goo blog サービス終了のお知らせ 

後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

侠客が取持った友好姉妹都市・・・少し困惑しています

2011年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム

私が47年間も棲みついている東京都の小金井市には小金井小次郎という博徒の大親分が居ました。江戸末期38歳の時に、賭博の罪で江戸幕府によって三宅島へ遠島になった罪人です。島には12年間居ましたが明治維新で赦免され東京に帰り、「島帰り」の看板で大きな勢力になりました。新宿界隈から川崎不動の周辺までを縄張りにして、3000人の子分を擁していたと言います。主な収入源は非合法の賭博です。それで金を稼ぎ3000人の子分の生活費にしていたのです。明治14年に63歳で死んでいます。

三宅島に居る間は子分も居ないし、賭博も出来ないので真面目な暮らしを送り、貧しい島人の為に井戸と貯水池をつくりました。現在でも小次郎井戸として存在しています。

小金井市の市長がこの小次郎の子孫の関綾次郎さんでした。昭和42年から44年まで市長を務め、小金井市と三宅村を友好姉妹都市にしました。そのような経緯で、小金井市と三宅島は現在でも交流を続けています。島のガクアジサイを贈られ玉川上水のほとりに植えたり、数年前の三宅島の大噴火の折にはいろいろな支援活動をしています。友好関係を根気よく続けています。

全国の市町村はお互いに友好姉妹都市になっているケースが多いと思いますが、侠客が取持った姉妹都市は他に無いと思います。自慢も出来ず、困惑していますが、それも日本文化の一風景としてご報告致したいと思います。下の写真は西念寺の南にある鴨下家共同墓地にある小次郎の追悼碑とお墓が並んでいる様子です。

尚、小次郎に関して幾つかの本があります。下村昇著、「三宅島流人、小金井小次郎」、勉誠出版、平成12年初版、は伊豆七島において流人達がが大変重荷になった事情や、当時の島の人々の過酷な生活状況が書いてあり興味深い本です。小金井小次郎伝の部分よりも流人制度とその島人への影響を書いた部分が面白いと感じました。あなたの住んで居る地方にこのような話がありましたならお知らせ下さい。

007


駐停車可の道路の心温まる風景写真

2011年01月12日 | 写真

東京の道路は何処へ行っても駐車禁止や停車禁止の看板があって、チョットした用足しでも有料駐車場を探さなければなりません。ゴールド免許を持ったまま人生を終りにしたいので何時も有料駐車場へ入れます。ところが道路の両脇に停車専用のスペースを綺麗な石畳みで作ってある街があるのです。心温まる道路なのです。別に買い物をするわけでもないのですが、そこに車を止めて歩道を少し歩いてみます。その上、住宅街の先には広い歩道橋がある公園もあります。何故かホノボノとした楽しい気持ちになります。東京、稲城市の向陽台という住宅街です。写真だけでもお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

001

005 015


貧乏ほど怖いものは無い・・・戦争も厭です

2011年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム

長い不景気の時代がやっと上向きになったと思ってホッとしていたら、リーマンショックでまたまた暗転です。若者の失業者や中年でリストラされた人々が生活に困窮しています。戦後の悲劇を見て、生きて来た私は、久しぶりに貧乏の怖さを思い出しています。終戦後、すぐに疎開先から東京に帰って来た武田百合子さんが書いています。

「地下鉄、都電、省線、東京にはいろいろな電車が、ぎゅうぎゅうづめに人を乗せて走っていた。靴磨き用に細長く布を切りとられたり破れたりして藁がはみ出している座席、ガラスの代わりに板をうちつけた窓、板の間に合わない窓から風が吹き通っていたが、満員なので顔しか寒くなかった。省線電車の一番前に一輌つけてある進駐軍専用車だけが、夢の応接間のように綺麗で空いていた。日本人の女がアメリカ兵につれられて乗っていた。・・・・中略・・・・駅の公衆便所は扉も便器も壊れていた。@@@@余りにもリアルな表現なので伏字にしました。@@@@要するに汚物のやまです。公衆電話ボックスの中にも、必ずといっても良いくらい、大量にしてあった。@@@そして自分は汚物が怖いので、焼け跡で用をたしていた。すると同じような音がいつまでも続いています。音の方を見ると蛇口が盗られた水道から水が流れているのです。・・・」(武田百合子著、「遊覧日記」181-183ページより抜粋)。

戦争に負けるという事はこのようなことなのです。戦争は厭です。

日本の現在の不景気は戦後の状況に比較してまだまだ天国のようなものです。

そして外国の貧困人口に比較すると日本の貧困層は非常に数が少ないのが特徴です(豊かなお正月に世界全体の事を考える(1)世界のスラム人口の分布)。

このように書いて、現在の日本人に、「我慢しなさい。根気良く生き延びなさい!」と言うのは簡単です。

しかしそんな簡単な問題ではありません。

確かに社会全体は豊かになりました。しかしその豊かななかに貧乏に喘いでいる人々が居るのです。貧乏の故に犯罪を犯したり、自殺したりする人々がマスコミで毎日のように報じられています。

戦後の日本は全員が生活に困窮していました。回りが同じように貧しい時には貧乏は怖くないのです。

ところが最近の日本は回りが豊かな生活をしているのにある特定の少数の人々だけが行き詰まっているのです。これは非常に悪い状況です。大きな悲劇です。私にはどうしたら良いか分かりません。

しかし声を大にして言いたい事は現在の貧乏の怖さは戦後の貧乏の怖さより大きい。もっと悲しい。出口が見えないだけに暗澹たる状況です。と、言いたいのです。

最近、不運な子供達へ新品のランドセルを匿名で寄付する事が流行っています。明るいニュースです。少しずつ、少しずつ、明るい方向へ向かい出したと感じられます。この麗しい豊葦原瑞穂の国が再び立ち上がることを心から祈っています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

012_2