北の丸公園の桜:
女学校時代、学校の在る目白から飯田橋の靖国神社まで、全員が歩いて行った日があった。随分遠いように思ったが、その頃は自動車は、とても少なかったので、狭い歩道に女学生達が長々と列をなして歩いていても不便はなかったのだろう。勿論、靖国神社に参拝し、戦勝を祈願した。
七十歳のころから頻繁に付き合うようになった女子大の頃の友人、Yさんは飯田橋に住んでいた。気楽な人なので家に良く遊びにいった。靖国神社が近く、桜のさいていた頃二人で改めてお参りをした。
ある年の桜の季節、この友人にお堀の桜がきれいだから、と誘われた、飯田橋から一駅ほど電車に乗った。初めてて行った北の丸公園の桜は本当にすばらしかった。土手沿いの散歩道を歩くと、桜並木の間から見える眼下の水辺にはボートが幾つか散っていて、とても楽しい雰囲気。散歩道の突き当たりにはレストランがあったので、軽い食事をして休憩した。身近な東京にこんな素晴らしいところがあるとは知らなかった。
======めいこさの自己紹介=============
1923(大正12)年11月20日生 |
一人はYamaha19フィートの「あけび号」。もう一人はJoyrack26フィートのLuna3世号。「あけび号」には10年お世話になりました。そしてルナ3世には13年間。
「あけび号」は琵琶湖のヨットの店で一目ぼれした美しい艇でした。進水後10年の中古艇でしたが新品のように輝いていました。24年前の春に買い、霞ヶ浦へ陸送したヨットです。
そしてルナ3世は14年前に霞ヶ浦のマリーナのハーバーマスターが見つけてくれた中古ヨットです。進水後17年でしたがキャビンが大きい楽しげなヨットでした。
昨年の秋に26年間にわたるヨットの趣味をすっぱりと止めました。
何故、自分の乗っていた船を恋人のように思うのでしょうか?
ヨットは一旦港を出ると決まった道路はありません。気のおもむくまま景色に見とれて岸辺に寄り過ぎて座礁します。晴天にわかにかき曇り突風が吹き荒れ、ヨットが横倒しになります。そして波の荒い日には波が前の甲板を洗います。大きく揺れます。
しかし、どんな危機が襲ってきてもヨットは立ち直ります。兎に角ヨットにしがみついていれば大丈夫なのです。どんな時でも私を守ってくれたのです。
そしてキャビンの中に泊ったこともしばしばありました。
東京で働いている時は、時々ヨットのことを思い出し、詩的な気分になります。自分のヨットの姿に憧れます。
クルーザーヨットの趣味にはそのような側面があるのです。
ですからヨットを売るときは身元のしっかりした人へ売りました。霞ヶ浦で大切に乗ってくれる人へ売りました。
「あけび号」は群馬のKWさんが乗っています。ルナ3世は八王子のKTが乗っています。
昔の恋人に会いに行きたい時はいつでも会いに行けます。
昨日は6ケ月ぶりに霞ヶ浦への小さな旅に行きました。
往復の道中も楽しさでいっぱいでした。家内が、何度も一緒にヨットへ行ってくれたことを思い出します。楽しかった時の瞬間、瞬間の映像が鮮明に浮かんで来ます。
そして昔々、仙台の大学で同級だった近藤君と夜のキャビンでローソクの灯で一緒に飲んだ場面を思い出します。大学の同級生だった星野君達7人とキャビンでシャンパンを飲んだ場面を思い出します。その星野君は昨年亡くなりました。10月にもう一度一緒にセイリングをしようと約束していたのに、その直前でした。
あけび号とルナ3世の隣に長い間係留していた山吹号の山本船長も3年ほど前に亡くなりました。善良でとても親切な人でした。エンジンのメンテナンスを丁寧に教えてくれました。
昔乗っていたヨットに会いに行く旅に出ると、いくつも、いくつもこのような楽しかった思い出が蘇ってくるのです。鮮明に蘇って来ます。
感謝と惜別です。ヨットへの感謝と惜別です。ヨットのお陰で知り合った人々への感謝と惜別です。
下の写真にはルナ3世が小さく写っています。近くに行かずに遠方から眺めるのが現在の持ち主へ対する礼儀のような気がします。
下の写真は昔の「あけび号」が陸置きしてあるマリーナの遠景です。手前の右に2隻のヨットが写っていて、左の奥に「ホワイトアリリス号」という観光船が写っています。この観光船の手前の桟橋に「あけび号」を係留していた時期もありました。
昨日は暖かい春の風が吹いていました。車を湖岸へ走らせながら昔、ヨットで帆走した遠方の湖面を飽かずに眺めて帰ってきました。
ある春の日の小さな旅です。感謝と惜別の情が溢れた旅でした。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)