私が47年間も棲みついている東京都の小金井市には小金井小次郎という博徒の大親分が居ました。江戸末期38歳の時に、賭博の罪で江戸幕府によって三宅島へ遠島になった罪人です。島には12年間居ましたが明治維新で赦免され東京に帰り、「島帰り」の看板で大きな勢力になりました。新宿界隈から川崎不動の周辺までを縄張りにして、3000人の子分を擁していたと言います。主な収入源は非合法の賭博です。それで金を稼ぎ3000人の子分の生活費にしていたのです。明治14年に63歳で死んでいます。
三宅島に居る間は子分も居ないし、賭博も出来ないので真面目な暮らしを送り、貧しい島人の為に井戸と貯水池をつくりました。現在でも小次郎井戸として存在しています。
小金井市の市長がこの小次郎の子孫の関綾次郎さんでした。昭和42年から44年まで市長を務め、小金井市と三宅村を友好姉妹都市にしました。そのような経緯で、小金井市と三宅島は現在でも交流を続けています。島のガクアジサイを贈られ玉川上水のほとりに植えたり、数年前の三宅島の大噴火の折にはいろいろな支援活動をしています。友好関係を根気よく続けています。
全国の市町村はお互いに友好姉妹都市になっているケースが多いと思いますが、侠客が取持った姉妹都市は他に無いと思います。自慢も出来ず、困惑していますが、それも日本文化の一風景としてご報告致したいと思います。下の写真は西念寺の南にある鴨下家共同墓地にある小次郎の追悼碑とお墓が並んでいる様子です。
尚、小次郎に関して幾つかの本があります。下村昇著、「三宅島流人、小金井小次郎」、勉誠出版、平成12年初版、は伊豆七島において流人達がが大変重荷になった事情や、当時の島の人々の過酷な生活状況が書いてあり興味深い本です。小金井小次郎伝の部分よりも流人制度とその島人への影響を書いた部分が面白いと感じました。あなたの住んで居る地方にこのような話がありましたならお知らせ下さい。