後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

桜花の美しさが日本全国を飾っています・・・春爛漫の今日この頃

2012年04月14日 | 写真

今日はあいにくの寒い雨の日ですが先週、今週とずいぶんいろいろな所に桜狩りに行ってきました。狩りと言っても桜花の枝を折って持ち帰るという意味ではありません。眼で狩りをするだけです。

桜の美しいところは本当に沢山あります。小金井公園の桜や井の頭公園の桜、そして国立、大通りの桜のように有名で、スケールの大きいところだけではありません。ちっとした空き地や、小さな桜並木、そして名も無い小川の両側などいたる所に咲き乱れています。今年、見つけたところに国際キリスト教大学の桜並木があります。先週撮った写真ですから、今は散ってしまったと思います。

写真だけでもお楽しみ下さい。

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小さな幸せを大切にして幸福になる(1)庭の花とシイタケ(続き)

2012年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム

小さな幸せを大切にして幸福になる(1)庭の花とシイタケ という記事を掲載したあとの3月29日に、山梨の北杜市の山荘に住んでいる鬼家雅男さんからシイタケの原木を2本頂いてきました。庭に置いて、水をかけていましたら16日目の今日、大きなシイタケが6ケ取れました。直火で網焼きにして、醤油を少々付けて食べましたなら香り高く美味しかったです。下に写真を示します。

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日本のイージス艦は北朝鮮のミサイル邀撃が出来ないことが判明した

2012年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカと韓国のイージス艦は北朝鮮の人工衛星ロケットの発射後1分くらいからその航跡を追尾出来ていたのです。

一方、日本のイージス艦はついに航跡を検出出来なかったのです。これではイージス艦搭載の艦対空ミサイルを発射出来ません。

結果的には北朝鮮のミサイルは撃ち落とせないことになります。

一番早く検知できたのは発射後1分でした。高度36、000Kmにあるアメリカ軍の早期警戒衛星が発射を検知したのです。そのアメリカ軍の早期警戒衛星の端末が防衛省の地下室にあるのです。

その上、米軍のイージス艦が航跡の追尾に成功し、その航跡は防衛省の地下室に設置された大型スクリーンに写しだされたのです。

その部屋に居たのは岩崎茂 統合幕僚長と自衛隊の幹部の50人でした。

しかし北朝鮮の発射を日本側の地上レーダーが確認したのは発射後40分も経ってからです。したがって日本政府が発射を発表したのは発射後43分でした。

これでは日本が北朝鮮のミサイルを撃ち落とすことなど出来ないはずです。日本のイージス艦のレーダーが航跡を測定し、その情報を艦上から打ちだす邀撃ミサイルに送り、追尾させるのです。日本のイージス艦にはそれを実行する能力が無いことが示されたのです。

一体、全体、日本のイージス艦は何回、ミサイル邀撃の演習をして来たのでしょうか?そしてその時の命中率はどの位だったのでしょうか?

そのような発表無しで、いきいなりイージス艦を黄海に展開しても北のミサイルを撃ち落とせる筈がありません。全く心細いかぎりです。

何方か軍事専門家がこの記事を訂正、指導して下さいますようにお願いもうしあげます。

(終わり)


国家目標の喪失と個人の幸せ・・・20年後の日本はこうなる

2012年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム

明治維新以来の富国強兵、そして戦後の経済復興という強烈な国家目標のなかにドップリと漬って生きてきた人々は最近暗い気持になっています。経済復興に続くGDPの国際競争で中国に敗れてしまったのです。そして大震災と原発の爆発です。

強烈な国家目標を意識するしないに関係なく従来の日本人の意識下には常にそれが厳然として存在していたのです。その国家目標が突然無くなってしまったのですから戸惑い、悲観的になるのは自然な成り行きです。

しかし少し歴史を振り返って、縄文時代からの日本人の人生観を想像して見ましょう。

下の写真は縄文人が数多く棲みついていた八ヶ岳の麓から撮った山稜の風景です。縄文土器が多数出て、山麓に縄文土器の蒐集で有名な井戸尻博物館があります。

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日本の歴史を振り返ってみると奈良時代くらいから「大和の国」という漠然とした国家意識が芽生え始めました。したしその概念は支配階級の権力意識にとって重要でしたが一般庶民の人生観にはほとんど影響を与えなかったと言えます。

特に鎌倉時代から江戸時代の武家政権にとっては自分が支配する領地に対する意識は強くても「日本国」という意識は弱いものでした。少なくとも大多数の庶民にとっては年貢米の多少は大問題でしたが、国家意識は無かったと想像出来ます。

国家目標は存在していませんから、庶民の人生の幸不幸や人生観にとって何の影響も与えなかったのです。それでも個人個人は幸多い人生をおくれるように努力し、楽しく生きて来たのです。

欧米列強が日本を領土化する勢いで迫って来た1850年ころから日本人に「国を守る」という国家意識が出てきたのです。

殖産興業・富国強兵が戦前の国家目標で、終戦後は技術力や経済力を復興し、欧米に追い付くのが国家目標でした。GDPがアメリカに次いで世界2位になり新幹線や高速道路が全国に走り、原子力発電所が54基も出来たのです。

しかし日本の運命は東日本大災害と福島原発の爆発で一挙に暗転するのです。

従来、国家目標と自分の職業を重ねて人生を送ってきた高齢者層は茫然となりました。悲観的になりました。

しかし私は絶対に悲観的になる必要はないと確信しています。

国家に縛られていた人生が解消し、個人が自由になったのです。個人個人が自分で、自分の幸せを選びとれる時代に変革したのです。

時代の変革期には必ず犠牲者が出ます。意固地に変革に逆らう人々が犠牲者になるのです。それは自分が悪いのです。

それでは20年後の日本はどのような国になるでしょうか?

国際的には世界一の勢力のアメリカの陣営にとどまっているでしょう。日本の安全保障を守るためにはそれが最善の方法なのですから。

社会は現在よりも自由で平等な社会になっている筈です。経済的には現在より豊かになることはありません。

しかし個人の個性を伸ばし、個人が世界中へ出て行って他国の人々を助ける活動を広げるようになるでしょう。東南アジアやアフリカの飢餓対策に多くの日本人が直接貢献するでしょう。それも個人の資格で。

国内的には国家の束縛が弱くなるので地方の自治権が拡大します。地方、地方が自分の地方の税金の使い道を決定するようになります。原発を容認する地方がある一方、拒否する所もあるので、原発の総数は半分以下になるでしょう。

このような変革は大阪の橋本市長の考え方の方向です。橋本さんの主宰する「維新の会」へ申込者が3000人もいたことは変革の進行の証拠です。

さて高齢者の皆様、はっきり言えば私のような老人の皆様。この変革を受け入れるように努力しましょう!そうすればあなたは幸せになれます。あなたの子供や孫が幸せになれるのです。何時の時代でも「意固地」はいけません。もっともっと柔軟な考えに変えましょう。もっともっと楽観的に考えましょう。

それこそが20年後の日本の人々をより一層幸多いものにするのです。

下に示す八ヶ岳の美しさは3000年前も20年後も全然変わりません。先週の4月8日に野辺山高原から撮った写真です。国家目標の喪失などは小さな一時的な現象なのです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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井戸尻考古館収蔵品:

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