京都の四条通りの祇園あたりになると思うが、商店をのぞきながら歩いていて、とある骨董品店の前でこのマダムと出会った。
私と同じようにショーケースを覗いていて、自然に会話になった。
何でもパリ管弦楽団に属しているバイオリニストだそうで、京都での演奏会に来たということだ。
京都とパリは姉妹都市だから、そういう交流もあるのだろう。
音楽家らしい何とも言えない雰囲気の美しい人で、私の友人の中でもこのようなタイプの人はいない。
その骨董品店は半分戸を閉めており、営業しているのかしていないのか良くわからいような状態だった。
それで私が声をかけてみると、主人がいた。老人であった。
私が珍しい骨董品についてこれは何ですかなどと聞いている間に、彼女は小さな古い缶を見つけた。
彼女が分けてほしいと言っていると言うと、主人は首を横に振り、ここからこっちのものは売らないものだという。それにそれは売り物にはならない値打ちのないものだという。それでもいいと彼女は言ったが、ガンとしてそういうので、彼女はあきらめた。
これが京都の「イケズ」なのか、それとも他にわけがあるのか、どうして売らないのかさっぱり分からなかった。
彼女との立ち話で、その年カルカッソンヌやリヨンを訪れたことを話すと「なんという偶然なの!!私はリヨンの生まれで、昨年セカンドハウスを買ったのはカルカッソンヌなのよ」と大層喜んだ
そして、彼女とは店の前で写真を撮り、アドレスを交換し別れた。
後日、再度この店に行きあの缶を見つけ、買って彼女に送ってやろうと思って交渉したが、老人はやはり首を横に振って同じ返事だった。
古い抹茶を入れる缶だった。中に固くなり色あせた抹茶が残っていた。
「フランス人?ああフランス人か、こんなんよう欲しがるんや」とつまらない物に見えるものでも、フランス人が興味を持ち貴重なものと思うことも承知のようであった。
そのことを彼女にメールしたが、「有難う、でももうあの缶は諦めたからいいの。それよりあなたが再度行ってくれたことを想像するだけで嬉しい」という返事だった。
フランスの骨董市でもこの種の小さな古い缶を売っているのを見たことがある。
祇園の骨董店の前を通るたびその時のことを思い出していたが、数年前からこの店はなくなってしまった。
あの頑固おじさんはどうなったのか、なぜあの缶を売らなかったのか、今でも少し気になるところである。
バイオリニストとはメールをたまに交換しているが、向こうが忙しいのかそう頻繁ではない。
またきっと京都の演奏にやって来るに違いない。
その時、再会しよう。
あの骨董店と頑固おじさんのことを覚えているだろう。
そして店がなくなったと聞いたら残念がるだろうな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます