舟越保武氏の彫刻を知ったのは、かれこれ19年ほど前。
宮沢賢治生誕100年の年に花巻へ旅行した際、帰りに立ち寄った田沢湖で薄衣を纏って立つ『たつこ像』を見たのでした。
市立美術館から「舟越保武彫刻展」の案内が届いたとき、瑠璃色の湖面を背景に金色に光るたつこ像を懐かしく思い浮かべましたが、その表情までは思い出すことができませんでした。
氏の作品もほんの数点を写真で見たことがあるくらいで、多くは知りませんでした。
今回の彫刻展では、そのほんの数点のひとつの『萩原朔太郎像』が出品されていたことと、朔太郎の孫・萩原朔美氏による『舟越保武と祖父・萩原朔太郎の像について』の講演があったことが、美術館へと足を向かわせました。
講演は2月1日だったので、記憶のキャパシティーが小さい私の頭では内容を正確に思い出すことはもうできませんが、舟越保武の彫刻家として、人としての素晴らしさに触れることができ、舟越氏の作品を観たいと強く感じさせてくれた講演でした。
ただ、その日は時間が無く作品展を観たのはその2週間後になってしまったのですが。
ポスターの作品は『聖セシリア』
微笑むでもなく憂えるでもない、けれど揺るぎないまなざし・・・
そのまなざしに見守られていれば、何も心配することはないのだと思えてしまう・・・
どうすれば、どんな経験をすれば、こんな静かな慈愛に満ちたまなざしを表すことができるのか・・・
舟越氏は、作品を作る時にモデルを前に置かなかったそうです。
石をじっと見つめていると、石の中から顔が浮かび上がってくるのだそうです(萩原朔美氏講演で)
石と向き合う静謐な時間が、舟越氏の心の奥深くにあるものを呼び覚ますのでしょうか。
『長崎26殉教者記念像』の一部が展示されている前に立った時は、言葉を失ってしまいました。
キリスト教弾圧により殉教した26聖人の中には、僅か12歳の少年もいたのです。
当初は磔刑になった殉教者の凄惨な場面を依頼された舟越氏でしたが、敢えて殉教者たちに晴れ着を着せ26本のロウソクが並んでいるように構成し、天を仰ぎ讃美歌を歌いながら昇天する姿にしました。
そこには、舟越氏の信仰に支えられた穏やかで強い精神が見て取れるような気がしました。
74歳で脳梗塞に倒れ、右半身が麻痺し視野の右半分を奪われるという中でも、車椅子に座り左手で制作を続けたと言います。
左手で制作された荒々しいタッチの『ゴルゴダ』や『マグダラ』を眺めていると、ハンセン病患者に寄り添って生きた『ダミアン神父』の像に重なるものを感じました。
舟越氏は89歳でその生涯を閉じましたが、その日は奇しくも長崎で26人が殉教した日と同じ2月5日だったそうです。
ozさん作
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田沢湖のたつこ像も長崎の像もどちらもみたことがありますが、作者が舟越保武氏とは知りませんでした。
もっと勉強しなければダメですね。
聖セシリアのまなざしは寂しそうな感じです。
何かあったのでしょうか?
情報をありがとうございます。
山小屋さんは長崎の「26聖人」の像もご覧になったのですね。
7月から練馬区立美術館でも『舟越保武展』が開催されます。
機会がありましたらご覧になって見てください。
やはり『目』が印象的です。
3月22日まで郡山ですが、7月12日から練馬区立美術館です。
5月から6月にかけてなら岩手に里帰りしているかもしれませんね。
萩原朔美氏は親と同じ彫刻家になった桂氏を羨ましいと仰ってました。
自分は詩人の祖父と作家の母を持つがどちらにもなれなかったと。