山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

◆第3回本人による防災会議

2011年09月22日 | 本人活動
9月21日(水)山形県総合福祉センターにおいて、第3回本人による防災会議が開かれました。

前回、実際に被災地を訪問した時の写真をみながら話をしたり、来月に行われる「手をつなぐ育成会東北ブロック大会」で本人の分科会の役割や交流会での役割を決めたりしました。

被災地のスライドを見ています

まだまだ大変な状況だったことを思い出します


被災地を訪問して、防災会議に出席してくれる方も増えました

私が写真を撮っている時は、役割を決めている時でしたが、「開会宣言は私がやります!」と積極的に手をあげてくれた方がいて、大変頼もしく思いました。
実りの多い防災会議になったようでした。

#地震発生から196日目「避難に踏みきるポイント」

2011年09月22日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から196日目(9月22日、木曜日)。
 また、大震災発生から196日目の新しい朝を迎えた。

 自宅近くを流れる須川の様子を早朝見に行った。雨もあがっていた。
 流れは思ったとおり河川敷すれすれの状況だった。河川敷まであがらなくてよかった。
 ちょうど散歩途中の老人から声をかけられた。「昨日と同じぐらいの水量で変わらない。良かった。」と言っていた。この人は強い雨の中を川が心配で見に来ていたのだろう。初めて出会う人なのだが、話し相手を探していたようで、安心したといった感じで話しかける。
 それに応じながら、川の様子を見ていた。川向こう西岸の河川敷には、高校のサッカーグラウンドと野球場がある。幸いにも水があがってない。高校生はさぞかし安心するだろう。今まで、何度も水があがって、何日間にわたってサッカーや野球ができなくなることがあった。
 須川堤防の東の方をみると、蔵王連峰がくっきりと黒々どっしりした姿をあらわしている。中腹にはわた雲がいくつか浮いている。黒い山脈と灰色一色の空とくっきり分かれている。
 堤防をおりると、水たまりがいくつもできた砂利道である。水たまりを避けながら自宅に戻る。
 新聞を見た。台風15号が東日本を縦断して、宮城県などでは9万人に避難指示・勧告が出た。またも自然災害で死者、行方不明11人、首都圏の交通機関の乱れによる帰宅ラッシュ、大雨による冠水などの被害が出ている。 
 
 さて、国崎家では、大地震発生の後、避難に踏みきるポイントを次のように決めているという。
  
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【引用始め】

「増補版 地震から子どもを守る50の方法」(2011年5月15日初版第3刷発行)
著者 国崎信江
発行所 (株)ブロンズ新社より引用

 いつ避難するか見極めは冷静に(p.94~p.95)

 大型地震の後は、建物の倒壊や次の揺れが襲ってくるかもしれないという恐怖から、「一刻も早く逃げなくちゃ」という思いに駆られますが、着の身着のままで外に出ると、かえってケガをする場合もあります。避難する時期を見極め、安全に避難するための身支度や、非常持ち出し品を用意することは、二次被害を防ぐためにも必要なことなのです。

 地震がおさまってきたら、避難すべきかどうかを見極めます。
 避難に踏みきるポイントを、私は以下の6点と考えています。
 ① 近くで火災が起こっている場合
 ② 家の床にものが散乱し、座ることも寝ることもできない場合
 ③ 家が傾いている場合、半壊している場合
 ④ 近くでガス漏れが起こっている場合
 ⑤ ライフラインが途絶えている場合
 ⑥ 近くに化学工場や製油所がある場合
 ⑦ 津波や土砂崩れの危険がある場合
            
【引用終わり】

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 以上、避難するかどうか大地震発生後直ちに判断できないと危険である。しかし、何も考えていないと、動転してしまっていて冷静な判断は難しくなる。
 だからこそ、ふだんから避難すべき判断基準を決めておく。それをメモしておく。
 このような準備があって、大災害時でも「明けない夜はない」と冷静な対応も可能となる。
 (ケー)