後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

山形県の置賜盆地への旅に行ってきました

2012年04月26日 | 旅行記

昨日、東京を新幹線で出発し、山形から蔵王温泉に一泊しました。

今日は一日中、山形県、南西部の置賜盆地をバスで巡り歩く旅でした。置賜花回廊と称して桜の名所を数か所巡る旅です。しかし朝日連峰の東に広がる盆地はまだやっと梅が咲きだした季節でした。桜はまだです。

しかしこの盆地は上杉家が代々治めてきた米沢藩なので特徴的な地方文化が感じられて興味深いところでした。米沢の上杉神社に行き、歴史の勉強をしてきました。

下は朝日連峰の写真です。

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装飾的な花々の配置と植方の写真

2012年04月26日 | 写真

花々を装飾的に配置して、植えてある状態を、日本の活け花に比較しながら見て行くといろいろな感興が起きています。楽しさが一層出てきます。

花々を植えた人々の気持ちが伝わって来て楽しいものです。そのような例を下に示します。一昨日、京王フローラル・ガーデンで撮りました。

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高邁な精神の民間人が作った明治・・・国立博物館ではありません!

2012年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

明治村を訪れた日は久しぶりの晴天で、桜が丁度満開でした。遊歩道は高齢者にも歩けるようになだらかに出来ています。入鹿池の青い水面が雑木林の向こうに見え隠れします。それは2年前のある春の日でした。

明治時代の銀行やホテル、兵舎や師範学校の建物があります。天主堂や教会堂もあります。小泉八雲が海水浴に通ったとき泊った焼津の魚屋の質素な家もあります。石川啄木一家が2階に住んでいた床屋があります。森鴎外と夏目漱石の住んでいた家もあります。

気持ちの良い里山の遊歩道を散策して行くと次から次へと興味深い建物が現れて来ます。そして明治時代の人々の一途な情熱に心が揺さぶられます。建物は何も言わずに静かに建っているだけです。その為にかえって明治の人々の喜びや悲しみの激しさを暗示しています。

明治村は昭和記念公園のような国立の野外博物館と思い込んで行きました。ところが2人の民間人が独力で作り上げたのです。

第二次大戦後、明治時代の美しい建物が荒れるにまかせ、倒壊して行く様子を見て、建築家の谷口吉郎さんが修理・保存を決心します。そして学生時代からの親友だった名古屋鉄道株式会社社長の土川元夫さんの協力を得て、昭和37年に土木工事に着手し、40年に開園しました。

愛知県、犬山市の入鹿池を囲む丘陵の里山の中に遊歩道を作り、全国から移築した明治時代の建物を散在させたのです。谷口さんと土川さんの精神の崇高さにおのずと頭が下がる思いです。

建築家、谷口さんが選んだだけに、全て建築美を漂わせています。それを入鹿池の周りの自然の景観に調和するように細心の注意を払って移築しています。

想像以上に素晴らしい野外博物館でした。下に里山全体の様子を示す写真を2枚、そしてそれに続けて東京日比谷の帝国ホテル、京都にあった聖ザビエル天主堂、そして最後に京都にあった聖ヨハネ教会堂の写真を示します。

名古屋から名鉄犬山線で30分で犬山駅です。駅の東口からバスがあり、20分で明治村に着きます。是非訪問なさるさようお勧め致します。但し、野外を散策するので晴天の日に限ります。天気予報を注意深く見て訪問なさって下さい。

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さらに下には長崎港の外にある伊王島に建っていた聖パウロ教会堂の写真も示します。

明治12年に建造され、昭和48年まで100年間も使用されていた木造建築です。外見は普通の和風の建物に見えますが、内部はフランスのカトリック教会のように出来ています。

明治維新後、日本人の信教の自由が定着するまでには長い年月がかかったのです。明治政府がいつキリシタン禁教と弾圧へ政策転換するか分かりません。従ってこの聖パウロ教会を作った隠れキリシタン達は用心して外見は和風の建築にし、内装をフランス人神父の指導でキリスト教の天主堂として作りました。

隠れキリシタンの人々の恐怖を示す教会堂が、現在は明治村の一番端の岡の上に静かに建っています。下には入鹿池の青い水面が広がっています。

この教会に関する建築学的な詳細な説明は、https://www.pref.nagasaki.jp/tokyo/nagasakinokyoukai-web/kyoukai/daimyouji.html にあります。下に示す2枚の写真は2010年4月8日に家内が撮ったものです。最後の一枚は、このURLから転載させて頂きました。(終り)

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大英帝国の没落が日本へ与えるその教訓の数々(3)日本はもう少し海軍の整備を!

2012年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の軍備をどの程度にするべきかという問題は難しい問題です。

しかし衰退したと言われるイギリスに比較して見ても、日本の軍備は少し増強し、兵員の訓練を強化し、実戦能力を高めておく必要があります。

例えばイギリス海軍は1隻の航空母艦と4隻の大型原子力潜水艦を持っています。この潜水艦からは核弾頭搭載の長距離ミサイルが発射できるのです。2007年の時点では、88隻の艦艇と23隻の支援艦を運用しています。これに較べると日本の海軍は小さすぎるようです。

ところで日本の軍事作戦は現在も将来も同盟国アメリカとの共同作戦になります。

イギリスも同様で常にNATO軍の一メンバーとして海外の軍事作戦に参加しています。アフガン戦争、イラク戦争やボスニア戦争、コソボ戦争など全てはアメリカ軍との共同作戦でした。誤解を恐れず書けばアメリカ軍主導の作戦に参加してアメリカ軍を支援して来たのです。ドイツ軍も同様です。

イギリス単独で戦争をしたのは1982年のフォークランド戦争だけです。

この国際軍事情勢を考えると日本もアメリカ軍の支援作戦しか考えられません。

仮想敵国が日本へ上陸する可能性は非常に小です。すると東アジアにおける軍事行動は海軍と空軍が主になると思います。

昨日から大規模なロシア海軍と中国海軍の軍事演習が始まっています。その上、中国もロシアも太平洋艦隊の増強計画を実施中なのです。

中国とロシアがアメリカ海軍と空軍の作戦能力に対して挑戦しようとしているのです。

この場合、日本のなすべきことは2つあります。

一つは練度の高い韓国海軍とアメリカ海軍との3国共同演習を徹底的に実行することです。

第二はアメリカの支援をする場合、日本は海軍力を増強したほうが良いと思われます。

空軍は日本にあるアメリカ軍の飛行場から発進する戦闘機、爆撃機、輸送機で充分過ぎるようです。

しかし日本の海軍は軍事衛星との連携も含めて作戦能力が劣っているようです。今回の北朝鮮の人工衛星打ち上げの時、韓国のイージス艦が打ち上げを検知出来たのでが、日本は検知出来なかったのです。

航空母艦や大型潜水艦の建造計画も含めて、真剣に検討すべき時期に来ているのではないでしょうか?下にイギリス海軍の写真を示します。

皆様のご意見を頂ければ嬉しく存じます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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・イギリス海軍の原子力潜水艦です。核弾頭ミサイルを発射出来ます。

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・イギリス海軍の航空母艦です。主に軍用ヘリコプターを搭載しています。

したはペルシャ湾に展開しているイギリス海軍の戦艦です。

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参考資料:

イギリス海軍 (Royal Navy) は水上艦隊 (Surface Fleet)・潜水艦隊 (Submarine Service)艦隊航空隊 (Fleet Air Arm) と、海兵隊 (Royal Marines)、補助艦隊 (Royal Fleet Auxiliary)、海上予備軍 (Royal Maritime Auxiliary Service) などの予備艦隊で構成されている。2007の時点で、88隻からなる艦隊がイギリス海軍によって運用されており、補助艦隊の23隻がこれを支援している[7][8]。イギリス海軍はアメリカ海軍フランス海軍と肩を並べる世界的な展開能力を持つブルー・ウォーター・ネイビー1つに数えられる[9]

国防戦略見直しによって、現在はディーゼル・エレクトリック式機関を有する沿岸型潜水艦 (Hunter-Killer Submarine) が退役し、戦略型原子力潜水艦 (SSBN) など原子力推進で統一されており、イギリス海軍のヴァンガード級原子力潜水艦はイギリスの核抑止力という責務を負っている。