた60年前、兵隊となって死なねばならな<o:p></o:p>

 

かった男の子が書いた詩です。<o:p></o:p>

 

フィリピンで戦死した竹内浩三(1921・大正10年~1945・昭和20)が、<o:p></o:p>

 

この「骨のうたう」を書いたのは昭和17(1942)、まだ戦地に<o:p></o:p>

 

行く前で21歳でした。<o:p></o:p>

 

日本大学専門部(現・芸術学部)映画科の学生だった彼は、この年の<o:p></o:p>

 

9月に繰上げ卒業、10月に三重県久居町の中部第38部隊に入営、<o:p></o:p>

 

翌年、昭和18(1943)、西筑波の滑空部隊、後の空挺部隊に<o:p></o:p>

 

転属、昭和19(1944)にルソン島の戦闘で行方不明となり、<o:p></o:p>

 

骨となっても戻れなかった。人として情愛の中で生きたいと素直に<o:p></o:p>

 

つづったこの詩は、今に突き刺さってきます。事務と常識に流され、<o:p></o:p>

 

発展と化粧に忙しいのが生きるということに等しいわたしですが、<o:p></o:p>

 

南国で眠る骨に、ごめんねと声をかけたい気持ちになります。<o:p></o:p>

 

この詩人が年齢を経て書いたものを読めないのは本当に惜しい。<o:p></o:p>

 憤りさえ覚えます。

竹内浩三のことを詳しく知りたい方は、
竹内浩三のサイト「五月のように」へ

以下は 6 「破壊された土壁に記す」・・・・方冰 です。

破壊された土壁に記す     方冰(ファンビン)  
                                訳/秋吉久紀夫



ぼくは知っていた、
おまえがなごやかな家だったことを。

夫はとっても働きものだったし、
妻はほんとに気だてのいい人だった。

それに腕白ざかりのこどもたち、
親しげなまなざしのおとしより。

ささやかながらもきれいな中庭には、
葡萄棚がみどりの蔭をつくっていた。

ぼくがあなたの家に宿を借りたとき、
あなたたちは家族同様に接してくれた。

──なのに今日ここを通りすぎたところ、
日本の鬼めがあなたを破壊し尽くしていた。

ぼくは詩を破壊された土壁に刻み込む、
烈火でぼくのこころを焼きつくすみたいに。

 1994年夏、阜平にて。1950年まとめの時に改定する。
  (作家出版社1957年9月刊詩集『戦闘的郷村』29頁)




  ~秋吉久紀夫・訳編「精選中国現代詩集 世界現代詩文庫20」
                             (土曜美術社)より~

【MEMO】この詩を読むと、テレビのニュースで見る、アメリカ軍のイラク攻撃で破壊された民家の映像が重なります。わたしは1959(昭和34)年生まれで、歴史感覚はないとは思いませんが、今イラクで起きているような現実がつい数十年前に中国や韓国やアジアであって、当時は日本が加害者の側であったことに気づき愕然とします。自分の祖父や伯父たちは兵士として戦争に行っていたのに、戦争を他人事のようにとらえている自分をかえりみて、想像力の貧困は愚鈍を通り越すと思います。前の戦争の時は何も知らなかった、知ることができなかった、だまされていた、という話はよく聞きます。今はテレビだけでなくインターネットもあって、情報の入手という点ではわたしたちは問題ないでしょう。自分で目をふさがない限りは。方冰(ファンビン 1914年~)は本名、張世方。安徽省淮南市鳳台県生まれ。


米軍のシリア攻撃中止か?・・・軍隊のシビリアン・コントロールの模範

2013年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

古い話で恐縮ですが、満州事変、日中戦争で日本の陸軍の関東軍が東京での政治を無視して勝手に戦争を拡大して、日本を破滅に追いやったのです。

今回のオバマ大統領の動きを見ながら、そんなことを思い出しています。

日本には明治維新以来、軍隊のシビリアン・コントロールという考えが定着していなかったのです

イギリスのキャメロン首相がシリア攻撃を議会へ諮って、否決されると、いさぎよく攻撃を断念しました。

オバマ大統領も勝手に攻撃命令を下す権限を持っていながら、その権限を行使しないで、上院と下院へ攻撃の承認を求めることにしたのです。

しかし議会の承認はかなり難しいのです。

オバマ支持の民主党議員数は下院435議席のうち200議席しか持っていません。上院では定数100議席のうち54議席を持っていますが、民主党上院議員のなかから攻撃反対に投票する議員もいると予想されています。

否決される可能性があるのに議会へ諮ったオバマ大統領の勇気と見識を高く評価したいと思います。

そもそも一国の軍隊をどのように使うかは国民が決めるべきです。その原則を守る手続きに時間がかかるので、欧米の諸国では大統領や首相に命令を下す権限を与えているのです。

しかし今回のように、さしせまった攻撃を英米仏が受ける可能性が無い場合には国民の代表である議会の承認を得るのが「シビリアン・コントロール」の基本です。

オバマ大統領は振り上げたコブシをおろして、冷静になり攻撃の可否を議会へ託したのです。これこそシビリアン・コントロールの模範です。

一国の軍隊の最高司令官は大統領や首相です。彼らはまさしくシビリアンです。

ところが日本の戦前の軍隊の最高司令官は天皇だったのです。軍部から派遣された天皇の側近が、「これが天皇の命令だ」と言えば終わりです。

満州に展開していた関東軍はもっと悪くて、天皇の意見など始めから無視していたのです。張作霖を爆死させ、中国軍が攻撃してきたような謀略をして、戦争を始めたのです。

ソ連や中共の軍隊にさえ共産党から派遣されたシビリアンの委員が必ずいたのです。軍の暴走を監視するためです。

日本も安倍総理になってから、憲法の集団自衛権の解釈を考え直す動きをしています。

更に平和憲法を改正する動きもあります。

しかしここで一番重要なことは自衛隊のシビリアンコントロールを徹底することです。自衛隊は参議院と衆議院の決議を受けて首相の命令があった時だけ動くべきです。

その基本として自衛隊幹部は政治的な意見を発表しては駄目なのです。自衛隊は常に戦う準備をしています。ですからこそ自衛隊幹部の政治的発言は軍隊出動の方向になりがちなのです。戦前の日本はこの間違いを犯したのです。

地中海に展開しているアメリカ海軍の司令官が、「シリア攻撃を即刻実行すべし」という新聞発表をしたら自分が即刻罷免されます。日本の自衛隊幹部に2、3年前にそういう人が居たことを忘れてはいけないと思います。

シリア攻撃に関する米英仏の最近の動きを見ながら感じたことを記しました。

下に8月31日に、「議会の承認を求めることにした」と発表しているオバマ大統領の写真を示します。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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(写真の出典:http://www.asahi.com/international/update/0901/TKY201309010001.html )