土居玲子さんのHP、「古今東西・すてきな詩の世界へ」:http://homepage3.nifty.com/kukkie/top04.html から23歳で戦死した詩人、竹内浩三の作品をお送りします。
このHPの「戦争を見つめた詩」には以下のように8編の詩が紹介してあります。特に(5)、(6)、(7)は中国人の詩人が日本軍のことを描いた詩です。
若い日本人に是非読んで頂きたい詩です。クリックするとそれぞれの詩が出てきます。
戦争を見つめた詩
1 「赤いシクラメンの花」・・・・・いわさきちひろ
2 「いつも見る死」・・・・・財部鳥子
3 「死のなかに」・・・・・黒田三郎
4 「甲斐なし」・・・・・ウィルフレッド・オウエン 訳/野根 裕
5 「おまえら叩くのを止めろ、おれは人間ではないんだ」
・・・・・穆木天(ムームーティエン) 訳/秋吉久紀夫
6 「破壊された土壁に記す」・・・・方冰(ファンビン) 訳/秋吉久紀夫
7 「ひとりの日本兵」・・・・・陳輝(チェンホイ) 訳/秋吉久紀夫
8 「骨のうたう」・・・・・竹内浩三
以下は8 「骨のうたう」です。
骨のうたう 竹内浩三
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戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまう
その心や
「愚の旗~竹内浩三作品集~」松島新・編(成星出版1998年)より
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【MEMO】日本が戦争していた60年前、兵隊となって死なねばならな<o:p></o:p>
かった男の子が書いた詩です。<o:p></o:p>
フィリピンで戦死した竹内浩三(1921・大正10年~1945・昭和20年)が、<o:p></o:p>
この「骨のうたう」を書いたのは昭和17年(1942年)、まだ戦地に<o:p></o:p>
行く前で21歳でした。<o:p></o:p>
日本大学専門部(現・芸術学部)映画科の学生だった彼は、この年の<o:p></o:p>
9月に繰上げ卒業、10月に三重県久居町の中部第38部隊に入営、<o:p></o:p>
翌年、昭和18年(1943年)、西筑波の滑空部隊、後の空挺部隊に<o:p></o:p>
転属、昭和19年(1944年)にルソン島の戦闘で行方不明となり、<o:p></o:p>
骨となっても戻れなかった。人として情愛の中で生きたいと素直に<o:p></o:p>
つづったこの詩は、今に突き刺さってきます。事務と常識に流され、<o:p></o:p>
発展と化粧に忙しいのが生きるということに等しいわたしですが、<o:p></o:p>
南国で眠る骨に、ごめんねと声をかけたい気持ちになります。<o:p></o:p>
この詩人が年齢を経て書いたものを読めないのは本当に惜しい。<o:p></o:p>
憤りさえ覚えます。
竹内浩三のことを詳しく知りたい方は、
竹内浩三のサイト「五月のように」へ
以下は 6 「破壊された土壁に記す」・・・・方冰 です。
破壊された土壁に記す 方冰(ファンビン) 1994年夏、阜平にて。1950年まとめの時に改定する。
訳/秋吉久紀夫
ぼくは知っていた、
おまえがなごやかな家だったことを。
夫はとっても働きものだったし、
妻はほんとに気だてのいい人だった。
それに腕白ざかりのこどもたち、
親しげなまなざしのおとしより。
ささやかながらもきれいな中庭には、
葡萄棚がみどりの蔭をつくっていた。
ぼくがあなたの家に宿を借りたとき、
あなたたちは家族同様に接してくれた。
──なのに今日ここを通りすぎたところ、
日本の鬼めがあなたを破壊し尽くしていた。
ぼくは詩を破壊された土壁に刻み込む、
烈火でぼくのこころを焼きつくすみたいに。
(作家出版社1957年9月刊詩集『戦闘的郷村』29頁)
~秋吉久紀夫・訳編「精選中国現代詩集 世界現代詩文庫20」
(土曜美術社)より~
【MEMO】この詩を読むと、テレビのニュースで見る、アメリカ軍のイラク攻撃で破壊された民家の映像が重なります。わたしは1959(昭和34)年生まれで、歴史感覚はないとは思いませんが、今イラクで起きているような現実がつい数十年前に中国や韓国やアジアであって、当時は日本が加害者の側であったことに気づき愕然とします。自分の祖父や伯父たちは兵士として戦争に行っていたのに、戦争を他人事のようにとらえている自分をかえりみて、想像力の貧困は愚鈍を通り越すと思います。前の戦争の時は何も知らなかった、知ることができなかった、だまされていた、という話はよく聞きます。今はテレビだけでなくインターネットもあって、情報の入手という点ではわたしたちは問題ないでしょう。自分で目をふさがない限りは。方冰(ファンビン 1914年~)は本名、張世方。安徽省淮南市鳳台県生まれ。