翌日、エリックの家を出てバスに乗ってオペラ座まで行った。こうして毎日友人を訪ね、時々友人にお任せの観光をすることの欠点は、自分の自由な時間が無くなることである。
これはある意味贅沢な悩みだが、今日はその埋め合わせにオペラ座からジョルジュと約束したフーケまで散策することにした。
オペラ・ガルニエ
オペラ座からヴァンドーム広場に抜ける通りの両側には、高級ブティックが並び、ショーウインドウも垢ぬけしている。
センスが光るショーウインドウ
ヴァンドーム広場は、リッツ、法務省、シャネル等の高級店も並び、豪華な広場である。中央にはナポレオンがプロシアの大砲を潰して建てたという柱が建っている。勿論天辺にはナポレオンがイタリアの方を向いて立っている。彼はどうやらかつてのローマ帝国にあこがれていたらしい。つまりローマ帝国の皇帝のようになりたかったわけだ。
ちなみに、このフランス史上の英雄に対する現代のフランス人の評価は、聞いてみると必ずしも良くない。いや、肯定的な評価の人に未だ出会ったことがない。
理由は「彼は戦争をあちこちでして、多くの人命を奪ったから。」と言うのがおよその意見である。
「もし彼が現れなかったら、フランスはどうなっていただろうか?」と考える人はいないのかな?
大体ほとんどの人から良い評価を聞けるのはドゴールなのだが、今名誉回復中なのは多分ジャンヌ・ダルクだろうと思う。
右はホテル「リッツ」その向こうはは法務省
旧海軍省
さてヴァンドーム広場を抜けて西を向いて歩き、マドレーヌ教会の前に出て、そこから今度は再び南向いて歩き、コンコルド広場に出た。ここはシャンゼリゼ通りの東の端になる。
マドレーヌ教会
コンコルド広場(昔マリーアントワネットが処刑されたところ)
そしてシャンゼリゼ通りを凱旋門の方へ左側の歩道を歩いた。
かなり歩いてようやく約束のフーケに着くと、丁度ジョルジュもやってきたところだった。
ジョルジュはそこで彼の弟のミッシェルさんとも会う予定だったようで、既にそのミッシェルさんはフーケの屋外のテーブルで待っていた。
ミッシェルさんはレバノンのベイルートに住んでいて、ビルの経営をしていたが今は引退しているようだった。「お国の様子はどうですか?」と聞いたところ、(ベイルートの政治経済状況について)ズバリ一言「安定している。」とのことであった。私の知らない中近東の国の置かれている複雑、困難な環境をこの一言で感じ取った。
弟のミッシェルさん(左)とジョルジュ(右)
そのことよりも、この時兼ねてからジョルジュがフランス人でなく「レバノン人」では無いかと思っていたことが決定づけられた。
弟のミッシェルさんが、「兄はねえ。あなたのことをとても好きなんだよ。」と言っていた。
フーケの入り口とジョルジュ
最後までお読みいただきありがとうございました。
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