筆者はいろいろな民族の文化や生活の様子を観察して、比較するのが趣味です。
同じ日本人でも無宗教の人、仏教の信者、キリスト教やイスラム教の信者などいろいろな人々が居ます。
神社やお寺は自然に訪れる機会が多く、なんとなく違和感がありません。
キリスト教のお寺である教会は見たこともない変った様子なので違和感を覚えます。でも、日曜日の午前中に気軽に寄って見ましょう。
誰もが忙しそうで、知らない人へは愛想はありません。無理に会話などしないで人々が何をしているか?観察して見ましょう。飽きたらソっと抜け出しても良いのです。
神社やお寺での人々の様子と比較して観察すると興味深いと思います。比較して何処が違うかは、いつか書いて見ます。
それを続けいると、一つの趣味に育って行きます。比較文化人類学の趣味ですね。
以前、キリスト教の討論をこのブログでしました。多くの熱心なご意見を頂き、今も深く感謝しています。
その折、ヨーロッパの神父や牧師が未開のアフリカや南米へ侵入し、布教と称して軍隊の先導をし、植民地にした歴史が許せない!というご意見がありました。
その通りです。そんなことをした神父や牧師はキリストの教えを根本的に間違って理解してしまったのです。全く許せない人たちです。でも少数ながら本当に偉かった宣教者もいたと思います。
でもこの写真にある山本量太郎神父様を見ていると心が休まります。このような神父様の風景をみるのも良いものです。理解するのではなく感じて、楽しくなれば良いのです。今日は日曜日なのでこんな小さな記事を掲載したくなりました。(終わり)、(写真はカトリック小金井教会の鐘楼と主任司祭、山本量太郎神父様です。)