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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

熱海城が見えますか?

2011年01月23日 | 写真

戦後、熱海温泉が繁盛していた頃、観光客のためにお城を作った人が居ました。熱海の街からよく見える半島の尾根の上に見えます。1月18日に下田へ行く途中、その熱海城の写真を撮りました。尾根の上に有ります。

つまらない写真ですが城というものがお好きな方の為にお送りいたします。

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軍事同盟国、ドイツは戦後、日本へ何をしてくれたか?

2011年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

ドイツのユダヤ人虐殺は決して許されない罪悪です。しかしその一方でドイツ人は人間らしい善行もしてくれますた。

連合軍の徹底的な爆撃で破壊され、生活が窮乏しているケルンのカトリック信者が戦後すぐにカトリック東京教区を経済的に援助してくれたのです。

そのお陰で新しい小教区教会、例えば清瀬教会や東京司教区のカテドラルが出来たのです。上智大学の設備の一部も寄付してくれました。神学生の奨学金も送ってくれたのです。その恩を永久に忘れないように今日は東京司教区の「ケルン・デー」として感謝の祈りをケルンの為に致します。自分が困窮しているとき他人を助けることは非常に難しいものです。

その精神を忘れない為に、東京司教区は数年来、ミャンマーのカトリック教会を支援しています。

他にもドイツは戦後の日本の為にいろいろな事をしてくれました。その一つはフンボルト奨学金で多数の日本人留学生を受け入れ、大歓迎してくれたのです。私自身この奨学金を1969年と1974年の2回頂き、ドイツで歓迎されました。

軍事同盟はいけません。しかし人間の絆を忘れないで恩返しをしようとするドイツ人は人間として立派だと思います。それに比べて日本は戦後のドイツに何をして上げたでしょうか?誰方かご存知の方が教えて下さい。写真はケルンの大聖堂の写真です。

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隠れキリシタンの里に立つ黒崎教会の写真をお送りいたします

2011年01月23日 | 写真

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今日は日曜日なので、これからミサへ行きます。ミサの準備として隠れキリシタンの関連のHPを見て居ました。美しい教会の写真が有りましたので、皆様へお送りいたします。3枚目の写真にありますように山が迫った険しい地形の海辺の里です。取り締まりの役人が入り難い里なのでキリシタンが明治維新まで生き延びていたものと想像出来ます。

=====黒崎教会のHPからの抜粋です===========

長崎県外海町【そとめちょう】は、五島列島や生月島とともに隠れキリシタンの里として知られている。(外海町は平成17年1月4日に合併し長崎市とな った)
また、この地を第二の故郷とこよなく愛し、生涯日本人とキリスト教をテーマとした小説家・遠藤周作の代表作である沈黙の舞台の1つ(作品のなかでは「トモギ村」という)である。
その「沈黙」に登場するのがこのカトリック黒崎教会で外海のキリシタン文化を象徴する聖堂である。
ロマネスク様式の堅強な赤レンガ造りの黒崎教会は「・・・あまりに碧い」角力灘【すもうなだ】の海を望む高台に今も凛として立っている。 (写真と文章の出典:http://www1.odn.ne.jp/tomas/kurosaki.htm )

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今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人