日本おたくのジョルジュ
ブローニュの森へ行こうと歩いていて、くたびれてきたので10席ほどの小さなカフェに入った。
さてどこに座ろうかと見渡した。
この見知らぬに東洋人に対して、そこにいたマダムとムッシュ二人が空いている自分の向かい側の席に手招きして、「ここに座りなさい。どうぞ、どうぞ。」と言うではないか。
何とフレンドリーなんだろう。
ここはパリ16区、高級住宅街である。
そういえばここに来る時、ブローニュの森の方向を通りがかりのマダムに聞いたが、極めて上品で親切だった。
そこで、あるムッシュの前に座った。
2003年今から8年前の3月のこと、これがジョルジュとの出会いであり、フランスにおける初めての大切な友人との出会いでもあった。
座ると驚いたことに、彼は日本の漢字の辞書を持っているではないか。
聞けば、これまで日本に28回訪れたことがあるという。
彼は日本語を少しだけ喋るし、漢字はかなり書ける。
英語も話すし、書く。
しばらくしてから、私は折り紙を取り出し、鶴でも折って彼にプレゼントしようとした。
ところがである、彼は70種類以上の折り紙の折り方を知っているという。
日本のだけでなく中国のも知っている。
もう完全に脱帽した。
降参したら「宝船の折り方を忘れた。知っているか?」と聞いてきた。
そこで必死に思い出しながら、なんとか宝船を折りあげた。
そしたら大変喜んでくれたので、ようやく日本人としての尊厳を維持できたという次第だった。
その時彼は76歳、インターネットはしないということで、住所や電話番号を交換して別れた。
二年後、彼のアパルトマンに招待された。
エレベーターをあがると、彼の部屋のドアは開いていて、琴の音が聞こえてくる。
彼の家はもう日本のコレクションで一杯だった。
江戸・大正の小袖、 様々な種類の繭(小石丸という皇室の方の着物に使われるという特別の繭まで)、有田焼(人間国宝の柿右衛門の図録に載っているそのもの等)のいくつかの花瓶、漆器、鞠、寄せ木細工、オリジナルの浮世絵、特に和紙は沢山持っていて、千代紙も500種類くらいあり職人が作った型紙もかなりあった。
和紙のコレクションではパリで一番だろうと言う。
なんでも10人くらいの人間国宝を、知っているとのことだった。
若い時、職業は何だったのかと聞いたら、外交官で、ユネスコ・パリにいたとのこと。
その後彼のオープンカーに乗せてもらい、レストランに行き御馳走になった。
それが後から考えると、レバノン料理の店だった。
その時はよくわからず、珍しいパンを出すところだなと思っていた。
とにかく私のような庶民とはちょっと世界が違う人のように思うが、彼の日本びいきのおかげで、私は彼から「ベスト フレンド」と言われるようになった。
私はパリでその後2回会った。待合場所に彼の指定するのはいつもシャンゼリゼの「フーケ」である。
フランス人でも普通の人はそんなところにあまり行かない。でも私は彼の財布がついているから何の心配もない。
とにかく彼との出会いはあの16区の小さいカフェであり、決定づけたのは「宝船」の折り紙の成功のおかげである。
しかしそのずっと以前に、日本文化が彼を魅了していた。
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