山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

◆成年後見制度の講演会(南陽市育成会)

2011年09月26日 | 障害者施策
南陽市手をつなぐ育成会から講演会の案内が届きました。

全日本手をつなぐ育成会権利擁護委員で弁護士の関哉直人氏をお迎えし、講演会と相談会を開く事になりました。

この機会に、障害者制度改革など、新法制定の目指す方向に沿った成年後見制度の話をお聞きしてはどうでしょうか。
多くのご参加をお待ちしています。

日 時:平成23年10月8日(土)午後2時~4時

場 所:南陽市(赤湯)えくぼプラザ2階会議室

内 容
100万人署名活動と全日本育成会が目指す成年後見制度とは?
親がいなくても(いつでも)安全で豊かな生活が保障されるように
制度が、地域のおけるセーフティネットの役割を果たしてほしい
相談会(支援)1人ひとりにあった選任について
保護者選任の申立て(病気治療を受けさせるときなど)
任意後見制度(将来、判断力が不十分な状態になった場合にそなえて)
成年後見申請資料を準備します


問合せ・申込:南陽市育成会事務局(いちょうの家内 担当:加藤)
       TEL:0238-47-3456 FAX:0238-47-3133
          

成年後見制度ってなに?という方や、将来的に必要だと思っているから詳しく知りたい。
後見人をつけると選挙権がなくなると聞いたけど、あまり疑問はもたないな~と思っていらっしゃる方も、この機会に是非専門の先生のお話をお聞きしてみてはいかがでしょうか?


今後、山形市手をつなぐ育成会でも、同様の研修会を計画していますので、連絡がきましたらまたこのブログにてご連絡させて頂きます。


#地震発生から200日目「要介護者をいち早く逃がす」

2011年09月26日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から200日目(9月26日、月曜日)。
 また、大震災発生から200日目の新しい朝を迎えた。
 
 さて、毎日新聞コラム欄(反射鏡2011.9.25)に津波から命をどうやって守るか掲載していた。
 津波が来ても「逃げられたのに逃げなかった人」と「逃げたくても逃げられなかった人」が犠牲になった事例について、どうするかと問題提起している。
 その解決のヒントとして、「防災教育のお陰で無事だった子どもたち」の事例について次のように述べている。
  
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【引用始め】

http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/news/20110925ddm004070002000c.html
毎日jp 毎日新聞 2011年9月25日 東京朝刊

反射鏡:「てんでんこ」のジレンマとどう向き合うか=論説委員・青野由利

 (前略)

 消防団員、鈴木亨さん(42)をたずね、7月に大槌町を訪れた。人口約1万5300人の漁業の町で、死者・行方不明者は約1400人に上る。

 漁業協同組合で働く鈴木さんは、港にある冷蔵庫から出てきたところで地震に襲われた。「津波がくる」と直感し、揺れが収まる前から水門を閉めて回った。消防車で「津波だ、逃げろ」と連呼しながら避難誘導したが、逃げてくれない人たちがいた。「胸ぐらをつかむようにして言っても、だめだった」

 津波が堤防を越え、自分たちも車列の最後尾から高台に向かったが、バックミラーに真っ黒な津波が迫った。間一髪で逃げおおせたが、出動した仲間は14人中8人が犠牲になった。ボランティアである消防団の責務とリスクの大きさに言葉を失う。

 実は、鈴木さんの母親もなかなか逃げなかった一人だ。地震の後、片付けをし、「一応」とサンダル履きで裏山に上った後に家は跡形もなく流された。

 「被害が多かったのは、過去の津波や言い伝えなどから、ここまでこないだろうと油断していた人たち」。だからこそ「堤防や水門を過信せず、すぐ逃げるしかない。油断につながる津波の数値予測もやめてほしい」と訴える。

 しかし、話はそれで終わらない。「隣に、介護が必要な高齢者がいる家が2軒あり、どちらの家族も流された」。消防団の仲間5人も、寝たきりの人を救助中に津波にのまれた。「逃げない人」以外に、「逃げたくても、逃げられない人たち」がいるのが、現実だ。

 今月、東京都内の講演会で、鈴木さん、畑村さんと、群馬大大学院教授の片田敏孝さんが経験を語った。片田さんは岩手県釜石市で教職員らと「すぐ逃げる」ための津波防災教育を進めてきた専門家だ。今回の大津波で、釜石市の小中学生約3000人のほとんどが無事だった。背景にこの防災教育があったと注目されている。

 片田さんが子どもたちに伝えてきた「避難の3原則」は、「想定にとらわれるな(ハザードマップを信じるな)」「最善を尽くせ」「率先避難者たれ」。

 実際に、釜石東中学校では学校が浸水想定の区域外にあるのに地震直後に避難を始めた。中学生が逃げるのを見て、高齢者や近くの鵜住居小学校で3階に避難しかけていた小学生もいっしょに逃げた。決めてあった最初の避難場所が危ないと感じた中学生の言葉で、さらに高台へ。結果的に、最初の避難場所は流され、小学校は屋上を越える大津波に襲われたという。

 「避難の3原則」が功を奏したわけだが、それだけではない。片田さんの話で特に印象に残ったのは、防災教育の最後に子どもたちに伝えた言葉だ。

 「うちに帰ったら、『僕たちはぜったいに逃げる。だからお母さんも逃げて』と何度も言って」。保護者には、「子どもたちが『お母さん逃げて』と一生懸命言うだろう。その願いをしっかり受け止め、うちの子は絶対逃げるという確信を持つまで話し合って」と伝えた。

 これを聞いて、「津波てんでんこ」の持つ本来の意味が、鮮やかに浮かんだ。一人一人が勝手に逃げるというだけの話ではない。家族同士の信頼のもとに、主体的に自分の命を守るという重要な哲学が潜んでいる。

 だからこそ、と思う。「てんでんこ」では救いきれない人たちのことも忘れてはならない。

 介護が必要な家族を助けようと運命を共にした人たち。職責を果たした消防団や警察、役場の人々。彼らのジレンマをどうすればいいのか。片田さんに詳しく聞こうと思って、やめた。

 きっと、ひとつの答えはない。ただ、言えるのは、「要介護者」をいち早く逃がす街づくりやシステム、「逃げない人」への防災教育が、ひいては「逃げられない人」をも減らすだろうということだ。それはなにも津波防災だけの話ではない。
              
【引用終わり】

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 「要介護者」をすばやく津波から逃がすにはどうするか。今回の大震災を教訓に防災準備をすることである。「要介護者」施設は津波が来ない高台に建てる。高台でなければ許可しない条例が今後できるだろう。
 それでは、海辺近くの在宅している「要介護者」をどうするか。もちろん、その中には障がい者も含まれる。地域で助け合うシステムが必要である。
 大災害時、みんなで助け合うことが徹底すれば、「明けない夜はない」と前向きな取り組みができる。
 (ケー)