29回目の来日を果たした日本おたくのジョルジュの続きなのだが、ここで整理すると、初めて彼と会ったのが2003年の春だった。
ブローニュの森に行くつもりの道すがら、疲れて少し休もうと入った小さなカフェで、偶然出会ったことは最初に書いた。
2005年今度は私がフランスに行き、モンマルトルの小さいホテルに泊まっていた時、事前に彼に連絡しておいたから、彼からホテルにFAXが来た。
「迎えに行こうと思うが、階段から落ちて足をくじいて行けない。家に来てくれ。」と書いてあり、アパルトマンのセキュリティのボタンの番号も書かれてあった。そこでタクシーで彼の家にたどり着き、指示通りアパルトマンの5階(日本の6階)でエレベーターを降りた。
彼の部屋のドアは少し開いていて、そこから聞こえてきたのは、琴の演奏である。ドアには平仮名で「おこしやす。」と書かれた紙がぶら下がっていた。
その後の彼の部屋でのコレクションや、レバノン料理をごちそうになったことはすでに最初に書いたとおりである。
ただ最初の時に書かなかったのだが、この時のことを振り返って考えてみると少し変なことがある。それはFAXには「足をくじいた。」と書いてあったことから始まる。だから車を運転して迎えに行けないという意味のはずだ。ところが彼は足に何もおかしな様子はない。
それどころか彼は、立派な高級車(BMのオープンカー)を運転してレバノン料理の店に連れて行ってくれた。(高級な店で、玄関に乗り付けドア近くにいる店の人に彼が鍵を渡すと、店の人は車を運転してどこか駐車場に止めに行った。帰りも玄関で待っていると、店の人がどこからか玄関まで車を運転してきたのを覚えている。)
要するに彼は、足などくじいていないのだ。
じゃなぜ彼はうそを言ったのか。
ここからは私の想像である。
パリはやはり地域によって住んでいる人の階級が違う。所によっては高級住宅地であるが、その反対もある。
彼は警戒心が強いに違いない。と言っても別に私の泊まっていたホテルは上品なマダムとムッシュが経営する落ち着いたホテルだったし、その近辺の治安は悪くはなかった。
だが一歩離れると、よろしくないところもある。かれは自分の行動範囲を決めているに違いない。(いろんな人が乗るメトロなどは利用しないに違いない。)
フランス人でも外出時は自然と警戒の心を引き締める。それでもスリに遭ったりするくらいである。
だがここに彼のもう一つの事情がある。やがて私はそれに気づく。それはいずれ明らかになって来る。
そしてその2005年の秋、彼が日本にやってきた時のことを、京都と奈良での様子に分けて書いた。
その次は2007年のパリでの再会であるが、これを次に書くことにする。
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